些細な嘘
「今日、新人の歓迎会があるから、遅くなるよ」
オレはネクタイを締めながら妻に言った。
「ああ、前に言ってたやつね。じゃ夕飯はいらないわね」
「うん。ごめんね、よろしく」
「パパ今日遅くなるのー?」
6歳になる息子が母親に尋ねる。
「パパお仕事だってさ」
「えー、僕、パパとブロックでナインレンジャーの基地つくろうと思ってたのに!」
「ごめんな。パパ、明日の土曜日はお休みだから、一緒に動物園に行こうか」
「ほんと!?」
「今日遅くなるんでしょ?大丈夫なのそんな約束して」
「大丈夫!タカシが起こしてくれるだろ?」
「うん!」
そんな約束を交わし、私は家を出て駅へと歩く。郊外の夢の一戸建て。都市部からは少し遠いのが難点だが、こうして歩いていると季節の移ろいを感じる。
稲穂は黄金に色づき頭を垂れる。ほほにあたる風は少し冷たいものへと変わっている
…
…
時計の針はまもなく19時55分になるところ。
駅前の居酒屋では宴もたけなわとなり、そろそろ一次会を締めましょうかと幹事が私に耳打ちしてきた。
「そうだな」
私は頷く。
「それじゃ、今日の勧送迎会の一次会はこのへんで締めようかと思います!二次会はここから歩いて5分のところでするんで、皆さん移動してくださーい」
幹事の吉田が立ち上がり、ズボンのベルトを直しながら言う。
「吉田、すまん。オレは、今日は用事があるからここで失礼するよ」
「えー、そうなんすか?」
「すまないね。若いもんだけでやってくれよ。コレ、足しにしてくれ」
オレは財布から1万円を出して吉田に渡す。
「あざーす!課長!」
「課長からお心付けをいただきましたー」
吉田はオレに頭を下げると、みんなに向きなおり、高らかに宣言した。皆が仰々しく頭を下げるのを手で制して
「じゃ、おさきー」
と店を出た。
駅前の安い居酒屋を出て、商店街の中にドラッグストアがある。
オレは店内に入ると、化粧品コーナーを物色していた彼女の後ろ姿に声をかける。
「真実ちゃん」
彼女はくるっと振り向き、
「おかえり」
と花の咲くような笑顔を見せてくれた。
俺たちはドラッグストアを出て、再び商店街を歩き出した。
「遅くなってごめんよ」
「ううん。忙しいのに時間を空けてくれて嬉しい」
オレたちは部下達のグループと会わないように、店とは反対方向に向かって歩きだす。
「ところで、真実ちゃん」
「なに?」
「化粧をしてこれ以上きれいになるのかい真実ちゃん」
「あのね、哲司くん!オンナも三十後半になるとイロイロ出てくるの!ノーメイクに見えるけど、ちゃんといろんなトコケアしてるんだから!」
「ごめん、ごめん。セクハラ発言だったね」
「哲司くんなら許しましょう!ウチの課長ならぶっとばしてるとこだけどね!」
と、拳を前に出してシュッシュとパンチのマネをする。
オレたちは、小料理屋に入って、日本酒で乾杯をする。
お酒の趣味があうのも嬉しい。
「今日ね、ほんっとにいい仕事ができたー!と思ったの。そしたらね、お客さんが『あなたに頼んで間違いなかった』って言ってくれて、アタシほんとに嬉しくて」
「そうか。そりゃよかったね」
「それでね…」
オレはいつも聞き役からはじまる。彼女の表情の変化や、身ぶり手振りが可愛くて仕方がないので、思わず見いってしまった。
「…ん?じっと見てどうしたの?」
「いや、かわいいな。と思って」
ふー、と彼女はひとつため息をつく。
「そう言ってくれるの、哲司くんだけだよ。変わってるね」
「変わってるのはオレじゃなくて、君のまわりの男だろうね」
なんて言って、ふたりでクスクスと笑いあう。
食事を終え、オレたちは、緑道公園沿いのbarで夜景を楽しみながら、また話をする。
出会って20年。話すことが尽きそうにない。
ふと、彼女が遠い目をする。
「ねー江良私たち、一緒にはなれないよね…。私には夫がいる。哲司くんには奥さんと子どもがいるし。結婚して一緒に暮らせたらいいのに。小さな家に済んで、一緒に夕飯の買い物に行って、子どもができたら、家族で遊びに行ったりなんかして…。そんな普通の暮らし、私たちはできないよね…」
オレは「うん。そうだね」としか言えなかった。
捨てるのも無くすのもオレにはできない。オレは臆病なのだろう。
「あーあ、私たち、再会が遅すぎたのよね」
おどけた声で彼女は言う。
外は振りだしたようだ。
雨が窓をたたき、ジャズの音楽にアクセントを加えている。




