恐れ
「ユーゴ……?」
張りつめた雰囲気に、目の前のユーゴが見知らぬ人のように感じる。
だけど、怒られるようなことをした覚えもないし、きっとすぐにいつもの彼の姿に戻ってくれるだろう。
そう思っていたのに、彼はこぶしを強く握りしめ、額に血管が浮くほど顔を赤くして、怒りを剥き出しにしてきた。
「どうしてここにいる! 部屋の中を見たのか!? 早く答えろ!!」
激昂した様子のユーゴが恐ろしくて、ガタガタと震えが止まらなくなり、思わず身をすくめた。
「ごめんなさい、本当に、本当に、ごめんなさい、ユーゴ。許して……お願いよ」
手からトレーがこぼれ落ち、カップの割れる鋭い音が響く。
それはこれまでの幸せな夢をズタズタに引き裂く、悪魔の笑い声のように聞こえた。
ふと、一人、部屋で泣き続けた幼い日の夜を思い出す。
ああ、そうか。
私は、怒っているユーゴが怖いんじゃない。
「貴方に嫌われるのが、何より怖い。孤独はもう……嫌なの……」
崩れ落ちて床に膝をつき、ガタガタと震えながら頭を抱えて泣き喚く。
悲しみや苦しみが渦巻いて、もう感情がぐちゃぐちゃで。
ユーゴに見捨てられてしまったらと思うと、心が滅茶苦茶に壊れてしまいそうだった。
静かな夜に、私の泣き声だけが響いて、消えていく。
顔を上げたら、ユーゴがどこかへいなくなっているのではないか。
そんなことを思うと、涙が止まらなくなってしまう。
「レイラ……」
ユーゴがそっと呟くように私の名を呼んできて、思わず身体がびくりと震えた。
「驚かせてごめん。大丈夫だからもう泣かないでくれ。君に泣かれると冷静でいられなくなる。どうしていいか、わからなくなるんだ」
彼は、泣き崩れている私の背中に触れてきて、ゆっくりとさすりはじめた。
どうにかしなければと思っているのに、どうにも止まらず、言葉も出せないまま泣きじゃくっていると、また彼の声が聞こえてくる。
「さっきのは、僕が悪かった。君を一人にするつもりなんかないよ」
背中から伝わってくる大きな手の温もりと、これまでとは違う優しい声色に、次第に震えが収まっていく。
「ユー、ゴ……?」
ぽろぽろと涙を溢しながら顔を上げていくと、彼は申し訳なさそうに私の手を見つめてきた。
「怪我や火傷はしていない? 君はただ、紅茶を持ってこようとしてくれただけ。そうだろ?」
しゃくりあげながら、こくりとうなずくと、彼は困ったように微笑みかけてきて口を開いた。
「いきなり声を荒げてすまなかった。最近君がアントニーとよく話しているのを見かけていたから、君たちが仲睦まじくなったのかと警戒した」
「そんな……彼のことは、少し苦手だと思っているくらいなのですけど」
「そうだったのかい? ああ、それはよかった。僕は、アントニーが君にあれの存在を探らせていると思ったんだ」
ユーゴが研究室の扉を大きく開けていく。
すると、暖炉横の床がぽっかりと四角く空いていた。
「あれは……?」
「地下室への入口だよ。あそこには僕の人生をかけた研究の全てが詰まっている。研究者にとって、サンプルやデータは何よりも大切なものでね。助手のアントニーにさえ地下室の存在は教えていない」
「人生をかけた……」
「そう。僕にとって、命と同じく大切なものがあそこにある」
ユーゴは真剣な顔つきで、地下室への階段を見つめている。
言葉だけではなくその表情からも、あの地下室がユーゴにとってどれほど大切な場所なのかうかがい知ることができた。
そして、植物学者たちにとっては、喉から手が出るほど欲しい場所なのだということも。
無言のまま、床にぽっかりとあいた穴を見つめる。
あの中に、ユーゴを知る手がかりが……ある。
植物の研究は難しくてわからないけれど、ユーゴが何について興味を持ち、どんなことを考えているのか、それには強い興味があった。
じっと目線をそらさずにいると、ユーゴが私の名を呼んできて、言葉を続けてくる。
「もし気になるなら、一緒に来るかい? 君には地下室を見せてもいい。なぜかそう思えるんだ」