第4話
帰りの馬車で、アルトとゴトゴト揺られた。馬車は4人掛けだが、私たち二人の向かい側には侍女が一人だけ座って、置物のように静かにしている。
「……姉上はアドヴァンス様だけでなく、ジョセファン様からもご求愛されたそうですね。」
もう知っているのか。社交界は情報の回りが早いところだよ。
「寝言ですわ。」
「本気かもしれませんよ。」
アルトは思いつめた表情だ。
「馬鹿も休み休みお言いなさい。ジョセファン殿下でしたら女性などより取り見取りですわ。」
「わからないよ!…………あ、姉上はかわいいから…」
驚いてアルトを見ると赤くなってそっぽを向いていた。
「あら、アルトもお世辞の一つも覚えましたのね。サルより進化しているのではなくて?(訳:成長ぶりが嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいです。)」
「……。」
アルトはそれっきり喋らなかった。
何だかアルトらしくない。アルトが私に向かって「可愛い」などというのは初めてではないだろうか。普段は口を開けば嫌味の応酬ばかりしていて、私を可愛いとか綺麗とか褒めてくれることはない。
…昔私に王家から婚約の話が舞い込んだ時もアルトに反対されたっけな。あの時は結構酷い言われ方をして傷付いたもんだ。
昔を思い出しながら二人で無言で馬車に揺られた。
***
アフォか。後日王家から正式に婚約申し込み状が来た。
お父様に書斎に呼ばれて「どう思う?」と尋ねられた。
「ご辞退してください。」
お父様に主張した。ジョセファン殿下のことは嫌いではないし、素敵な方だとは思うけれど、王太子妃なんて絶対に御免だ。
「王家からのお願いだよ?なんて言って断るつもりだい?」
「『ロレッタは言語機能に不治の病を患っているので王太子妃は務まりかねます』とでもいえばよろしいでしょう。勅令ではありませんし、断れるはずですわ。」
お父様は肩を竦めた。勅命だったら断れなかったけどね。王家としてもロレッタが欠陥令嬢であることは承知しているはずだから無理は言ってこないと思う。寧ろ今この話を出すことすらアホだと思うのだが。多分ジョセファン殿下のご意向なんだろうな…ということは察せられる。あの方は私のことがお気に入りだから。
「ではそのように返事をしておくよ。」
お父様の書斎でお茶を飲む。ハーブティーか。妙に酸っぱい。お母様が美容に良いとか何とか言って購入しているやつだ。嫌いでもないけど好きでもない。赤っぽくて色は綺麗だけど。
「なあ、ロレッタちゃん。もし、アルトがロレッタちゃんと結婚したいって言ったらどうする?」
「ありえない妄想をするのは時間の無駄ではなくて?(訳:ありえないことだから考えたこともないよ。)」
「うーん…」
お父様は唸ってしまった。
アルトが私と結婚?ないない。ここんとこそうでもないけど、私を見る度に毛虫でも見るかのような目をしていたアルトだよ?
「今度家族で、絵画展などに行くかい?」
「お父様も少しはましな時間の使い方を覚えたようですわね。(訳:とっても楽しみですわ。)」
家族団欒は楽しみです。皆で絵画展!特に私は絵画鑑賞が趣味なので嬉しい。
***
家族で馬車に乗って、ルポート画伯の絵画展覧会に来た。ルポート画伯は今画壇で最も旬とされている売れっ子画家だ。若手らしいけどその実力に疑いはない。
鮮やかな色彩が特徴的な幻想的な絵画たち。草原で笛を吹く少女が長い髪を風にたなびかせている絵が素敵。何とも言えない情緒がある。
「姉上。あちらに女神の誕生が描かれている絵がありましたよ。」
アルトが笑顔で話しかけてきた。アルトは最近私にもよく笑顔を向けるようになってきた。以前は私を見ただけで毛虫でも見たみたいな顔をしていたというのにどういう風の吹きまわしだろう。嬉しくなくはないが少し戸惑っている。
「なら見てみましょう。」
薔薇の蕾から生まれた芳しき女神の絵が描かれていた。周囲を妖精たちが祝福するように踊っている。まろやかな淡い色彩を使って緻密に描かれている。
「まあまあですわね。(訳:すごく素敵!)」
「この薔薇の質感と言ったら。艶めかしく濡れているようではない?」
アルトが薔薇の花びらを褒め称えた。確かにしっとりと濡れたような質感が良く表現されているけれど…
「ここは女神の美しさに感嘆する場面でしてよ。」
私は微妙な顔だ。確かに女神を生み出した薔薇も美しいけれど、この絵の主体は女神でしかないと思うのだが。絶世の美女とも言えそうなお顔にプロポーション。局所に薄布がかかって隠されている。見るものすべてを魅了する絶世の美しさである。女神と言っても『愛と美の女神』であるフローティア様だろうし。この世で最も麗しいとされている方だ。
「女神は綺麗ですが、姉上の方がお美しいです。」
「まあ、急にお世辞を述べてきたりして、何かよからぬことでも企んでいるの?(訳:急に褒められると照れてしまうよ。)」
「ほ、本当に、綺麗です…」
アルトが頬を赤らめた。
な、なんだか本気っぽい反応に私も頬が紅潮するのを感じる。弟相手にドキドキしちゃダメ。私は自分を叱咤した。
「まあ当然でしょう。わたくしは常に上を目指す女性ですもの。(訳:もっと綺麗って言ってもらえるように頑張るね。)」
前向きな発言をしてみたつもりだが、傲慢な発言ととられるんだろうな…
お父様とお母様と合流して一緒に絵を鑑賞したり、一人で気に入った絵をじっくりと鑑賞してみたり。ルポート画伯は風景画も描くのね。海に沈む夕焼けの風景。茜と金を上手に使った雲の色彩がなんとも見事。うっとり見惚れてしまう。
不意に視線をずらすとアドヴァンス様がご婦人と腕を組んで絵画を鑑賞しているのが見えた。噂の未亡人様かしら。
「アドヴァンス様。」
呼びかけると吃驚した顔をされた。
「ロレッタ嬢。このようなところで会うとは奇遇ですね。」
「ええ、本当に奇遇。そちらのご婦人とは随分親密そうでしたわね。わたくしお邪魔してしまったみたい。」
棘のある口調で感想を述べた。私に求婚しておいて別の女性と腕を組んで絵画鑑賞ですか。
「誤解だよ。彼女は…紳士にとって嗜みのような存在だ。決して本気ではない。」
「そうですの。わたくしは紳士でなかったので存じ上げませんでしたわ。(訳:女性にその言い分が通ると思ってんの?)」
「ロレッタ嬢ももういい大人のレディでしょう?大人の嗜みには理解を示すものですよ。」
ぱちんとウィンクされた。
イラっとした。女性関係が華やかとは聞いていたけど、こんな感じなのか。目の当たりにすると腹立つわー。大人の嗜み?寝ぼけてんの?ただの浮気じゃん。
「そうですね。よくわかりましたわ。(訳:あなたと相容れないということがよくわかりました。)」
なんて、処女喪失している私の言い分ではないけれど。
「良かった。世界で一番ロレッタ嬢を愛しているよ。」
アドヴァンス様は恐らく私を『1番』愛してくれることだろう。そして2番や3番の女性をも愛するのだろう。大人の嗜みとして。結婚後もその調子だと思うとこの男との結婚は絶対にお断りだ。アドヴァンス様本人も美形だしちょっとお茶目で優しいところのある紳士ではあるけれど…ドラレク公爵家との縁も確かに美味しくはあるけれど、無理に結ばねばならぬほどうちは切羽詰まってはいない。嫌なもんは嫌。選択肢があるならもっと別の人を選びたい。猶予はあと2年ある。まだ焦らなくて大丈夫。
私はお父様にお断りの返事をしてもらうよう手はずを整えた。