2話 修行
【サンドラ山 山頂】
――賢者グリフは修行に徹していた。
「我が前を阻む悪しき者を全て焼き尽くせ! ファイアーバースト!」
ボフンッ!
なお修行場としては、自分達が居を構える町メザーネより北東へ約2マイル。途中で放置された無人の関所を一つ超え、道中の川を上流へと辿った先にあるサンドラ山。
「ちくしょう……もう一度だ!」
理由としては至ってシンプル。
さすがに白昼堂々町中で攻撃魔法をぶっ放すわけにもいかないグリフは、人や建物を巻き込まぬように配慮し、普段から人が立ち寄らず修行を妨害するモンスターも少ないこの高所を選び、今もなお手をかざしては魔法の修行に励んでいたのだった。
「焼き尽くせ! 魔炎波!」
しかし……肝心の成果はというと――
ボフンッ!
「くそ…………また“失敗”か」
結論から言って芳しいとは言えなかった。
「ふむ……小僧よ。その魔炎波とやらの呪文は本当にそれであっているのか? 余が見ている限り、毎回“不発”に終わっているように見えるのだが――」
そして、そのグリフの様子を見兼ねてか平たい石の上で見守る女性。美しい葡萄酒色の髪をたなびかせる召喚者フィオナが声をかけた。
「ああ、間違いないぜ。本来ならこの呪文で前方に強力な炎の渦みたいなのが出て敵を飲み込んだりするんだけど……くそ! やっぱ初級魔法以外は発動すらしないみたいだ」
対してグリフにとっては現在の相棒であり、元々は自分が異世界から召喚した彼女の言葉に思わずそんな弱音を溢し始める。
「そのくせ魔力だけは消費するって……やっぱり俺には才能が無いのかな?」
けれども、それも無理もない話。
なにせここ数日の間。フィオナによる厳しい指南の元、早朝よりこうして毎日熱心に魔法の修行を続けているにも関わらず、一向に成果の上がらない日々の繰り返し。
「きっと他の賢者職の奴ならもっと上手くやってたんだろうな。それに比べて俺ときたら――」
懸命に呪文を詠唱してはボフン! と煙が掌から出るだけで不発に終わる日々を繰り返す内、グリフの中にある自信は僅かずつ失いかかっていた…………だが。
「まあまあ、そう早合点するな小僧。どんな事柄であっても極めるのならば道中は険しいものだ。それに生半可な修行で挫けるようでは成長も中途半端になってしまうぞ。だから諦めるな!」
「……まだ修行に付き合ってくれんのか?」
「勿論だ! 余は貴様の僕だからな! 主が懸命に強くなろうと奮闘しておるのに見捨てるような薄情な臣下がどこにいる!? だから今は焦らずに自分のペースで修行に励むが良い!」
「お前のそのポジティブさが羨ましいよ」
魔法の修行が上手く進まずに悩む主人の言動に対し、召喚者フィオナは厳しい修行を強いつつも彼を励ますように前向きな言葉を並べていった。
「それに、以前に『望みの魔宮』の番人と戦った際にも余が言っただろう? “一芸に秀でる者は多芸に通ず”と。そして今の貴様はまさにこの典型であるとな」
「ああ、分かってるよ。だから俺はこうして自分が扱える初級呪文。炎属性の【ファイアーボール】に氷属性の【アイスボム】。風属性の【ウィンドエッジ】の三種の中で、まずは炎属性を強化しようと朝から頑張ってんだろ?」
「そうだ。前にも言ったが貴様には“多くの魔法を扱える素質”がある。これは事実だ。余は下手な嘘で人をぬか喜びさせる気など毛頭無い。だからこそ余は貴様の抱く理想。何人も寄せ付けぬ偉大なる大賢者へ成り上がり、嗤ってきた者を見返すという大きな夢を実現すべく忠を誓った」
「お、おう……そうだったな」
フィオナの言葉に思わずグリフは頬を掻く。
理由はギルドから追放される前までは他のギルドから役立たずと陰口を叩かれ、追放される際には使えない奴と罵られてきた彼には未だに他者から向けられる称賛に慣れずにいたせいだろう。
まして堂々と己の強さを主張できる武人肌という真逆な性格に加え、年頃の男性としては色々と反応してしまう美貌を併せ持つフィオナの言葉だったからこそ――
「うん? どうした小僧。顔が赤いぞ? 熱があるなら休むか? あまり無理して鍛錬を行っても逆効果だしな。また明日にでも続きを――」
「いや……別にそういうワケじゃないんだ。気にしないでくれ。あと別に熱とも無いからな!」
「うんん? おかしな小僧だな」
グリフはここまで途中で投げ出したりせず、自分に忠を誓い付き従ってくれる彼女の期待に応えるべく、怠ける事も無く励んでいたのであった。
「まあ、とりあえずだ。余が思うに魔術や呪文を扱う秘訣はとにかく“想像力”だ。己が放つ呪文の形を思い描き実現させ敵を討つ。これは武術の面でも似た所があって、精神的な余裕を持って己が相手を打ち倒す姿も想像出来ないようでは圧倒するのは難しいといった具合だな」
すると休憩を挟めと言わんばかりにフィオナは水入りのボトルをグリフへと投げると、己が考える【技】という概念について触れ始めた。
「呪文の……イメージ」
「そうだ。ただ漠然と本に載っているような呪文や独自の呪文を口にするだけでは本来の威力は出ない。これは余の【黒雷の魔死槍】とて同じだ。敵の身を確実に穿ち貫くという強固な意思が威力を跳ね上げる」
「……なるほどな。想像を現実に変える為に“技の形”をより鮮明にするって事か。お前の魔槍といい、本当に分かりやすい例えだぜ」
渡されたボトルの水を口に含んだグリフは、フィオナが自分へ伝えたい事を要約して納得する。
魔法、武術問わず【技】とは空想の延長線。
相手を倒す為。身を護る為。何かを調べる為など種類こそ様々だが、いずれも実現したい光景を思い浮かべて具現化するのが技の本質であると、
「ふふ、流石は聡明な我が主だ。そう、だからこそ今の貴様はまだ技のイメージが固まっていないだけなのだ! だから焦る事は無い。自分の要領でコツを掴め! 魔宮ダンジョンで余を勝利へ導いたあの索敵スキルの応用のようにな!」
主従の関係こそあれど師匠らしく、フィオナは己の弱さに向き合い今も切磋琢磨するグリフの頑張りを評価し、彼女なりに挫けぬよう今日もこうやって応援するのだった。
「よし! では今日の修行はこれでお開きにしてそろそろメザーネの町へ戻るとしよう。あまり根を詰めてしまっては続くものも続かぬからな」
「……賛成。俺も丁度朝からぶっ通しでヘトヘトだ。それに今日はボロドの旦那と待ち合わせもあるからな。そうだなぁ……今から町に戻ったら丁度待ち合わせの時間ぐらいってところか」
「おお、そうだったな。では余も昨日伝えていた通り、今頃町中で盛大に開かれている月に一度の『ばざー』とやらを楽しませてもらうとしよう」
そうして今回もグリフにとっての芳しい成果は得られなかったが、そう指南役を預かるフィオナの指示の元。本日の修行を切り上げ、自分達の住まう町メザーネへと戻る準備を整え始め、
「あっ、そうだ。頼むからあまり金使い過ぎないでくれよ。いくら蓄え自体があるとはいえ、今財布を預かってるのお前なんだからな。あと間違っても盗賊にスラれたりすんなよ。それには今月分の食費も入ってるんだからなっ!?」
「ふふふ、分かっているとも。余を誰だと思っているのだ! 新しい物好きで何でも挑戦したくなる女帝だぞ!? そうだな、まずはやはり甘味な物を片っ端から買い集めてそれからは――」
「俺の話聞いてました!?」
「あははは、冗談だ。では町へ戻るとしよう」
「ったく、もう……笑えない冗談だぜ」
財布の末路を気にしつつもグリフは飲み終えた水のボトルや、呪文発動の参考にしていた魔道書などの荷物をポーチへ詰め終えた…………すると?
「なあ……今更なんだけど、一つだけ気になる事あるんだけどさ。聞いても良いか?」
「うん? 別に構わんが。気になる事?」
「ああ、俺も言えた義理じゃないんだけど、この前に真名を預け合ったのに、まだお前は俺の事を“小僧”って呼ぶのか? まあ呼ばれ慣れた感じするから怒ってるとかじゃないんだけど」
荷物を纏め終えた直後。
グリフは草場から立ちあがった際、気掛かりだった【呼称】についてを問いかけていった。
「あ、ああ……なんだその件についてか」
自分であればグリフ・オズウェルド。
フィオナであればフィオナ・スカーサハと以前にお互いに大切な真名を預け合ったにもかかわらず、未だ小僧呼ばわりしてくる理由を――――
「じ、実はそれなんだが……実は“名前”で互いを呼び合うのは……なんと言うか恥ずかしいというか。そういうのは恋仲になってから――」
「乙女か!? お前は恋する乙女か!?」
想像以上にどうでもいい理由だった!?
自分の信頼が足りていないのか。
もしくはまだ名前を呼ばれる領域まで達していないのかなど色々と勘ぐっていたグリフだったが、予想を遥かに下回る理由に全力でツッコミを入れていき、
「ふ……ふん! 当たり前ではないか! 自分で言うのもなんだがこんな性格でも余とて立派な女性だぞ!? 女性としての恥じらいなど数え切れぬ程あるに決まって…………あれ? 待てよ? 今思い返してみると余に“恥じるべき所”などあっただろうか……なあ小僧、貴様はどう思う?」
「いや俺に聞かないでくれる!? ってか本当に乙女なら思い当たる所くらいあるだろうが!?」
「……例えば?」
「そうだな。風呂上がりにタオルどころか、一糸纏わぬ姿で平然と出てくるところとか?」
「ふむ……おかしな話だ。なぜ余が体を隠す必要がある? 余の裸は言ってしまえば“美の象徴“のようなものだぞ。それを布で隠すなど――」
「……そういうところだぞ」
と、修行場から去る中でも他愛無い会話を交わしつつ、グリフはベテランの盗賊であり冒険者の間では有名な情報屋でもある男性ボロドの店。
対してフィオナはメザーネで現在開催中の市場。
早朝より既に活気づき賑わいを見せていた月に一度のバザーへ向かうべく、互いに別々の目的を胸に秘めて下山する為の帰路へと就くのだった――
「あぁあ……マジでこんな時にこそ【新しい望みの魔宮】でもあればなぁ。今度こそ最強魔法を使えるようになりたいって願ってやるのに……そしたらこんな地味な修行とはおさらば――」
「……馬鹿者、修行に地味も派手もあるか。ましてや近道などあるワケ無かろう。だからこそ最強を目指すのであれば地道に月日を重ねて己を鍛錬するしかないのだ。それに我慢も修行の内だ」
「ははは……そうだな。ちなみにお前はその魔法のイメージを完全習得するのにどれぐらいかかったんだ? やっぱ数年とか――」
「うむ? 【半日】だが?」
「ごめん。俺泣いていい?」
この後に、とある“大きな出会い”があるとも知らずに。




