断罪の谷
本日投稿2話目です。
本日はあと1話投稿予定です。
明日完結予定です!
「あの人が、死ん、だ……?」
殴られたのかと思うほどに頭が痛み、思考が止まる。
死んだ、とは一体どういうことなのだろうか。
「レイラ。一緒に行きましょう……ユーゴ、町外れの崖で待っているから」
ジェーンはポロポロと涙を溢しながらそう言ってくるけれど、彼女が泣いている理由が全くわからず、首をかしげた。
昨晩ユーゴは間違いなく、朝には帰ってくると言ったのだ。
あの人はひねくれてはいるけど正直で、嘘を言うような人じゃない。
「出掛けるのは構わないわ。だけど、帰ってきたらユーゴはお腹がすいていると思うの。サンドイッチを用意しておいてからでもいい?」
「ッ……レイラ! ユーゴはいない……もういないのよ……」
ジェーンが私とリディアを強く抱き締めてそんなことを言ってくるけれど、いないとはどういうことなのだろう。
頭がぼうっとしてしまってわからないまま。
夢なのか現実なのか判断がつかないまま、ジェーンに連れられて町外れの崖へと向かった。
崖下にはすでに大勢の人が集まり、ざわめきたっていた。
そんな光景も、どこか別世界の出来事のようでふわふわとして見える。
腕の中のリディアも異様な雰囲気を察したのか、いつもは泣き虫なのに、口をきゅっと閉じて怯えたように身をすくめていた。
「あそこにいるわ……」
ジェーンが指差した先には、白い布をかけられた人が横たわっていた。
頭のあたりの布に血が滲んでいる。
きっと、あそこで倒れている人は、頭から転落したんだろうな、なんて考えていると、ジェーンが私の代わりにリディアを抱っこしてきて。
「もしかしたら、もうここでお別れかもしれないから」と、肩をそっと押してきた。
白い布をかけられた人はきっと、私の知らない人。
頭ではそう思っているのに、心がざわざわと落ち着かない。
一歩一歩、足を進める。
布から微かにはみ出したふわふわとした亜麻色の髪、隣に落ちて中身が散らばった彼のお気に入りの鞄、庭仕事であちこちに泥がついてしまった靴……
近づけば近づくほどに、そこで横たわっている人が私の夫なのだと確信してしまう。
「ねぇ、ユーゴ。どうしてこんなところで寝ているの?」
困った人ね、と、隣に座り込んで微笑んだ。
しんとあたりは静まり返り、風の音だけが駆け抜けている。
望む返事はいつまで待っても、得られない。
次第にあふれ出した涙で景色は滲み、あたりがぐにゃりと歪んだ。
残酷な現実など、これ以上見たくもなくて、強くまぶたを閉じていく。
このまま目を開けたら、悪い夢から目覚めていますようにと、はじめて強く神に祈った。
――・――・――・――・――・――
「レイラ様、目覚められましたか」
聞き覚えのある嫌な声で目を覚ます。
この声は……アントニーだ。
なぜか私は自宅にいて、ベッドに横たわっていた。
「お加減はいかがです?」
ゆったりと尋ねてくる声に、ほっと息を吐き出す。
やはりあれは、ひどい夢だったのだ。
「アントニー。ユーゴはどこにいるの? いますぐ会いたくて。申し訳ないけれど、呼んできてくれるかしら」
起き上がって前のめりになりながら言うと、彼は視線を落とし、静かに首を横に振ってきた。
「彼は今朝、転落事故で死にました」
「……ッ! そんなの嘘よ!! それに、リディアはどこ!?」
いつも隣で眠っているはずのリディアがいないことにも気づき、アントニーの胸ぐらを両手で掴む。
殴りかかるつもりで掴んだのにアントニーは動揺することもなく、困ったような表情を浮かべて、小さく息を吐き出してきた。
「嘘なんかじゃありません。レイラ様もご覧になったはずですよ。彼の最期をね」
「さい、ご……ただの悪夢じゃ……なかったの……?」
アントニーは嘆く私に追い討ちをかけてくるように「悪魔の子はジェーンが、隣の部屋で預かっています」と話してくる。
彼の言葉に、自分の血が一斉に引いていくのがわかった。
「悪魔の子!? まさかリディアのことを言っているの? もう、わけがわからない……」
次から次へと受け入れがたい言葉が飛んできて、悪い夢を振り払おうと、強く首を横に振る。
自分の身体じゃないみたいに、がたがたと全身が震えて呼吸をするのさえ苦しい。
「レイラ様、落ち着いてください」
アントニーが私をなだめようと手を伸ばしてきたため「触らないで」と一喝した。
ユーゴ以外の男に、しかも私に対して恋慕の情を抱いていそうなアントニーに触れられるなど、絶対に嫌だった。
「ユーゴ先生は、貴女様と娘をここから逃がそうと企んでいました。巫女の使命を妨害しようとしていたのです。リディアはそんな、罪深き悪魔の血を継いでいます。もう、諦めた方がよいでしょう」
拒絶されたアントニーは悲しそうに眉尻を下げ、またわけのわからないことを言ってくる。
ユーゴが私たちを逃がそうとしていた?
そんなはずはない。だってあの人は……
それに悪魔の血に、リディアを諦める、って何がどうなっているの……!
愕然として、言葉を失う。
そんな私を憐れと思ったのか、何なのか。
アントニーは視線をそらしてきて、苦しげに口を開いた。
「先生は貴女様を穢そうとしていました。神の裁きが下ったのでしょう。明日の朝、彼の亡骸も断罪の谷へと落とされます」
「断罪の谷!? 何を馬鹿げたことを! いますぐ撤回して! ユーゴもリディアも悪なんかじゃない!」
静かな部屋に怒声が響き渡り、すぐに消えた。
その様が、私の声など誰にも届かないことを暗示しているようで、焦りが募る。
断罪の谷は、穢れた怪物たちの根城。
そこに落とされた罪人は怪物に食われて消滅し、新たに谷底を徘徊する怪物へと成り果てると、言われている。
そうなってしまえば、死後、二度と愛するものと再びめぐり逢うこともできなくなるのだ。
アントニーを振り払い、ユーゴとリディアを守るため、ずかずかと隣の部屋へと向かう。
ドアを開けると、ジェーンとハンス司祭、青い衣装をまとった兵士がおり、ジェーンは険しい顔をして、怯えた様子のリディアをぎゅっと抱き締めていた。




