リミット
仮初の夫婦だったはずなのに、いつの間にか私はユーゴに恋をしてしまっていた。
彼の隣にいられる時間が楽しくて嬉しくて、幸せで。
彼の温もりに触れている間だけは、不安も恐れも苦しみも全部なくなっているような気がした。
だけど、子を成さぬ限り、私たちが夫婦でいられるのはたったの二年間だけ。
そのことは私もユーゴも、ちゃんとわかっていて。
わかっていながら、一度として話題に出さなかった。
理不尽で残酷な現実など、見たくはなかったから。
そうこうしているうちに、ユーゴと過ごせる最後の日まで、あと半年ほどしか残された時はなくなっていた。
「こんにちは、レイラ」
だんだんと空気が冷たい季節になり、久方ぶりにハンス司祭が家を訪ねてきた。
彼がここに来るなど滅多にないこと。
嫌な予感が、つのる。
「司祭様、どうされたのです……?」
恐る恐る尋ねると、司祭様は困ったように微笑み、奥にいるユーゴにも視線を送ってきた。
「今日は大切な話があって参りました。ユーゴ氏にも聞いてもらいたい話です」
どんな話なのかわからないけれど、どうやら良い話ではなさそうだ。
ユーゴと私は顔を見合わせて表情を強張らせ、ハンス司祭を家に招き入れた。
――・――・――・――・――・――・――
「レイラ。貴女には来月、離婚と再婚をしていただきます」
突然放たれたハンス司祭の言葉に、ひゅっと喉が鳴り、声を失った。
「お言葉ですがハンス司祭、結婚時に交わした誓約書には、リミットは二年と書かれていました。本来なら、あと半年近くの時があるはずです」
ユーゴが刺々しい声色で言い放つと、司祭様は首を横に振ってきた。
「もうすでに一年半も待ちました。子を成すのにこんなにかかるということは、きっとご縁がなかったのでしょう」
「そんな……」
愕然としてしまい、目の前が暗くなる。
まるで、ひどい悪夢を見ているかのようだ。
「また明日、正式な書状が出来上がりますので、そちらをお持ちしますね」
司祭様はそう言って去っていき、部屋の中にユーゴと私が取り残される。
あまりの衝撃に心が現実を受け入れるのを拒絶しているのか、涙さえも出てこず、放心状態となってしまう。
私たちは何も言えないままで、あたりには静寂が満ちていく。
やがて、隣の椅子に腰かけているユーゴが、まっすぐに私を見つめてきて、静かに口を開いた。
「レイラ、僕は子どもが嫌いだ。だけど、君との子なら欲しいと思える。僕はまだ、君を離したくなんかないんだ」
あまりにもまっすぐな瞳が苦しくて、彼の目を見ることができず、視線を落とす。
「貴方と子をもうけることができたら、どんなにいいか。だけど私は、こんな呪われた宿命をユーゴとの子に与えたくない。そんなのは、嫌なの……」
「だけどこのままだと君は、二ヶ月後にここを離れ、よく知らない男のもとに嫁ぎ、夜伽をさせられる。本当にそれで平気なのか!?」
ユーゴは睨み付けるように私を見つめてきて、怒りに満ちた刺々しい声で尋ねてきた。
それがまた、苦しくて辛くて。
机に突っ伏し、わあっと声を上げて喚くように泣いた。
「そんなの嫌に決まってる! もう、いっそのことこのまま死んでしまいたい……」
大切な妹に巫女の宿命を渡したくない。その一心で生きていたけれど、もう限界だ。
ユーゴ以外の男に触れられるなんて、考えるだけでもおぞましくて吐き気が止まらない。
ユーゴはそんな私を、壊れてしまいそうなほどに強く抱き締めてきて、私もすがりつくように広い背中に手をまわして涙を流し続けた。
翌日、宣言通り司祭様が封筒を持ってやってきた。
なんとそこには、次の夫の名前や次に向かう町までも書いてあるらしい。
私は泣き腫らした目で、ユーゴは憔悴した様子で司祭様の言葉を聞いた。
「昨日もお伝えしましたが、正式な書類ですので、読み上げさせていただきます。レイラ・ハーシェル。世継ぎを授からぬため、来月中に離婚と再婚をすべし。次の婿はアクアテーレの……」
「ううっ……」
次の婿について話された時、突如として吐き気がこみあげてくる。
このままではまずいと、慌ててトイレへ駆け込んだ。
我慢などできずに、すぐに胃の内容物を吐き出し、トイレの前で座り込んだ。
喉が焼けるようなヒリヒリとした感覚と、口の中に広がる嫌な味とに、また吐き気が込み上げてくる。
「レイラ、大丈夫か!? 気分が悪いのか!?」
ユーゴが駆けてきて、私の背中を何度もさすってくれる。
だけど、気分が悪くなるのも無理はない。
最近なぜか寝つきが悪くて寝不足で、昨日と今日とで司祭様からこんな話を聞かされているのだから。
そう思っていたら司祭様がやってきて、どこか嬉しそうな顔で口を開いた。
「男の身でこのようなことを聞くのは憚られますが、レイラ、貴女先月、月の物は?」
月の物……そういえば、毎日が忙しくて忘れていたけれど、きた記憶がない。
首を横に振ると、司祭様はにこりと笑みを浮かべ手に持っていた封筒をローブの中にしまいこんだ。
「なんと! これは、世継ぎの可能性が高いですね。この件は一時撤回といたしましょう」
吐き気も落ち着き、私たちは司祭様を玄関先で見送る。
司祭様の姿が見えなくなった途端、大粒の涙がぼろぼろと溢れてきて、その場にへたりこんだ。
両手でお腹を抱え込み、震える声で言う。
「最低な母親でごめんなさい。こんな宿命を背負わせて、本当にごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
身体を丸め、謝罪の言葉を狂ったように繰り返す。
授かったとわかった時、愛しい人の側にいられるのだと、ユーゴ以外の男に抱かれずに済むのだと、ホッとしてしまった。
こんな宿命を、愛する人との子に渡したくなどなかったのに……
「私に、この子の母親になる資格なんてない」
泣きじゃくりながら言うと、ユーゴがそっと抱き締めてきて、首を横に振ってきた。
「レイラ、そんなことを言わないで、どうかこの子を産んでくれ。この子は僕らの大切な子ども、巫女なんかにはさせない」
お腹にあててきた大きな手が温かい。
胎動などまだあるはずもないのに、ころんと中で小さな何かか動いているような気がした。
「巫女にさせない……」
そんなことが本当にできるのだろうか。
彼の目を見ると、真剣な眼差しをしていた。
「任せてくれ、僕がなんとかしてみせるから。せめて、この子が三歳になるその時までは、運命を呪って悲しむのはやめてくれないか」
こくりとうなずいて、涙をぬぐう。
ユーゴがまっすぐに目を見てくれるときは、嘘や偽り、やましいことのないときだ。
きっと、なにか考えがあるのだ。
ユーゴの言葉を信じて、彼とこの子と共に生きる覚悟をここで決めよう。
幼い子一人くらい、ひょっとしたらどうにかできるかもしれないから。




