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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人面妖

作者: 東屋 豊

練習用

 人面妖


(さあさあ入って入って坊ちゃん、お代は見てからで結構さ。間も無く始まるよ。)


 ガヤガヤ、ガヤガヤガヤ。


 目の細い白男が、線の細い少年の背中を押して、鈍く光る暖簾をくぐらせた。少年は肩身が狭そうに、ヒトのひしめきあう中に入っていった。

 少年というのは私のことである。まだ九つの時の頃だ。九つというと、ちょうど両手で数えられるほどの数である。

 私は、ここが私のいるには少し不適切な場所だと、理解していた。ここは臭うし、下品だし、卑猥だ。汚い笑い声が、そこら中に響いていて、私の柔らかい皮膚に音が染み込んで犯されていく。大変に不快な場所なのだ。

 しかし私はここにい続けている。そしてどれだけ不快な出来事にみまわれようと、動かない気でいる(それこそ、テコでも持ってこない限り)。ある種の反感が私をそうさせている。全く理解不能の感情が、私の体をここに固定している。


(奇怪さ、珍妙さ、禍々しさ。日常では感じられないものがあなたを待っている。)


 西の多々良橋の下、夜に明るい見世物小屋では毎週、奇妙な催しがおこなわれている 。


 さてさて、私はこの見世物小屋に、あまりいい噂を聞いていない。なんでも、見物客の毛穴を奥まで舐め回すような、おぞましい芸を見せびらかして金を取るそうな。全く趣味の悪い、例えばだが、動物の皮を、人の肉と融合させて作る怪人だとか、嬰児を箱に詰めて育てた小男を、飾りたてて虫人間と吹聴したものを、一晩中踊り狂わせたりだとか、慰め合わせたりだとかを、我々に覗かせるのだ(これはほんの一つの例にすぎない)。


 そんな、趣味の悪い興行に私が参加したのは、単に近くを通りかかり、君の悪い客引きに捕まったというだけで、私が少しでも逃げようと考えればすぐにでもここを抜け出せるのだが、しかし、人は革命のために生きるもの、私もこの身が人である以上、胸に溢れる想いに逆らうことなどできようもなく、流れるままに、本能に任せるように、漠然とこの場に留まっている。そんなわけで、私は今、周りに合わせて、阿呆みたいに手を叩いたりしてみる。歯を見せびらかしたりもしてみる。


 しかしまあ、それもここまで面白くないと流石にしらける。私は、私と同じような背丈の子(性別不詳)が、鳥の死骸を食いちぎるのをみて、吐き気を催した。が、笑ってごまかした。(誰もみてないのに)周りが、大口を開けて笑っているのは、やはり私と同じように、雰囲気に合わせているだけなのか。もしそうなのだとしたら、いったい誰が、この場を真に楽しんでいるのだろう。私と同じような人が、何人いるのだろう。

 何人もいる気がします。

 私みたいに、虚無の笑いをあげている者が、会場を包み込んで、空間を湾曲させ、蜃気楼を生み出し、錯覚が我々を混乱させ、盲目的に笑いをおこす。

 そういった考えが私の中に蔓延り、それらがさらに私を落ち込ませるのだ。


 或いは、全くに逆か。私だけが楽しんでいないのだろうか。


 そもそも、私のような心を持つものはここに集まらないのでは? 今大口を開けて笑っている隣の男は、このような見世物を楽しめるだけの心を持っていて、そして、そういった心を持つものがここによってたかる。違いない。


 私はそれを持ち合わせていない。しかるに私は、他人に移入しすぎるのだ。鳥の死骸なんぞ食ったら吐き気を催すし、蛇に全身を噛まれたら痛いだろうし、片足しかないのは生きて行くのに不自由だろうと不憫に思う。私はたった今見せられたものに対し、「もしあれを自分に置き換えたら」という、この催しを楽しむ上で全く必要のないことを頭の中でおこなっている。全く必要のないことをしなければ、私も純粋に楽しめるのだろう。現に、私のある種の葛藤さえなければ、この興行はなかなかに興味深いものばかりだ。たしかに、道徳心が知識の発展を阻害することもある。


 私の中には、幼少期の頃に築き上げられた道徳心がある。それがある限り、私はこういったものを純粋に楽しむことは、到底不可能なことだろう。私の心を動かすものは、純粋なもの、汚れなきもの、嘘偽りのないもの。それが私が課せられた、真人間として生きるための制約であり、エロスに取り付けられた枷であるのだ。


 私の生きる世界では、見世物小屋は拒絶され、消えてしまう。必要ないから、いらないから。


 でも、そんなものにもたしかにあるのだ。純粋で、嘘偽りのない者が。私は、この見世物小屋でたしかにそれを見つけた。


 第17種目 「人面妖」


 素晴らしい見世物だった。私が、この場に固定されていた理由がわかった気がした。これをみるためだったのだ。そう思えた。


 見世物を盛り上げるための司会者によると、中国のはるか西、国境ギリギリに生息している幻の「人面妖」なる怪物を捕まえたと言うので、それを調教したのを、玉を操らせて見せるのだとか。


 果たしてそれは、本当に舞台に上がってきた。体長約八メイトル、細長い胴に、人面の頭。人面妖の名はこれに由来する。人そっくりの形なのだ。全身の、ものすごい体臭を防ぐために、かぶせてあるらしい赤い布が、調教師の動きに合わせて動き始めた。

 この世のものとは思えない、奇怪な生き物だった。


 わたしは 、それを食い入るように見つめた。


 今まで考えていたことみんなが、綺麗に頭から吹っ飛び、精神に築き上げられた、道徳とか、倫理とかの壁を飛び越え、他の観客と一体になって人面妖を見ていた。

 ああ、なんてことだ。今私の目の前で、伝説が、幻が玉転ガシしてるではないか!素晴らしい。幻想だと思っていたものは、実在したんだ!


 そうさ、私は幻想に強い憧れを持っていた。ずっと探し求めていた。今日ここにきたのも、ここにかすかな幻想に対する希望が感じられたからに他ならない。ああ、実在したんだ。最高さ。

 道徳だ、倫理だなんだと言うのは、結局のところ知的好奇心二は叶わないのさ。私は、人面妖に出会うためならば、この人の闇を称え、真人間をやめられる。そんなもん糞食らえだ!親は悲しむだろう。何人の人を失望させる?知ったことか。この、いける幻想、人面妖に出会うためならば、私は私を捨てられる。


 素晴らしい、私は感激した。


 最高!


 わずか十数分ではあったが、私と言う存在はすっかり変容したろう。これからは、心に、教育に、家族に、国に縛られずに生きて行ける。

 というのも、人というのは現状に満足できない性質で、私はついさっきまで人面妖をみることで、心がすっかり満たされていたのだが、時が立つにつれて、見ただけでは満足できないようになってしまったのだ。


 人面妖にお関わり合いになりたいと考えたのだ。


 その一番の近道とはなんだろう。無論、人面妖を所有していらっしゃる、見世物一派と交流を持つことだろう。もちろん世間体はよろしくないだろうが、先ほどもいったように、そんなの知ったことですか。彼らと交流し、人面妖に関する情報を収集スル。


 見世物は空が白むまで終わることなく、そして私はそれまで辛抱強く待っていた。


 ようやく、違法に建設されたテントからぞろぞろ現れた一派に、私は近づいて「すみませんすみません」と尋ねた。


「おう、どないしました」

「実は私、先ほどの芸を見ていたんですが」と、事情を説明し、よければ人面妖を一度見せて欲しいとの旨をかいつまんで話した。時が立つごとに、目の前の男の顔がかたちを変えていく。多分、悪い方向に。


「ああ、お前さん、いくつだ」

「九つです」

「うん、そうか」


 目の前の男はかがんで、私と目線を合わせた。「わかった、人面妖に合わせてやろう」そういうと、男はテントに戻っていった。私は、内心断られるだろうと踏んでいたので、拍子抜けして後に続いた。


 テントの中には、数名の人がいた。


「ほら、これが人面妖だ」

「え、どこですか?」

「いるだろう、目の前さ」


 男は、目の前の人たちを指差した。私は体が震えるのを感じた。内側からくる、タチの悪いものだ。


「いませんよ。いない」


 男は笑って、私の肩を叩いた。


「いるんだよ、こいつらが人面妖の正体なんだよ。こいつらが人面妖を動かしていたんだよ」


 男は、あしもとに転がっていた、大きな、箱のようなものを待ちあげた。


「こいつを頭からかぶってな、それを連結させたのを動かすんだ、生きてるみたいにな。外見は、布を被せて、適当な理由をつけてごまかす。先頭のやつだけ、顔を晒すんだ。ほら、あいつが先頭のやつだ」


 男が指差した先には、人面妖と同じ顔の人が、馬鹿みたいに突っ立っていた。


「こういう、普通で、見ても面白くない奴らを、うまく使うのがこの商売のコツだな。人面妖はかなり上手く行った。おっと、周りにはバラさないでくれよ、客が逃げちまうからな」


 私はもう男のいうことを、一切聞いていなかった。


 私は、テントからしばらく歩いたところの河合に、腰を落ち着かせた。そうしてからしばらく、私はさめざめと泣いた。


 嘘だ、嘘だったんだ。人面妖は、まやかしだったんだ。私が純粋だ、嘘偽りのないものだ、と思ったのは、間違いだったんだ。


 人面妖の肌を覆う赤い布は、たしかに腐臭を隠していた。どうしようもないほどの悪臭を。

 人面妖は、醜い、醜い猿どもの隠れ蓑だったんだ。


 人面妖なんていない。年相応の、柔らかく美しい私の「信じる心」は今、ズタボロに引き裂かれてしまった。ああ、人面妖はいないんだ!この世界に、美しいものなど存在しないということを、私はこの時に、人面妖に見せつけられたのだ。


 空はすっかり、明るくなった。川面には、輝く波が無数に泳いでいた。私は、最後の望みにかけて、川面に移る自分の顔を見ながら、髪や頰をひっぱたり、叩いたりしてみたが、どうやら自分は人間で、人間以上でも以下でもないようなのでした。この時に、私は真人間として生きていく決意をしたのだ。


 私は立ち上がって、家族のいる家に帰った。もうここには二度と来ないだろうと思った。


 果たしてそれは本当になり、私は何事もなく20を迎え、徴兵により、船に乗って中国に向かった。


 初めて外国に来た私は、まるで別世界なここにすっかり興奮してしまって、冷めきった心に再び熱がこもった。

 それで頭が沸騰してしまったもんだから、私は変なことを考えてしまった。

 あの、まやかしだった人面妖、あいつを探してみよう。西だ。西に行けば、あいつに会えるかもしれない。


 もちろん、軍を抜け出して探しにいくわけにもいかず、どうしようもないまま、戦場に駆り出されたわけだが、不幸中の幸いというべきか、私の所属していた部隊が、壊滅して、私一人だけが生き残り、ゲリラ兵となった私はこれをチャンスと考え、このまま戦場を離れ、人面妖を探す旅をすることに決めた。この時、私は左足を銃弾に貫かれていたのだが、そんなことは興奮して気がつかなかった。


 仲間の死たいから物品を剥ぎ取り、私は大きな音のする方から逃げるように歩き出した。人面妖を見つけるのだ。綺麗な、嘘偽りのない、あの、幻の怪物、人面妖を……。


 私は数刻ほど歩いた時点で、地元の民間人に袋だたきに会い、顔面が判別できないくらいにぐちゃぐちゃになって息絶えた。死に顔を見ると、どうやら私は憧れの怪物になれたらしい……。



  (完)


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