正論VS女の涙
「ロレッタがディナトール家の侍女の淹れたお茶に心が込められていないと非難した」「ロレッタがミカルド様を『お父様』と呼んだ」……そういう噂が伝搬し始めた。噂の出どころはシェイラであるらしい。僕はシェイラを叱った。
「お茶の件は、ロレッタ嬢がしっかりとお手本を見せてくれただろう? あれは確かにアリーの不勉強だったよ。皆納得したじゃないか」
シェイラは「だって…だって…」とか弱い仕草でぽろぽろと涙をこぼしている。シェイラは優しい子だと思う。アリーを思って涙を流すのだろう。だけれどその優しさは残酷だ。
ロレッタ嬢が悪意を持って侍女のお茶を貶したような噂になってしまっている。シェイラはアリーに肩入れしているのだろうが、ロレッタ嬢がアリーのお茶を酷評した事実だけをみんなに伝えて、アリーが努力不足であった点は伝えていない。まるでロレッタ嬢が謂われなき非難をするような風評が広がっている。
「ロレッタ嬢に申し訳ない」「可哀想だ」と僕が言うとシェイラは「だって…だって…」と涙ながらに繰り返す。そして「お兄様はアリーの味方ではないのですか」という。アリーにはお世話になっているけれど、だからと言ってロレッタ嬢に無暗に風評被害を起こすことを是とするかと聞かれると、絶対に否だ。僕はロレッタ嬢に特別な好意を持っているけれど、それはまた別問題。「アリーの味方だ」「ロレッタ嬢の味方だ」という感情論でなくて、ロレッタ嬢の言い分に理があるのだと言っているのだ。それなのにシェイラはただ「あんまりだ」「アリーが可哀想」と言って泣いている。
僕は「うちの侍女の方に非があったのだ。ロレッタ嬢は事実を述べたまで」と言って回ったが、残念なことに百の僕の弁護よりも一のシェイラの涙の方が説得力があるらしい。とても情けない。
ロレッタ嬢が父上を「お父様」と呼んだ件に関してはたかが言い間違いを態々ほじくるように追及することに不快感を覚えたが、シェイラの気持ちも少しはわからなくもない。父上とロレッタ嬢はまるで親子の様に親密だったから。娘のシェイラを差し置いて。
シェイラが父上に娘のように親しく接せられたロレッタ嬢に悪感情を持ってしまう気持ちはわからないでもない。
だからと言ってそれを涙ながらに友人に語るのはどうかと思う。まるでロレッタ嬢が父上の娘の座を故意に狙って発言したかのような風評が流れているのだ。
「悲しいのはわかるけれど、話なら僕がいくらでも聞くから、友人に泣いて縋るのは止めておくれよ。ロレッタ嬢に不利な噂ばかりが流れてしまうよ」
そう窘めてもシェイラは「だって…だって…」と周囲に悲しんでいる様子を隠さない。
なんとなく…なんとなくだけど、父上がシェイラを好まない理由が分かったような気がした。
可憐な見た目で社交的なシェイラの涙は本当に効果がある。その影響力を考慮することなく、涙をこぼす姿を見せるシェイラがなんとなく無神経に感じてしまう。自分の態度や発言でロレッタ嬢が苦境に追い込まれてしまうなんて微塵も考えなかったのだろうか。
もしかして…本当にもしかしてで、邪推なのかもしれないけれど、
シェイラは自分の涙を利用して故意にロレッタ嬢を苦境に陥れているのではないだろうか…?
そんな発想が生まれてしまう。シェイラがロレッタ嬢を格別に嫌うような理由はないはずだし、それは本当に邪推なのだろうけど、頭の片隅に湧いてしまった疑惑は心を蝕んで、シェイラへの見方を変える。
小さな、それでも深い心の溝が出来た気がした。
***
「シェイラ嬢可哀想だよなー」
僕の知人のロバートまでもがそう言う。男性同士のささやかな集まり。お茶会なんて言う洒落たものではないけれど、マナーを気にせず室内でだべる。
「シェイラを被害者、ロレッタ嬢を加害者のように言うのは止めてもらえないかな。確かに父上とロレッタ嬢は親しい様子を見せたけれど、仮に、仮にだよ? 父上がロレッタ嬢を娘のように思ったとして、『だからシェイラが父上の娘の座を奪われる』なんておかしな論法じゃないか。ロレッタ嬢を娘のように思っていたとして、シェイラのことも娘と思うのは何もおかしくないよ。『娘』という存在が一人でなくてはならないなんて説聞いたこともない。もし仮に父上がシェイラのことを娘だと思っていないのなら、それは父上とシェイラの問題だ。ロレッタ嬢は関係ない」
僕は強く熱弁した。
「アルトはロレッタ嬢に傾倒しすぎなんじゃね? どうしてシェイラ嬢のあの綺麗な涙を見てそんな冷たいことが言えるんだよ?」
ロバートが僕を非難した。
「確かにシェイラは泣いていたね。きっと悲しかったのだろうね。でもさ、どうして泣いていないロレッタ嬢が『悲しんでいない』と思うのさ? ただ一度の言い間違いをあげつらわれて、こうやって周囲に非難されてロレッタ嬢が悲しんでいないと思うの? 別に僕はロレッタ嬢に『悲しんでいる』とか言われてないし、恨み言も頂戴してないよ? だけどさ、なんだかみんなの発言と聞いていると『泣いたもん勝ち』にしか聞こえないんだよ。弱い素振りを見せれば周囲を容易く味方につけられる。もしも本当は悲しくて、歯を食いしばって我慢してたら、そっちの方が可哀想じゃないか。シェイラが悲しむのはシェイラの心だし、シェイラに同情したいならすればいい。だからと言って当事者でもないのにロレッタ嬢を非難するのは止めて欲しい」
僕はシェイラの兄だし、シェイラがロレッタ嬢に危害を加えられたというなら、大いにシェイラの味方となるよ。でも今回のことは違うでしょう? 別に悪いことなど何もしていない。ほんの少し間違って、シェイラが傷付いただけだ。シェイラにとって当たりがきつくなったら可哀想だから言わないけれど、父上がシェイラを娘と思わないのにはシェイラにも原因があると思う。
そしてそれ以前にシェイラの方こそ父上を父のように思っていない節がある。シェイラに傷付く資格があるのかと言われたらとても微妙だ。父上とシェイラの間に壁があるのはあの二人の問題で、ロレッタ嬢に非はない。
「でもさー、相手はあのロレッタ嬢だぜ?」
「確かにロレッタ嬢は口が良くないけど、非もないことに非難をされるのは筋違いだ」
ロレッタ嬢は口が悪いし、敵を作りやすい。けれども、態度が悪いからと言って、筋違いの非難を受けるのはあまりにも不憫だ。
「侍女のお茶の件は?」
「あれはアリーが悪いよ。ロレッタ嬢はアリーとは比べ物にならないくらい上手にお茶を淹れたし、ロレッタ嬢に伺ったら、きちんと真面目に訓練している人物なら身についていて当たり前の技術だと仰っていた。シェイラがアリーに寄った感情論で勝手に涙しているだけだ」
僕は堂々とロレッタ嬢を擁護した。
「……アルト。お前なんでそんなにロレッタ嬢のこと庇うの?」
「そりゃあ、淑女が謂われない非難を受けていたら庇うよ」
「それだけか?」
みんなが探るような目で僕を見た。
「お前、もしかしてロレッタ嬢に惚れてるんじゃないだろうな?」
僕はみるみる真っ赤になった。僕の態度は大層わかりやすかったらしい。皆が詰め寄ってきた。
「なんなのお前? 面食い?」
「顔が良ければ性格はどうでもいいのか?」
確かにロレッタ嬢は美しいし、僕はその見た目にまず惹かれたのは言い訳しない。多分僕は大変な面食いだ。でも、だからと言って顔が良ければ誰でもいいわけじゃない。ロレッタ嬢には行動にもちゃんと可愛いところがある。
「ロ、ロレッタ嬢にだって可愛いところはあるよ…!」
「どこ?」
僕は口を噤んだ。可愛いところはある。劇に涙するところも、恥ずかしがって怒るところも可愛い。悲しんでいる露天商を庇うようなお心遣いも優しいと思う。でもそんなことを言ってみんなにとってロレッタ嬢が観賞用令嬢でなくなってしまうのはすごく面白くない。ロレッタ嬢の魅力的なところなど、みんなは知らなくていい。教えたくない。
「ふ~ん? ロレッタ嬢ね」
「俺はシェイラ嬢の方が好みだな。可愛いよな~。守ってあげたくなるって言うか…」
「アルトはあんなに可愛いシェイラ嬢に慕われて何とも思ってないのか?」
「可愛い妹だとは思ってるけど…」
異性としては見ていない。シェイラが客観的に見て可愛い令嬢だということは否定しないけれど、僕にとっては恋愛対象外。いくら甘えられても、いくら接触されても胸が高鳴らない。
「もったいねー! アルト、そのポジション譲れ! ズルいぞ!」
「俺だってシェイラ嬢に『お兄様』って言われたい! 血の繋がらない兄妹とか最強じゃねーか」
うーん…シェイラは随分モテるんだな。より取り見取りならいい男を掴んでくればいいと思う。ろくでもないのに引っかからないようにね、とは思う。
友人周りにはロレッタ嬢の援護をしたけれど、シェイラの友人周り、女性陣には手が回らない。ロレッタ嬢にあまり被害が及ばなければいいが。歯がゆい。




