悪魔の果実
「援助……金?」
次第に暗くなりゆく部屋で立ちつくし、確かめるように呟く。
ユーゴは私のことなど興味がないとばかりにランプを灯して、どっかと椅子に腰かけた。
「おや、聞かされていないのか。巫女の婿には、多額の金が与えられるんだよ。その代わり、婿候補は地位や功績のある者に限られるんだけどね」
「多額の金? どういうことです……?」
「本来は、その金で巫女を守れという意味なんだろう。でも僕は、金欲しさに君を引き取った。研究を続けていくには莫大な金がかかるから。愛や情なんか、これっぽっちもないね」
「信じられない……」
足元ががらがらと崩れていく気がした。
信仰心の欠片もなく、あまりにも身勝手。
そんな男が夫になるなど、予想だにしていなかったのだ。
それに何より、こんなふうに呼吸をするが如く、毒を吐く人間など見たこともない。
ユーゴは机の上に置かれたオレンジを器用にナイフで剥きながら、くくくと笑う。
「だけど、愛がないのは君も同じだろ。まさか、出会ったばかりで僕を好きになった? ま、あり得なくはないか。僕の功績に釣られる女は山ほどいたからね」
「納得したわ……町娘たちのあの目」
「何とでも言うがいいさ。だけど、あの司祭に真実を伝えるのはよしたほうかいい。君のためにもね」
「私のため?」
別に司祭様に伝えたところで、新しい夫が割り当てられるだけ。
私には何の得もない代わりに、何の損もないはずだ。
だが、彼は剥いたオレンジを手にして立ち上がり、自信に満ちた表情でこちらへとやってきた。
「そう、君のため。僕は子どもが大嫌いだ。うるさいしわがままな上に、すぐ泣く。だから、父親なんかになるつもりはない」
「だけど、それは……」
「契約違反? そうかもね。だけど、どうして司祭にそれがわかる? 努力しても子を授からない夫婦だって、そこらじゅうにいるのに」
ユーゴは眼鏡をかけ直して、にやりと笑う。
その表情からも、彼はネラ教会に対して少しも尊敬の念を抱いてないことが、手に取るようにわかった。
「もしかして、偽装結婚をするつもり……?」
「箱入りのわりに、理解が早くて助かるよ。結婚の儀での誓約書にはこう書いてあった。“結婚後、二年を経過しても子をなさぬ場合、この結婚は解消することとなる”ってね」
「あきれた……あなたは教会を騙して、お金だけもらうつもりなのですね」
欲深い思考に、深いため息がこぼれ落ちる。
巫女は最も神に近いと言われているのに、その夫がこんな男でいいのだろうか。
教会の審美眼は全くと言っていいほど当てにならないようだ。
「だけど、そのかわりに君には二年間の自由がある。愛してもいない男に抱かれなくて済むし、家の中でなら好きなことをして構わない。互いに利がある結婚だとは思わない?」
ユーゴは先ほど剥いたオレンジの半分を私に向かって差し出してくる。
自由……
これまで、そんなものを考えたことはなかった。
自分には縁遠く、望んではいけないものだったから。
爽やかな柑橘の香りに頭の中がぐらりと揺れる。
「偽装結婚のことは聞かなかったことにして、このまま二年間貴方の妻として過ごします。何があったって受け入れるって決めて嫁いだんだから」
ユーゴから受け取ってしまった悪魔の果実を口にすると、魅惑的なほどに甘くて酸っぱい味がした。