二人の男
アントニーが戻って来たことでお払い箱にされるかと思いきや、私にはこれまで以上の仕事が与えられていた。
ユーゴいわく“ここにいる間は手伝うと自分で言ったのだから、途中抜けは許さない”とのことだった。
どうやら助手が多いと手が余る、というものでもないようで、以前と変わらず、忙しい毎日を送っていた。
「アントニー、そろそろ休憩になさっては?」
黙々と肥料を与えていたアントニーに、おしぼりを手渡す。
「あ、ありがとうございます!」
頬を赤らめたアントニーの指先が、私の手に少しだけ触れてくる。
うっかり触れてしまって驚いたのか、彼は慌てたように手を引っ込めておしぼりを落としてしまった。
「ああっ、レイラ様、申し訳ありません……」
「大丈夫、もう一本ありますから。お昼はキッシュでいいかしら?」
バスケットからおしぼりを取り出して手渡すと、彼は物悲しげに視線を落とした。
「貴女様に炊事係のような真似をさせてしまい、わたしは心苦しいです。ユーゴ先生にはわたしから説明しますので、どうか室内にお戻りください。庭仕事などしては、清い手が汚れてしまいます」
「……アントニー、この手をよく見て。他の人と何も変わらないただの女の手よ」
小さくため息をつき、両手を差し出す。
私を気づかい、丁寧に扱ってくれているはずなのに、彼の言葉はなぜか、何一つとして嬉しくない。
だけど、アントニーには私の言いたいことが伝わらなかったようで、さらに苦しげな表情を浮かべてきた。
「レイラ様、ご無理をなさらないでください……貴女様は清き巫女。仕事などしなくてもいいお立場なのですから」
「料理も庭仕事も全部、私がしたくてしていること。それを止める権利はあなたにはないでしょう?」
わからずやなアントニーに、自身の口元がとがっていくのがわかる。
どうやら彼は、私がしたくもない仕事を無理矢理させられていると本気で思っているようだ。
どうすれば、アントニーはわかってくれるのだろう。
あまり表情のないこの顔と、口下手な自分の性格が嫌になる。
アントニーは、真面目で仕事熱心、それでいて気づかいもできる素晴らしい人。
実際、町で聞いた彼の噂は、誠実、優しい、爽やかと、よいことばかり。
彼を慕う者も多く、女性たちが彼の心を掴もうと躍起になっている、という話も聞いた。
だけどなぜか私は、そんな彼のことが少しばかり苦手だった。
気まずさから視線を背けて花壇を見ると、昨日まではなかったものが視界に入る。
ピョコピョコと生えているあれは、小さな双葉だ。
「ねぇ、ユーゴ! ようやくBブロックの芽が出たわ!」
立ち上がって叫ぶように言う。
こんなに大きな声が出るのかと、自分のことなのに驚いた。
「何! すぐ行く!!」
言葉通りユーゴはすぐにやって来て花壇の前に座り込み、土の様子や芽を観察しながら、流れるように文字を書き込んでいく。
私はその隣に座り、彼の子どもみたいな横顔を飽きることなく眺めていた。
――・――・――・――・――・――・――・――
一人で過ごしていた頃は毎日が退屈で一日一日が長かったのに、ここに来てからはあっという間に時が過ぎていく。
早いもので、もう十ほどの月が流れて、厳しい冬を迎えていた。
窓の外を見ると、闇夜に雪がちらついている。
どうりで寒いわけだ、と、編み物を中断し、膝掛けを退けて立ち上がった。
研究室にこもるユーゴに、温かいお茶をもっていこうと思ったのだ。
ポットに茶葉を入れて蒸らし、カップに注ぐ。
ポットごと持っていくとあのユーゴのことだ、“場所を取って邪魔だ”と言い出す可能性がある。
容易にそのセリフが想像できて、くすりと笑った。
研究室は最奥の部屋。
嫁いだ日から入るなと言われ続け、未だ足を踏み入れたことがない場所だ。
でもきっとそれは、勝手に部屋を荒らされたくないということなのだろうし、彼がいまそこにいるのだから、お茶を渡すくらいは大丈夫だろう。
そう考えて、片手にはカップが載ったトレーを、もう片手にはランタンを持ち短い廊下を歩く。
研究室の扉が少し開いているのだろうか。
灯りが漏れている。
両手が塞がっていてノックもできないため、ドアの前に立ちユーゴの名を呼んだ。
「ごめんなさい、ユーゴ。開けて欲しいの」
すると、慌てたようなドタバタとした音が聞こえ、勢いよく扉が開かれる。
現れた彼の顔は、いつもの姿からは想像つかないほど、怒りの感情をあらわにしていた。