汚れ役
私の話にあまり興味がないのか、ユーゴはスケッチを再開し、口を開いた。
「ふうん。まぁ、面倒を押し付けられたと思うのが普通の感覚だろうね。僕からすれば、他人のために死のうとするヤツの気が知れない」
彼の他とは違う忌憚のない言葉に驚き、思わず目をしばたたかせる。
千年前に世界を破滅寸前まで追い込んだ竜の封印を継続するには、魔力を持つとされる巫女たちの命を捧げるしかない。
世界のために死んでいくのは光栄なことで、ネラ神の力になれることが羨ましいとずっと言われてきたのに、まさかそれを否定する者がいるとは思わなかった。
傲慢で自分勝手で、植物以外にはほとんど無関心なユーゴ。
だが、これほど研究にのめりこみ、毎度常識はずれなことを堂々と言ってのける彼に、興味を抱かずはいられない。
これまでずっと、何かをしたいと思ったことなどなかったけれど、ようやく私にもやりたいことが一つ、見つかった。
「ねぇユーゴ。本当に家の中では自由にしていいの?」
「ああ、研究室にさえ入らなきゃな。勝手にするといい」
相変わらず、彼は草に熱中してこちらを見てきもしない。
だけど、そんなのは想定内だったし、言質さえとれてしまえば、どこを見ていようが関係ない。
「よかった、そうしたら、ここにいる間、あなたの研究の手伝いをさせてもらうことにしますね」
淡々と言って、立ち上がる。
私が気になるのはユーゴという人物のこと。
彼を知るには、彼の側にいるのが一番手っ取り早い。
そうと決まれば早速、動きやすい服に着替えてこなければ。
「は……!?」
ユーゴは言葉を失い、驚いたような顔で私を見つめてくる。
「自由にして、いいんでしょう?」
こくりと首をかしげると、彼は深くため息をついて呆れたように項垂れた。
「好きにしろ」
「そうさせていただきます。ありがとう」
この時から、私は彼の研究のサポートをするようになったのだった。
――・――・――・――・――・――・――・――
あれから一ヶ月の時がたち、私はユーゴの妻兼助手として毎日を過ごしていた。
ユーゴは今日も草花の研究に勤しんでいて、花壇の前でスケッチブックにグラフをせっせと書き込んでいる。
「ねぇ、ユーゴ。肥料をあげたら、次は何をすればいいかしら?」
スコップを片手に彼の背中に尋ねると、彼はスケッチに集中しながら指示を出してくる。
「次は水を撒いておいてくれ。ブロックBは……」
「撒かなくていい。でしょ?」
振り向いてきた彼の目は丸く、驚いた様子だ。
「思っていたより、ずいぶん覚えがいいね。頼むよ」
井戸から水を汲んでたっぷりと草花にあげたら、今度は昼食を作ってユーゴのもとへと持っていく。
やることがなくて編み物をしていた頃とは大違いで、ここでは毎日が忙しい。
だけど、それが不思議と嫌じゃなくて。
毎晩、今日一日でしたことを振り返り“明日は何をしよう”と考えるのに夢中になって、次の日が来るのが待ち遠しかった。
こんなことは初めてだ。
ひょっとしたら、これが久しく感じていなかった“楽しい”という感覚なのかもしれない。
「ねぇユーゴ。お昼ごはん、今日はサンドイッチなのだけど、ここで食べる?」
「君はずいぶんと気が利くね。これまで押し掛けてきた女たちとは大違いだ」
ユーゴはおしぼりで手を拭いて、ハムのサンドイッチにかぶりつき、咀嚼しながら話し出す。
「ヤツら、花に興味はあれど、草取りや虫の駆除、力仕事は嫌だと言う。汚れ役になるのはゴメンで、美しい部分だけ満喫しようとするなんて、身勝手にもほどがある」
「だから、女は嫌なんだ」とユーゴは吐き捨てるように言う。
ユーゴの言葉に“もしかして、巫女も民から同じように思われているんじゃないだろうか”と、そんな思いがふと頭を過る。
祈りの巫女だと崇められているけれど、結局自分は外れくじをひいただけ。ただの汚れ役の生け贄で、民にとっては都合のいい存在なのではないか、と。
ああ、これ以上、考えたらダメだ。
彼らの本音に気づいてはいけない。
望みなど、持ってはいけない。
また、何も感じないようにしなければ。
そうしないと、とてもじゃないが耐えられない……
深呼吸を繰り返して、必死に自分の心に言い聞かせていたのに、心の中からぷかぷかと浮かんできたのは残酷な現実。
“求められているのは、魔力を宿すお前の身体だけ”
そうしたら、私自身の……レイラ・ハーシェルが生きる意味って……何?
途端、呼吸が速く浅くなっていき、目の前がぐらりと揺れる。
あたりがだんだんと暗くなり、身体にも力が入らない。
どさりと鈍い音がして大地に頭がぶつかり、青い空が見える。
次第に薄れ行く景色の中最後に見えたのは、私の名を慌てたように呼ぶユーゴの姿だった。