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おとしおとし  作者: chocolatier
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おとしおとし

みずのこちのこ

はりついてとんとん

こっこないたらおわり

はらへった


きゃらきゃらと子供が笑う声が響いた。


もう、頭を抱えて震えるしか道は無い。彼はただただ怯えていた。

一人暮らしのワンルームの片隅で。



その日、幸田悠人(こうだ はると)は怠い身体を引き摺るようにしてバスを降りた。

気が乗る訳も無い。用向きは葬式だ。

遠縁――母曰く、祖母の姉の旦那の弟の嫁の妹の孫――が亡くなったと連絡を受けたのは今朝だった。

本来なら母が行く予定だったのに、何の因果か、朝起きた途端にぎっくり腰をやったらしい。

そのせいで、夏休みを謳歌(おうか)していた大学生の悠人に御鉢が回ってきて仕舞った。


「なんで会った事も無いのに……」


一人暮らしの部屋。ごろり、と寝転がったまま悠人は実家からの電話に最後の抵抗、とばかり文句を垂れる。

その時、母は不思議そうに返した。


「きぃちゃんとは仲良しだったじゃぁない」


胸の辺りがざわり、とした。何か、触れてはいけない禁忌にうっかり触れて仕舞ったような、おぞましい感触。

仲良しのきぃちゃん?知らない。全く覚えがない。

なのに、自分の何かがざわざわと不安を煽り立てる。


一体この感覚はなんなのか。


気になって気になって、母からの依頼を断れなかった。

都会から何度も乗り換えながら電車で2時間、今にも壊れそうなバスに揺られる事1時間。

やっと辿り着いたのはまるで時代に置き去りにされたような、古めかしいバス停。

バスの時刻表に書かれた本数の少なさで、既に後悔し始めている。しかし、もう帰れない。街へ帰るためのバスの最終便は、1時間前にこのバス停を出ているのだから。


「仕方ない」


自分を励ますように呟いて、旅行鞄を持ち上げる。

数珠に、黒ネクタイにスーツ。葬式に必要な物を詰め込んであるから、少々重い。

ここから目的の村までは徒歩で行くしかないらしい。ボストンバックよりキャリーケースの方が良かっただろうか。今日は後悔してばかりだ。


明日が通夜、明後日が葬儀。

それまでは村から出られない、という現実も、また荷物と心の両方を重く感じさせた。


一歩一歩、まともに舗装されていない、土も雑草も見えている道を歩く。

先に祠が見えた。古ぼけた粗末な(ほこら)道祖神(どうそしん)だろうか。大学で民俗学なんかを専攻している悠人は少し興味を引かれた。

こんな小さな村に来る機会なんて滅多に無い。レポートの足しくらいにはなるはずだ。自分を励まして脚に力を籠める。とりあえず拝むか、と社を覗く。


震えた。


その祠の中には地蔵が安置されていた。しかし、普通じゃぁない。

掌に乗るような小さな、それも一目で手作りと分かる荒い造りの地蔵が狭い祠に何百何千と押し込められていたのだ。


――知っている。

自分は、この光景を知っている。


暮れかけた日差し。蝉の音。蒸し暑い空気。何もかもが知覚から消えた。

息が、苦しい。肋骨を叩く心臓が痛い。叫ぶ事も出来ない程の恐怖が全身を支配した。

逃げなければ。此処から、早く。がたがた震える脚を叱咤して悠人は畦道を駆けた。脚を止めたら何かに絡め取られて仕舞う。そんな恐怖だけに突き動かされて。


何処を如何走ったのか、一体どれほど走ったのか分からない。

いつの間にか悠人は朽ちかけたような石柱の前に立っていた。苔生し、罅割(ひびわ)れ、所々欠けてはいるが、刻まれた文字は読める。


子塚村(こづかむら)


目的地だった。だというのに、悠人は座り込んだ。あんまりに恐ろしかった。

――初めて来たはずだ。なのに前にも来ていると自分の中の何かが叫んでいる。

得体の知れない感覚に自分を抱くように(うずくま)った。二の腕に鳥肌が立っている。掌で擦って宥めようにもどうにもならない。歯の根もあわず、最早一歩も動けない。


その時後ろから肩を叩かれた。思わず大袈裟な程に飛び上がる。


「やっぱり、はるちゃんだ」


初老の女性が後ろに立っていた。日に焼け、深く皺の刻まれた顔がいかにも農業従事者を思わせる。

何度か瞬きをして、悠人はほっと、胸を撫で下ろした。


「お久しぶりです、おばさん」


そうだ。きぃちゃんの家でお手伝いさんをしていたおばさんだ。昔よく世話になった。

一瞬分からなかったのは、彼女の身体を包んでいるが野良着ではなく、真っ黒な着物だったからだ。きっと彼女も此れから法事の手伝いにでも行くのだろう。

しみじみと思って、悠人は、はっとした。


――何故自分は彼女を知っている?昔ってなんだ?

そして、何故今哀しいと思った?


(……誰なんだ、きぃちゃんって)


頭が割れるように痛む。混乱で地面がぐらぐら揺れるような気さえする。


「どうしたんだい、はるちゃん?」

「いえ……」


絞り出した声に不安そうなおばさんの手が背撫でる。


「とにかく針道(しんどう)さん家で休ましてもらおう?」


促され、よろよろと田舎道を辿る。

くねった田んぼ。彼岸花の咲く道。ぽつりぽつりと散らばる民家。

何もかもが既視感で溢れかえっていた。塀の傷痕、道端の小さな塚。鬱蒼(うっそう)とした木々の間に垣間見える神社の位置まで全部分かった。


気持ち悪い。

こんな、こんな事あるはずがない。


道にしゃがみ込んで胃の中身を全部吐き出して仕舞いたい。

それをなんとか堪えて辿り着いた大きな屋敷の前で悠人は愕然とした。


知っているなんて、そんな生易しい感覚ではなかった。

此処に、いた。自分は昔、此処にいた。

幼い頃、ひと夏の事だ。母が弟を身籠って、体調を悪くした。その間、自分は此処に預けられていたのだ。


ふらふら、と足が前に出た。鯨幕のめまぐるしい白黒を掻い潜って、玄関先に草臥れた運動靴を放るように脱ぎ捨てる。そうだ。この廊下を行って少ししたら応接間。それから奥へ行くと居間があって。通夜や葬儀があるならその奥の大広間だ。

ばたばたと忙しい黒い服の群れを気にせず廊下を辿る。


大広間の襖は開け放たれていた。

その木枠に薄っすら残った痕。そう、此処にシールを貼って遊んで仕舞ってきぃちゃんと一緒に大目玉を食らったんだ。


間違いない。全てが記憶の通りだった。此処にいたのだ、自分は。

短い期間とはいえ、ここに暮らしていた。


知らないはずの自分と、知っている自分がバラバラになっていくようで、先ほどからズキズキと頭が痛むのがどんどん酷くなる。


それでも引き返す事は出来なかった。

重い身体を引き摺るようにして広間に踏み込む。明日の通夜を前に、既に祭壇が組まれていた。真っ直ぐに進む。

祭壇の真ん中に写真があった。自分と同じ年頃の、眼鏡の似合う利発そうな顔立ちの青年。記憶の中にある少年とは違う。でも、面影はあった。


「……きぃちゃん」


針道紀一。

この家の一人息子。そして、幼い頃の無二の親友。

なんで、なんできぃちゃんは死んで仕舞ったのだろうか。

そして、何故自分は彼の事もこの村の事もこんなにも忘れて仕舞っているのだろう。


訳が分からなくて立ち尽くす。


「可哀想にねぇ……自殺だったらしいよ」


ふと、誰かの話声が耳に飛び込んで来た。

(はばか)るような小さな声だったことが余計に悠人の気を引いた。

目をやると、黒い着物の女が三人程集まってひそひそと囁き合っている。


「怖いわぁ」

「……やっぱり15年前のアレで?」


15年前のアレ。

頭の中でその声がぐるぐると渦を巻く。

ぐわん、ときぃちゃんの遺影が大きく歪んだ。


ああ、ダメだ。立っていられない。

そう思ったのと、頬を強か畳に打ち付けたのははたしてどちらが先だっただろう。

手足の先が冷たくなるような感覚を最後に悠人の意識はすっと闇へと溶け込んでいった。


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