我が家
ロレッタ嬢から丁寧な、予定を伺う手紙が届いたので、訪問していただく日時を指定した。ロレッタ嬢お手製の刺繍のハンカチを頂戴できると思うと気分が浮つく。お茶やお菓子などを用意してロレッタ嬢の到着を待った。
僕とシェイラがリビングでお喋りをしていると、シェルガム家の馬車が到着されたという報告を受けた。ロレッタ嬢を応接間にお通ししたらしい。いそいそとシェイラと共に応接間へ行く。
ロレッタ嬢は応接間のインテリアなどをご覧になっている様子だった。少し恥ずかしく思う。インテリアはレネゼッタ母上のご趣味のものが多いのだけれど、レネゼッタ母上は大変な派手好みなのだ。
レネゼッタ母上はあまりご裕福でない男爵家の出で、ディナトール家に嫁いでからは、散財に酔っているようなのだ。見るからに高価さを主張するインテリアを良しとする。父上はお金はきちんとかけるが、重要視しているのは『品格』なので、悪く言えば成金趣味のレネゼッタ母上とは趣味が合わない。僕の趣味でもないし、どちらかというと悪趣味な気がして、お部屋を観察されると羞恥心が湧く。
「お待たせしました。ようこそディナトール家へ。ロレッタ嬢」
ロレッタ嬢にご挨拶する。シェイラは僕の陰に隠れている。恥ずかしがっているのか怯えているのかはよくわからない。ロレッタ嬢の向かいの席に腰掛けた。シェイラは僕の隣。
侍女のアリーがお茶の用意をしてくれた。
「わたくしを呼びつけるなど、いいご身分ね(訳:お招きいただき、ありがとうございます)」
「……」
確かにロレッタ嬢のお返事も待たずに一方的に来てくださるようにお願いしてしまったけれど、お招きしたつもりなのに「呼びつける」と言われると、まるで僕が無礼な態度をとったようだ。…とったのだろうか。僕の方からロレッタ嬢の元に足を運ぶべきだった? でもお招きもされていないのにお宅に押しかけるのも失礼な気がする。
「手ぶらで来るわけにも参りませんので、手土産をお持ちしましたわ(訳:つまらないものですが…)」
どうやらお菓子を買ってきてくださったようだ。早速アリーにお茶菓子として出してくれるように指示した。こちらはこちらできちんとお茶菓子の用意もあったのだが、ロレッタ嬢が買ってきてくださったものを一緒に頂きたいと思った。
ロレッタ嬢が買ってきてくださったお菓子は小さなタルトだった。黄金色に焼かれていていかにも美味しそうだ。
「美味しそうなお菓子ですね。お茶もどうぞ」
お茶を勧めたが、ロレッタ嬢は一口口にして微妙な顔をされた。
「期待外れのお茶ですね(訳:イマイチのお味だわ)」
「失礼な方ですね」
お口に合わないなら仕方ないけれど、態々口に出して酷評するなど。これでも良い茶葉を使っているのに。
「茶葉の無駄遣いですわ(訳:最高級の茶葉で勿体無い淹れ方をしてるわ)」
ロレッタ嬢の言い方に、『茶葉』でなく『淹れ方』の方に不満があるのだと気付いた。僕は自分でお茶など淹れたことがないので、どの点が不満だったのかわからず、困惑した。
「ひどい…アリーが心を込めて淹れてくれたお茶なのに…」
心優しいシェイラはアリーの気持ちを思って傷付いてしまったようだ。シェイラは人の気持ちを大切にする娘だから。僕は慰めるようにシェイラを撫でた。
「このお茶に心なんて込められてませんわ。その侍女は怠慢ですもの」
ロレッタ嬢の評価は辛口だ。アリーが美味しくお茶を淹れる努力を怠っていると仰っているのだろう。そんなに味が変わるものなのだろうか。僕は良かれと思っておもてなししたのだが。
「ひどい仰りよう…」
シェイラはアリーを思って傷付いている。心を痛めやすい心のか弱い娘だから。アリーはロレッタ嬢の発言を聞いて不快な表情をしている。
「事実ですわ」
ロレッタ嬢はシェイラの傷付いた様子を冷たい瞳でご覧になっている。
「だとしても、他家に招かれて態々言うことではないね」
確かにもしかしたらアリーのお茶の淹れ方はまずかったのかもしれない。だからと言ってそんなにもこき下ろすことはないんじゃないかと思う。
「その点は同意しますわ(訳:ごめんなさい。言い過ぎました)」
ロレッタ嬢の遠回しな謝罪を聞いて一応和解したと思う。
気分を切り替えて、ロレッタ嬢が買ってきてくださったタルトを切り取って食べた。
「美味しい!」
濃厚でコクのあるチーズをたっぷり使ったチーズタルトだった。芳醇なチーズの風味が生かされコクと甘みが舌の上で絡み合う。どっしりと濃厚な味ではあるが、それを見越してか食べ切りやすいミニサイズだ。
ひとしきりお茶とお菓子を楽しむ。
「お約束通りハンカチをお返ししますわ」
ロレッタ嬢がハンカチを手渡してくださった。
ロレッタ嬢の施した刺繍の絵柄を見て顔がほころんだ。
「これは…可愛らしいですね」
ハンカチの隅に小さなリスが二匹、木の実を手にしているデザインだ。確かにあの露店で買った刺繍糸だけを使って刺繍した作品なのだろう。全体が茶系の色合いで、良くまとまった、落ち着いた色合いの作品だ。二匹の子リスも実に可愛らしい。いいセンスだと思った。
「褒めても何も出ませんわ(訳:恐縮です)」
「シェイラのも見せてくれる?」
シェイラもハンカチを渡してくれた。シェイラの作品はロレッタ嬢の作品とは打って変わって華やかなカラフルな刺繍糸をふんだんに使って作られた作品だ。様々な花が詰められた花籠と小鳥の姿が刺繍してある。刺繍自体はとても上手だ。
趣は違うが、どちらも素敵な作品に仕上がっていると思う。
「ロレッタ嬢も、シェイラも有難う」
どちらも大切にしようと思った。
「紳士らしい振る舞いをしたご褒美よ(訳:ハンカチを貸してくれたお礼の品です)」
紳士らしい振る舞い…ハンカチを貸してあげたことを指していらっしゃるのだろうか。どうにも上から目線でいらっしゃる。ロレッタ嬢に小さな茶色の布張りの小箱を渡された。中には寒色系の色ガラスでできたカフスが入っていた。中々凝った造りだし、お洒落で素敵だと思った。
「有難う。とても綺麗です」
すごく嬉しい。
「わたくし、借りを作っていると気持ち悪いのですけど(訳:この前お食事をご馳走になったお礼もしたいのですけれど)」
「?」
仰る意味がよくわからず、首を傾げた。『借り』などあっただろうか。
「お食事…」
そこまで言われてやっと気づいた。ロレッタ嬢は僕が中座してしまったデートでお食事を奢られたことを『借り』に感じていらっしゃるのだと。僕が臍を曲げて冷たい態度をとったので、ロレッタ嬢には『借り』どころか寧ろ不快な思いをさせてしまった一件だろう。
「気にしなくても良いですが…」
頭に案が閃いたが、この提案をするのは勇気が要る。
「借りを作るのが気持ち悪いのなら、今度はロレッタ嬢がご馳走してください」
「仕方ありませんわね(訳:喜んで)」
ロレッタ嬢は渋々了承してくださった。前回はよくない思い出の残ったデートであったから今度こそ…と期待する。ロレッタ嬢に特定のお相手がいるのはわかっているが、ロレッタ嬢は指輪をされていないので、僕にもまだ『奪う』チャンスがあると思ってしまう。
シェイラがぷくっと膨れた。
「お兄様、今度はシェイラも連れて行ってください」
「だ、だめだよ」
シェイラを連れて行ったらデートにならないじゃないか。
「……男女の二人きりでお食事なさるなんて、デートみたいです。不潔です」
シェイラが僕の袖を掴んでいやいやした。シェイラは少し潔癖みたいだ。まだ男女の想い合いには抵抗があるお年頃なのかな? 男性より女性の方が色気づくのが早いと言われているけれど、シェイラにそれは当てはまらないようだ。何だかブラコンに育ててしまったようでシェイラの将来にほんの少し不安を覚える。
「男女二人での食事が不潔なら、シェイラ様はアルト様と不潔な行為ばかりをなさっているのではない?(訳:シェイラ様はアルトと一緒に食事してるんでしょ? ズルいわ)」
「兄妹は良いのです」
シェイラは僕を異性だと思っていないのだろう。安心して兄妹を別枠に入れている。僕にとってもシェイラはただの妹で別枠なので、お互いがそう思っているのなら平和なことだ。少しブラコンに育ててしまったかと思ったが、道ならぬ思いは抱いていないようなので安全だ。
「まあ。兄妹は良いのですか。それはシェイラ様が兄は恋愛対象にならないからいいと仰ってますのね。よろしかったですわね、アルト様。妹様は大変健全な方の様ですわ」
「ち、違います、お兄様!」
んん? それはどういう意味? 健全で違いないんじゃないの?
「あら、違いますの? ではやはり不潔なのではなくて?」
「ロレッタ様はすごく意地が悪いんですね…わたくし、お兄様だけは特別ですのに…」
シェイラの発言を聞いて背中に汗をかいたような気がした。僕はシェイラをただの妹だと思っているけれど、シェイラにとってそうではない? 僕が特別なのは『異性』として? そうだとしたらその気持ちはすごく困るんだけれど。
仲が良いつもりではいたけれど、シェイラは僕に恋を告げたことはなかったから、すっかりそんなつもりはないのだと安心していた。
「特別ならいいんですの? ではどうしてアルト様がわたくしにとって特別な方ではないと決め付けますの?(訳:私にとってアルトは特別だから、デートだっていいと思うの)」
「ロ、ロレッタ嬢。それはどういう意味ですか!?」
ロレッタ嬢の発言にシェイラのことは頭から吹っ飛んだ。ロレッタ嬢にとって僕は『特別な方』なの!? ロ、ロレッタ嬢…もしかして僕に好意を抱いていらっしゃる…?
「わ、わたくしにとって…………」
ロレッタ嬢は真っ赤になりながらはくはくと空気を噛んでいる。ロレッタ嬢のお言葉を頂戴しようと、食い入るように前のめりでお言葉を待つ。
カチャン!
「きゃっ」
シェイラが紅茶のカップをテーブルに落として割った。ほんの少しだけ残っていた紅茶がシェイラのスカートにシミを作る。
「大丈夫かい? シェイラ?」
ハンカチでシェイラのスカートを拭う。
「お兄様、わたくし、火傷してしまったかも…とても痛いんですの」
シェイラが瞳にたっぷり涙を溜めて訴える。痛いと言われて少し心配になる。それなりに熱を失った紅茶だったと思うけれど、女の子の肌は繊細だし、もしかしたら火傷をしているのかもしれない。
「じゃあ、アリーに見てもらうと良い」
流石に兄妹とはいえスカートの下の足を僕が診るわけにはいかない。
「お兄様、お部屋の扉の向こうでいいから付き添ってください…酷い跡になってたらと思うと怖いんですの…」
シェイラがめそめそと泣いた。甘えん坊の泣き虫だ。
「でもロレッタ嬢がいらしているのに…」
流石に来客を放り出すのは良くないのではないかと思う。
「ロレッタ様にはお庭を見せて差し上げたら?」
シェイラが事もなく提案した。迷うようにロレッタ嬢を見た。シェイラの怪我はすごく気になる。もしシェイラの言うように酷い跡になっていたらとんでもないことだ。心配だ。でもロレッタ嬢を放り出すことにも抵抗がある。ロレッタ嬢に好意を抱いている如何は別としてホストが来客を放り出すなどあってはならないことだ。
「随分と貧弱な妹様をお持ちね? でも別にわたくしは出ていても構いませんわ(訳:とても嘘くさいわ。でもシェイラ様の仰る通りにしても良いですが)」
ロレッタ嬢は嫌味を言いつつも、僕がシェイラに付き添うことを許してくださった。
「申し訳ありません、ロレッタ嬢。スザンナ、ロレッタ嬢をお庭にご案内しておくれ」
侍女のスザンナに指示を出してロレッタ嬢には庭で時間を潰していただくことにした。
「畏まりました。お坊ちゃま」
スザンナがロレッタ嬢を連れて行ったので、僕はアリーとシェイラと、シェイラの部屋へ行った。シェイラの部屋に入ったのはアリーとシェイラだけで僕はシェイラの部屋の前で待っているのだけれど。
「お兄様…ちゃんといてくださっている?」
シェイラの弱弱しい声が部屋の中から聞こえた。シェイラは本当にとても気の弱い娘だ。我が妹ながらか弱い令嬢なのだろう。
「勿論いるよ」
ロレッタ嬢の発言も気になるし、色ボケしているのは否定できないけれど、痛みに耐える妹を放り出すほど情に薄いわけではない。
扉の前でしばし待っているけれど、中の二人は何やらぽそぽそ小声で喋っているようだ。何を言っているかまではわからない。
「シェイラ、火傷はどう? 水を持ってくるかい?」
「いいえ。水は必要ないわ。お兄様はここにいて。」
?
水が必要ない? 火傷しているわけではないのかな?
「シェイラ…?」
「火傷は大丈夫だったみたい。着替えを選んでいるの。もう少し待っていて」
シェイラは着替えに随分と時間がかかった。ロレッタ嬢をお待たせしているので内心「早く!」と思っていたが、女性の着替えには時間がかかるようだ。
室内のどこからかヒステリックな女性の叫び声が聞こえた。またレネゼッタ母上が父上と言い争いをしていたのだろう。気が重くなる。レネゼッタ母上と父上の仲は冷え切っている。再婚された当初は愛し合っているとも言い難かったけれど、仲は悪くなかった。ただ、レネゼッタ母上が屋敷で好き勝手振舞うようになって、父上はどんどん態度を冷たくされていった。レネゼッタ母上は派手好きで浪費家で、自分の耳に心地よいことを言う人を好むけれど、諫言する人を冷遇する。父が物申すとキンキン響く声で喚き散らす。
……多分だけど父上はシェイラのこともあまり良く思っていらっしゃらない。小さな頃は可愛がっていたと思う。成長するにつれて父上はシェイラを好まないようになっていった。礼儀正しい他人のように接する。シェイラもまた、父上と距離を置くようになった。
随分時間がかかった後、シェイラが新しいスカート姿で現れた。
「お待たせしました」
「じゃあ、ロレッタ嬢を迎えに行こうか」
庭へ行くとロレッタ嬢は庭をご覧になりながら父上とお喋りされているようだった。
「ロレッタ嬢。退屈しませんでしたか?」
「別に。怪我は?」
声をかけると素っ気なく返された。
「大丈夫だったようです。シェイラは気が弱いから、痛がりなんですよ。父上もこちらにいらっしゃったのですね」
父上を見ると、父上はロレッタ嬢の肩にそっと手を添えた。
「ああ。外にいると冷える。中に入ろう。ロレッタちゃん」
「ええ、お父様」
父上はロレッタ嬢をまるで己が娘のように親しく呼びかけ、ロレッタ嬢も自然な様子で父と呼んだ。「え!?」と声をあげると二人はやっとその自然すぎる間違いに気付いたようだ。
「あ…」
「すまない、ロレッタ嬢。つい馴れ馴れしく…」
「いえ…」
謝り合ってはいるが、二人はどこか家族のような暖かな雰囲気をお互いに醸し出している。
室内に戻った後はロレッタ嬢がお茶を淹れてくださった。
そのお茶を口にして、初めてロレッタ嬢の仰っていた意味がよくわかった。ロレッタ嬢は懐中時計を手に時間を計りながら、まるでお手本でもあるかのようにてきぱきと丁寧にお茶を淹れたのだ。そのお茶の味と言ったら。
今まで飲んでいたお茶は一体何なのだろうと思ってしまうような香りよいお茶だった。お茶の温度もカップの温度も痒い所に手が届くほどに心地よい、洗練されたお茶。正直先ほどアリーが淹れてくれたお茶と同じ茶葉を使ったなどとは信じられないくらい味が違う。これなら確かにロレッタ嬢がアリーのお茶を「茶葉の無駄遣い」と評するのも頷ける。
「お気に召しまして?」
ロレッタ嬢が澄まして尋ねてくる。
「御見それしました」
僕は降伏宣言した。
「懐かしい味だ…」
一緒にお茶を頂いた父上は遠い目をした。父上は使用人の質の低下をよく嘆いていらっしゃった。僕はあまりそうとは思っていなかったけれど、今は職を辞してしまった昔の使用人はもしかしたら、こういった素晴らしいお茶を淹れる技術を持った人たちだったのかもしれない。
シェイラは少し悔しそうな顔でお茶を飲んでいた。
あんなに大切にしようと思っていたロレッタ嬢が刺繍してくださった子リスのハンカチは、知らないうちに行方不明になってしまっていた。どんなに探しても見つからないし、使用人にも聞いて回ったけど、皆口を揃えて「存じ上げません」という。
ものすごく凹んでしまった。




