問題ありの婚約者
長岡更紗さま主催「アンハピエンの恋企画」参加作品です。
針を動かし、ただひたすらにレースを編む。
こうしている間だけは、余計なことを考えずにいられるから。
孤独なこの家は私のための牢獄。
そこに突如としてノックの音が響き渡った。
恐らく看守……いや、私の世話役である司祭様だろう。
「どうぞ、鍵空いてますので」
編み目をずらしたくないため、顔も上げずに言う。
「お邪魔しますよ。レイラ、今日もまた編み物ですか」
入ってきたのは、笑みを浮かべた中年の男性。
ネラ教会のハンス司祭だった。
「ええ。テーブルクロスを作ろうと思って。ところで今日は何のご用事でしょうか?」
首をかしげて尋ねると、彼はどこからか金色の封筒を取り出し、嬉々とした様子でそれを掲げた。
「大変めでたいことに、明日は貴女の十八の誕生日。つまり嫁入りの日です。結婚相手はミディ町のユーゴ氏。本部から、嫁入りに関する手紙を預かっていますので、代……」
「いえ、代読は結構です。明日もすべて、あなた方の指示に従いますから」
編み途中のテーブルクロスを机に置いて、自嘲気味に笑う。
もう、すべてがどうでも良かった。
明日、ユーゴとかいう男と結婚させられることも、その男の子どもを生まされるであろうことも。
そして……いずれは自分も父のように、平和の存続のために生け贄にされるであろうことも。
「レイラ、貴女はいつも理解が早くて助かりますよ。荷物は私が運びますゆえ、まとめておいてくださいね。もちろん、そちらもお持ちいただいて構いませんよ」
彼は、完成間近なテーブルクロスを指差してくる。
「ああ、これですか? 帰りのついでに捨てておいてください、もうただのゴミですから」
ぐしゃぐしゃに丸めて手渡すと、ハンス司祭は承知しましたと穏やかに笑っていた。
用件を伝えてきた彼はすぐに去っていき、部屋はまた静まり返る。
ぼんやりと窓の外を見ると、丘に少年がいた。
木陰で本を読んでいる様子で、キラキラと目が輝いているように見える。
冒険小説でも読んでいるのだろうか。
ありふれた生活が羨ましくて、こぶしを強く握りしめ、視線を落とした。
『祈りの巫女』と呼ばれ、民衆から崇められている私には、ネラ教会が定めた多数の制約があった。
文字を学ぶことを許されず、人と会うのも外を出歩けるのも日が落ちるまでの間だけ。
退屈な時間を埋めるため、お酒にすがってみたいとも思うけど、それさえさせてもらえない。
他人とは違う『祈りの巫女』の宿命を背負った私は、来るべきその日のために清く正しく生きることを強いられているのだ。
まるで、柵の中で命を管理され、死の瞬間を待つ家畜のように。
翌朝、馬車に乗った私たちは村を出て、二日がかりでミディ町へとたどり着いた。
思いの外、道中に時間がかかっていたのだろう。
結婚相手と顔を合わせる暇もなく、到着してすぐに結婚の儀を執り行うこととなった。
どれほど大変な儀式なのかと思いきや、真っ白な衣装に着替えて司祭様の言葉を聞き、書類に血判を押すだけ。
たったそれだけ。
それで結婚したと認められるのだから、夫婦とは一体何なのだろう。よくわからない。
私に続き、隣で同じように血判を押している男をちらと見やる。
ユーゴとかいう名前の彼は、ちょうど三十歳という話だったが、童顔なのか若く見える。
柔らかそうな亜麻色の髪はふわふわとしていて、眼鏡の下にある目はどこか退屈そうだ。
そんな彼は、いまから私と夫婦になるのにも関わらず、一度たりとも視線を合わせてこようとしなかった。
儀式が終了し、着替えを済ませて司祭様と外へ出ると、ユーゴが待っていた。
司祭様は私の嫁入りと共に、ミディ町へと転勤になったため、道には詳しくない。
そのため、彼が家までの案内をしてくれることになったらしい。
ユーゴが言うには、べたっとした風が吹くこの町は港町なのだそうだ。
猫に似た声で鳴く鳥や潮の香りなど、ここはこれまで知らなかったことに溢れていて、いかに自分が小さな世界で生きてきたのか思い知らされる。
ちらと隣を歩く二人を見やると、彼らは楽しげに植物についての話をしていた。
「レイラ、よい相手に巡り会えましたね。ユーゴ氏は博識で素晴らしい人物で、ここも美しい町だ。幸せでしょう?」
「はい……」
視線を落としながら頷くと、また司祭様は楽しそうにユーゴと話を続けていった。
どうも司祭様の話によると、ユーゴは有名な植物学者らしく、彼の発見から様々な薬が開発されてきたのだそうだ。
つまりは、研究者としては高い能力があるのだろう。
だが、素晴らしい人には、とても思えなかった。
数日前まで住んでいた村の男たちは、三十歳になっても独り身でいたことなどない。
彼と視線が合わないことも、不気味で仕方がない。
そして、町の女たちが、ユーゴを見てヒソヒソと話す様子からしても、何らかの問題を抱えているとしか思えなかった。
「ここが僕の家です」
町外れの高台についた彼は、にこやかに微笑んで門扉を開けた。
一本足がひしゃげたポストに、赤い屋根。
レンガ造りの可愛らしい家だ。
何より目をひいたのが、庭のあちこちで美しく咲き誇る花たちだった。
「素敵なお庭ですね」
ここまで多くの草花が植えられている庭を見たことがなくて、感嘆のため息が自然とこぼれてしまう。
一方の司祭様はにこにこと微笑み、手近な花に触れた。
「特にこの大きな白い花が美しい。下には雑草が生えてきているようですし、育てるのも大変でしょう?」
「さすが司祭様ですね、目の付け所が違います」
相変わらず視線は合わないけれど、穏やかな態度と美しい庭に、司祭様のいう『ユーゴが素晴らしい人物』というのは、本当のことなのではと思い始める。
仮にも、世界をまとめる……いや、もはや支配していると言っても過言ではない教会だ。
世界を救う巫女の結婚相手に、おかしな男を引き合わせることはしないだろう。
知らず知らずのうちに、微かな希望にすがりついていると、ハンス司祭が玄関の前で私の肩を叩いてきた。
「レイラ、お役目のためにも、早く授かると良いですね」
その言葉に、ぞわぞわと背中に悪寒が走り、血の気が引いていく。
見知らぬ男に嫁ぐことを強要し、早く次の生け贄を産めと言う。
そんな酷いことを、彼はどうして笑顔で口にできるのだろう。
狂信的に神を崇拝するあまり、巫女も同じ“人”であることを忘れてしまったのかもしれない。
「ご安心ください、僕がレイラ様をお守りいたしますので。では」
ユーゴは私を家の中に通してきて、玄関の戸を開けたまま司祭様を見送る。
やがて、司祭様の姿が見えなくなり、ユーゴは静かに戸を閉めていった。
「……あれが雑草だと! 知ったかぶりの阿呆が」
広い背中から、舌打ちの音が聞こえてくる。
知ったかぶり……?
阿呆……?
いまのはまさか、司祭様のことを言ったのだろうか。
いや、そんなはずはない。
ネラ教会や神職に逆らうのは、罪にも等しい行為だ。
彼の考えが読めず、不気味さから後ずさりをすると、物音がたってしまう。
それに反応するように、ユーゴはびくりと身体を震わせ、振り向いてきた。
何もかもを受け入れると誓ったはずなのに、二人きりになった恐怖から思わず身体が強張り、声も出せず視線が下へと落ちてしまう。
「あぁ、まずい。居たんだった……悪いが、いまのは聞かなかったことにしてくれないか」
「ユーゴ……?」
恐る恐る顔を上げると、ぎらぎらとした瞳が真っ直ぐに私を見据えてきていた。
「困るんだよ。せっかくの援助金が打ち切られたら、ね」
半日も共にいて、ようやく彼と視線が合った瞬間だった。