キュンと来る瞬間
シェイラに観劇をねだられた。僕と行きたいらしい。全くいつまで経っても甘えん坊だな。微笑ましい思いで了承した。観劇をした後食事をとって帰る予定で、観劇のチケットとレストランの予約を取った。シェイラの好物を食べさせてくれるお店を選んである。
観劇の日、劇場へ出かけ、席に着いた。シェイラは楽しそうに劇場の雰囲気を味わっている。空席だった僕の隣の席にも人が来たようだ。
ちらりとその人を見て鼓動が跳ねあがった。
「ロレッタ嬢…」
ロレッタ嬢は劇場の格式を失わない上品なお出かけドレス。相変わらず美しい。
僕を見て驚いた顔をされている。もしかして認識されてない…なんて可能性もあったので、覚えててもらえていたことに安堵する。
「憎たらしい顔に出会うだなんて運の尽きかしら(訳:お顔を見られるなんて、人生の運を使い切ってしまったかも…)」
僕に会いたくなかったという意味だろうか。僕はロレッタ嬢と偶然お会いできて、嬉しかったのに。僕だけが喜んでいるようで面白くない。
「お兄様っ、お知り合い?」
シェイラが無邪気に声をかけてきた。
「……知り合い以下だよ、シェイラ」
暴言以外のお言葉を頂戴したことすらない。自己紹介だって僕に向けられたものではなかったのだろうし。
なのになんだかロレッタ嬢は僕の発言を聞いてショックを受けたような悲しそうな表情をされた。もしかしてロレッタ嬢の中で僕は知り合いくらいにはなっていたのだろうか。だとしたら悪いことを言った。
劇はシェイラの好む恋愛ものだ。一組の男女のすれ違いだとか葛藤だとかをドラマティックに演じている。ふと隣を見ると切ない心理描写のシーンでロレッタ嬢がポロポロと涙をこぼしている。社交界の評判では嫌味っぽいとか、傍若無人とか、心が冷たいとか、酷い言われようだけれど、演劇に心動かされ、涙する感受性豊かな一面があることを知った。とても美しい涙だった。
僕は無言で白いハンカチを差し出した。ロレッタ様も無言で受け取り、涙を拭っている。
劇は順調に進み、波乱を乗り越えた恋人たちが再び手を取ってハッピーエンド。
「すごく素敵なお話でした。お兄様もわたくしとすれ違って離れ離れになっても、再び手を引き寄せてくださいませ」
シェイラが僕の袖を掴み、うっとりと微笑んだ。
「そうだね」
シェイラは大切な妹だもの。仲違いはしたくない。シェイラはとてもいい妹だからずっと可愛い妹でいて欲しい。
「ロレッタ嬢はどう思われましたか?」
ロレッタ嬢にも劇の感想を求めてみた。あれだけ感情移入してご覧になっていたようだから、きっと劇はお気に召していたと思うけれど。
「ありふれたご都合主義展開ね。この劇は人の不安感を煽るのが大層お上手でしたけれど(訳:ハッピーエンドで安心しました。途中、何度もハラハラしてしまったけれど)」
「……不安になって泣いてしまったのですか?」
ロレッタ嬢が可愛くない物言いをするので意地悪を言ってみると、ロレッタ嬢はさっと顔を赤くして涙目で睨んできた。
うわあ…破壊力あるなあ…
すごくお可愛らしい反応。涙するほど熱中していたことを指摘されたのがお恥ずかしかったのだろう。ロレッタ嬢の涙目は可愛すぎてドキドキと胸が高鳴る。キュン! というときめきに顔が熱くなる。
「しゅ、淑女の羞恥の表情を見て興奮するなどとんだ変態ですわ!(訳:赤くなってるところ、見ないで!)」
「ご、ごめん。なんか可愛くて…」
なんだかロレッタ嬢の可愛らしい表情にはしたなく興奮していた自分を指摘されて、しどろもどろの言い訳が口をつく。シェイラに抓られた。
「お兄様のばか…」
シェイラが唇を尖らせた。シェイラはお兄ちゃんっ子というか、僕の関心が自分以外に移るとすぐに拗ねる。そんなところは可愛いとは思うけれど、お兄ちゃん離れできない様子は考え物かも…と思う。
「シェイラはどのシーンが気に入ったんだい?」
「ふふ。お食事を食べながら教えてあげる!」
シェイラの方に意識を向けてあげればころりと機嫌が直る。とても軽いヤキモチでちょっと拗ねていただけなのだ。
食事か…ロレッタ嬢と一緒に食事に行けたら楽しいだろうな。ツンケンはしているけれど、ご機嫌は悪くなさそうだし。もしかしたら食事に誘ったら、案外すんなり頷いてくださるかもしれない。
ちらちらと迷うようにロレッタ嬢に目をやる。誘ってみようかな? 受けてくださるだろうか?
「ロレッタ嬢…良ければこれから一緒に食事でも…」
「馬鹿なの? どうせお食事って予約制でしょう? 横車を押すつもり?(訳:誘ってくれて嬉しいけど、レストランは予約制でしょう? 急に人数を増やすだなんて、お店の人に無理を言ってはいけないわ)」
ロレッタ嬢はあっさりお断りしてきた。それも正論を吐きながら。
「…………お兄様、知り合い以下ではなかったの?」
シェイラが再び拗ねた様子を見せる。シェイラは可愛い態度だけれど、気にもできないほど僕の心は沈んでいる。確かに予約制のレストランで急に一人分増やせなどとお店に言ったら大迷惑だろう。ロレッタ嬢と食事できるかもしれないという自分本位な欲望が前面に出て、他人の迷惑を顧みてなかった。そのことが酷く恥ずかしい。
「この話は忘れてください」
恥じるように目を伏せた。
ロレッタ嬢に自分勝手なあさましい姿を見せてしまった。恥じ入るばかりだ。
「……ハンカチを洗濯して返す予定はいついれたら宜しいの?(訳:後日で良ければ予定をあけます)」
ロレッタ嬢の発言に目を瞬かせる。わかりにくい表現ではあるが、これはロレッタ嬢からの「後日改めてだったら食事に誘っても良いよ」というお許しだよね?
「で、では5日後はいかがですか?」
舞い上がって声が上ずる。
「悪くない提案ね(訳:喜んで)」
「12時にムタール・リストランテに予約を入れておきます」
「わかったわ」
ロレッタ嬢はあっさりと頷いた。すごい! お食事に誘い出せてしまった! これってデートのお約束というやつではない? 高揚する。
「お兄様!」
シェイラが僕の袖を引っ張って目に涙を浮かべている。独占欲が強い。ここまで兄離れできていないのは少し問題なんじゃないかなあ…と不安を覚える様子だ。
「シェイラ、拗ねないでよ。今日のお昼はシェイラの好きな牛ハラミのロティールが食べられるよ」
「もう! お食事でご機嫌なんて取れませんわ。お買い物も付き合ってくださらなきゃ」
シェイラのいつもの甘えん坊のおねだり。やっぱり妹は可愛くて、いい加減兄離れさせないととは思うのだけれど甘やかしてしまう。
「仰せのままに。お姫様」
シェイラはころりと機嫌を直して笑った。全く調子がいいなあ。食事の後はお買い物か。今度は何をおねだりされるのだろう。僕のお小遣いの結構な部分がシェイラのおねだりで消えてしまう。それでも妹は可愛いのだけどね。
「ではね、ロレッタ嬢」
「ごきげんよう」
ロレッタ嬢とお約束が頂けて、気分は上々。
シェイラとの食事も楽しかった。シェイラは劇中の名シーンのセリフを真似て、劇の感想を言っていた。それがまた似ていなくておかしくて笑った。
シェイラのおねだりは新しい髪飾りだった。宝石のついた品をねだられた。よく似合っていたとは思うが。どれを僕にねだるか散々迷って僕に意見を尋ねるのはあんまり嬉しくない。シェイラは僕に自分が気に入っていない方の品を勧められるとちょっと面白くなさそうな様子をするから。女性特有なのかもしれないけれど、最初からお気に入りが決まっているなら意見など求めないでほしい。




