助手
早いもので、ユーゴの妻となり、彼の手伝いをするようになってから三ヶ月の時が経った。
少しずつ仕事も覚えて、最初は難しくてやらせてもらえなかったことも、徐々にだけど任せてもらえるようになってきた。
それが信頼されているようで嬉しくて、もっと彼の役に立って、頼られる存在になりたいと思ってしまう。
忙しいユーゴの力になれることが、私にとって一番の幸せで。
こんな何気ない穏やかな毎日が永遠に続けばいいと、そんなことを願った。
――・――・――・――・――・――・――・――
「今日、アントニーが仕事に戻ってくる」
今朝、一緒に朝食をとっているとき、ぽつりとユーゴが言ってきた。
ユーゴによると、アントニーは助手のようで、自身の研究の調査のため、しばらく休職していたらしい。
心の中が、ひどくモヤつく。
本当の助手が戻ってきたら、私はもう邪魔な存在になってしまうのだろうか。
これまでのようにユーゴに必要とされることもなくなり、また孤独な家で一人、やりたくもない編み物をしながら一日中時間を潰す。そんな日々が戻ってくるのかもしれない。
そう思うと、胸の奥が痛くて苦しくて仕方なかった。
朝食の片付けを終え、いつものように裏庭で一人黙々と雑草を抜いていると、後ろから足音が聞こえてくる。
「レイラ様、お初にお目にかかります」
聞き覚えのない声がして振り返ると、いかにも真面目そうな男が深々と礼をしていた。
二十代前半くらいだろうか。
焦げ茶色の髪をぴしりと整えた彼は作業着を着ているが、まとう雰囲気が取っつきづらい兵隊のようにも見える。
「貴方は……?」
手についた泥を払って立ち上がり、首をかしげた。
町でも教会でも、こんな男を見た記憶はない。
男が顔を上げてきて、視線が交わる。
すると、彼はなぜかはっと息をのみ、慌てたように後ずさってきた。
「ッ、レイラ様がまさか、こんなにもお美しい方だったとは……」
惚けたように呟く彼に戸惑い、自分の眉が自然と寄っていくのがわかる。
「どちらさまでしょう? もしかして、教会の方?」
不思議に思って尋ねると、男は穴が開きそうなほどに私のことを見つめてきながら、口を開いた。
「いいえ。わたしはユーゴ先生の助手をしております、アントニーと申します」
「……ああ。今日調査からお帰りになるという。夫から聞いています」
助手になど、戻ってきてもらいたくはなかったのに。
そんな思いから、返答も大人げなくそっけないものになってしまう。
アントニーはそんな私のことを嫌だと思ったのか、よくわからないけれど苦しげに視線を落とし、ひそひそと言葉を発してくる。
「ユーゴ先生は……ひどいお方でしょう? 功績はあれど、研究に心を奪われ、人としての情を失くしています。レイラ様を大切にしてくださるとは思えないし、このままでは貴女様があまりにも不憫です。司祭様に相談をされたほうが……」
アントニーの言葉に、腹の底からふつふつと熱い何かが煮えたぎってくる。
彼の言うことはもっともで、何一つ間違ってはいない。
ユーゴは金銭目的で私と結婚し、巫女の夫としての使命を果たす気もさらさらない。
大切にされているかと聞かれれば、首を傾げてしまうくらいだ。
それなのに、どうして私はこんなにも頭に血が上っているのだろう。
これまで、こんなことはなかったのに。
「ご心配いただかなくとも、ユーゴは私には勿体ないくらい素晴らしい夫。この結婚に後悔など、ひとつもありません。私が不憫だなんて、勝手に決めつけないでください」
自身の作業着をぎゅっと握りしめて淡々と言い放つと、アントニーは何故か、悲しげな顔をして微笑んできた。
「レイラ様……そのお姿と同様、心も清いお方なのですね。いずれ、貴女様はわたしが必ず……」
彼は何やらブツブツと話していたが、そんなことはもうどうでもよかった。
自分でもよくわからないが、彼とこれ以上話すのが苦痛だと、そう思ってしまったのだ。
彼は用事があったのかすぐにどこかへ行ってしまい、気が抜けた私は大きなため息をついた。
「何を話していたか知らないけど、僕が素敵な方? よくもまぁ、思ってもない言葉をそんなふうにすらすら吐き出せるもんだね」
私たちの会話が聞こえていたのだろう。
植え木の陰からユーゴが現れて、いつものように毒を吐いてくる。
すぐそこにいたのなら、早々に出てきて欲しかった、と、思わず口を尖らせた。
「思ってもない言葉? 冗談はよして。本当にそう思っているからこそ、こうして腹を立てているんですから」
自然と口からこぼれてきた言葉に、自分で驚く。
ユーゴは名ばかりの夫で、ただの同居人。
互いに利があるから、私たちは共にいるだけ。
そう思っていたのに。
いつのまにか心のどこかで、彼のことを家族同然に思ってしまっていたようだ。
ユーゴも私の言葉が予想外だったのだろう。
いつも毒を吐く口も言葉を失い、ぽかんと開かれている。
その顔がなんだか面白く思えて、くすくすと笑い声が溢れ出てしまう。
こんなふうに笑ったのは、一体いつぶりのことだろう。
「ねぇ、ユーゴ。私は本当に、ここに来れてよかったと思ってる。あなたはひねくれているけど、誰よりも自分に正直な人。一緒にいるとね、不思議と落ち着くの」
素直に想いを口に出す。
思えば、特別扱いをせず、他の人と同じように接してくれたのは、ユーゴがはじめてだ。
ユーゴのそばが落ち着くと思うのは、もしかしたら彼のそういう態度が関係しているのかもしれない。
「君こそ、冗談はよしてくれよ」
彼はふんと鼻を鳴らし、顔を背けて去っていく。
赤い花が咲く木の下を通ったからだろうか。
わずかに見えた耳たぶが、花と同じく色づいているように見えた。