忍耐のサクリファイス
ヌシ様に生贄を捧げるための道中、ニーアは馬の上で揺られていた。
揺れる背中と共に、ニーアの胸中も揺れていた。彼女はユズルの言葉を思い出す。
『あんたらの言う忍耐ってのは、降りかかる災難に背を向けて、文句も言わずに我慢することか?』
彼女はただひたすらに耐えていれば良いと思っていた。何も考えずとも、耐えていればいつか報われる、と。その行為に大義や目的はなく、それはただの我慢であった。
ニーアは思う。自分は立ち向かうことから逃げていたのかもしれない。
言い伝えによると、生贄として捧げられて帰ってきた者はいない。
風習とはいえ、本当は生贄になりたくなかったし、死ぬのは怖かった。
だがこれは村を救う唯一の手段。そう信じていたし、実際それは事実に思えた。
そしてここに自分の死を惜しむ者は居ない。強いて言えば、こんな時にも居ない偶にしか帰ってこない父親くらいだろう。信じていた村長は止めてはくれなかったのだ。
そう彼女が思うのも、その生い立ちからすれば仕方の無い事だった。
ニーアの本当の母親は、名をイリアと云った。
イリアは村で一番の美人と言われる女で、器量が良いと評判だった。
ある時村を訪れた男女が居た。男女は昔からの幼馴染であり、恋人であった。
二人は人目を憚らずべたべたと身体を寄せ合い、常に腕を組んで歩いていた。周りには永遠の愛を誓い合ったと喧伝していた。
だがその男がイリアを目にした途端、恋人の女を突き飛ばして彼女に求婚した。
そんな逸話があるように、村の男も皆彼女に首ったけだった。
幼くして大人に求婚されるという事も珍しく無く、出会う男は皆彼女に鼻の下を伸ばさずには居られなかった。
自分の好きな男が揃いも揃ってイリアに夢中になることから、彼女は女達にとって嫉妬の対象であった。
しかし彼女は嫉妬に燃える女達を憎むこともその美貌をひけらかすことも無く、また自分の容姿にしか目がいかない男達に靡くようなことは無かった。
ニーアの父は名をキンドアと云った。
彼の生家は商人であるため農村においてはお金持ちだった。
彼の親は色んな村を周っている行商人で、ほとんど家に居ることはなかった。というより村に居る事がほとんどなく、一年に一度帰ってくるかどうかというところだった。
キンドアは中々の男前で、器が大きく人望のある男だった。
ある日彼の部下が馬に乗って隣町に商品を持っていく事があった。
部下は調子に乗って馬を走らせ、派手に転倒した末に商品をダメにしてしまった。
しかし彼は部下を責めるより、部下の無事を喜んだ。
『物は代わりがある、だが君の代えはないだろう?』
人々から人望を集める彼は忍耐の村であるこの村の長から、次期村長に推される程であった。この村において家柄も人柄も良い彼は皆の憧れであった。
だが彼は自分より忍耐強い者が居ると辞退した。それは嫉妬を一身に受けながら強く生きるイリアの事であった。無論村の女性からの反対がある故、イリアもそれを固辞した。
キンドアがイリアを推したのは理由がある。彼もイリアに惹かれる男の一人であったのだ。しかし彼は彼女の美貌よりその人間性に惹かれており、彼女を人として尊敬していた。
自分の中見を見てくれる男を求めていたイリアが、やがてキンドアと恋に落ちるのは必然だった。
男達はキンドアとなら仕方ないと納得し諦めた。だが女達は憧れの男と結ばれたイリアを益々嫉妬した。
やがて二人の間にできた娘であるニーアも、女にとって不興を買う存在となった。イリアは自分のせいで娘まで忌み嫌われた事に心を病んだ。
キンドアは仕事に生きるあまり、結果として家庭を省みない男だった。そして他人の悪意に鈍感であった。
彼は父と同様に行商の旅でほとんど居らず、イリアはニーアが二歳の頃に病気を患って亡くなった。
キンドアは悔いたが、彼は父親と同じく仕事に誇りを持っていたのだ。
何より娘の為に不自由ない生活を与えてあげたかった。そのため彼が仕事を辞める事は無かった。
それ故ニーアは親の愛情をまともに受ける機会が無かった。
仕事を辞める代わりに彼は新しい妻、シンディを迎えた。
無論彼女もキンドアに恋い焦がれていた女の一人であった為、イリアは恋敵であった。
偶に帰ってくるキンドアの前では普通に接していたが、恋敵の娘に対する扱いは酷いものであった。
やがてシンディはキンドアとの間に子供が出来ると、自身の子供を溺愛した。ニーアの扱いはよりぞんざいになった。
そんな親の姿を見ていたシンディの娘も、ニーアを虐げるようになったのは無理もなかった。
唯一の庇護者はほとんど留守なのだ。
彼女は生贄になるべくしてなった。
洞窟は進むにつれ光を飲み込み、その空気は張り詰めたものになる。
唯一の光は松明の火だけである。
やがて生贄を連れた彼らは祭壇に到着した。
祭壇と言っても、燭台が数本と階段の先に台座があるだけの簡素な物である。その最奥の壁はツタなどの茂った緑で覆われていた。
村長はニーアの手を引き、祭壇の階段を上り、台座に歩み寄る。
そこには白い棺桶が置いてあり、それは生贄を捧ぐ為の箱だった。
「では、ニーアよ……。覚悟はよいか?」
「……うん」
ニーアは仰向けになって棺桶に入る。蓋が閉められ、光は完全に遮断された。
いよいよ儀式は始まった。
火を焚き、祝詞を述べ、村人達は深くお辞儀をする。
「ヌシ様よ……。その怒りを鎮める為、生娘を捧げに参りました。どうか、我らを許されますよう」
村長の言葉の後、しばらく黙祷が行われた。
静まり返る洞窟。聞こえる音は松明の火の爆ぜるパチパチという音だけだった。
そして儀式は滞りなく終わる。
それは箱の中のニーアに、いよいよ自分の人生はここで終わるんだと実感させた。
儀式を終えた村人達は、この空間が怖いのかそそくさと帰って行く。
村長は村人達とは帰らず、誰かを待っていた。
皆が帰ったのを確認すると、その誰かに聞こえるよう大声で言う。
「皆帰りました」
ニーアは暗闇の中聞こえる村長の声に困惑した。
村長はヌシ様と会った事があるのだろうか。まさかヌシ様が現れるのだろうか。暗闇に居る彼女にはこれから何が起きるのか分からなかった。
そして祭壇の奥、壁と思われた繁みからその者は現れた。それは牛の頭をした怪物。紛れもない魔族だった。
しかし村長は驚かない。そう、彼が待っていたのはこの怪物だったのだ。
怪物は棺桶の蓋を開き中を確認する。そこで初めてそれと対面したニーアは驚きのあまり絶句した。
「ほう、少々幼いがかなり上玉だな。今回はこれで多めに見てやろう」
ニーアは言葉が出なかった。ユズルの言っていた通りだったのだ。
その姿と言葉から、死ぬよりも酷い目に遭うのではないかと予感させた。
しかし絶望と同時に安堵する。自分の犠牲で皆を、自分を助けようとしていたユズルを救えるのだろうと思ったからだ。
だがそれは束の間の事であり、突如洞窟に響いた声により彼女は再び狼狽する。
「待て!!!」
それは一同にとって聞き覚えのある声だった。
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「お主、何故此処に……」
村長は目を丸くし、その額に汗を垂らしているようだった。
俺は村長とは種類の違う汗を拭う。何とか間に合って良かったと胸をなで下ろした。
あれから俺はニーアの置いて行ったボトルの解粘剤を使いトリモチの拘束を解いた。
すぐにでも脱出したかったが、村人の居る時間に脱出してはまたすぐ捕らえられてしまう。
儀式は夜。彼らが洞窟に向かう間に出るのが最善と考えた。
そして村が再び騒がしくなった後、静かになったのを聞き届け、部屋にあった農具で壁をぶち破って脱出。正直宿屋には悪い事をした。反省はしているが後悔はしていない。
外へ出ると陽は完全に沈みかけるところだった。
村長の言葉から東という事は分かっていたのでその方向に歩き出す。
するとかなり先に村人の行列が見えた。それにこっそりと付いて行ったのだ。
「何だぁお前は? ……まさか昨夜の奴か!」
しばし訝しんだ後、思い出した様子の怪物。
そう言うと怪物は村長に詰め寄る。
「おい村長、こりゃあ契約違反じゃねえのか?」
「い、いえ! 決してそのようなつもりでは!」
何か揉めている。契約違反とはどういうことだ? 奴らは繋がっていた、ということか?
俺が不審に思っていると、ニーアが泣きそうな顔で口を開いた。
「どうして……どうして来てしまったんですか」
「助けに来たんだ」
「こんな……こんな怪物に勝てる訳ありません!」
「だからって、生贄なんて間違ってる」
「ニーアが死んだって、誰も悲しまないんです! ニーアが生贄になるのは、間違ってないのです!」
「……誰も悲しまないなんて、そんな悲しい事言うなよ。俺はニーアが死んだら悲しい」
「うぅ……、だけど!」
「それにニーア、俺に頼んだろ? 荷物、持ってくれって」
「え……?」
「生贄なんて荷物、重いだろ?」
「…………ユズル……」
「耐える者は救われる、ってな?」
そこでニーアは堪えていた大粒の涙をぽろぽろと流した。
俺はニーアの許へ行こうとする。しかし怪物が立ちはだかった。
「盛り上がってるとこワリィけどよ、これオレへの貢物な訳。そう簡単に返す訳ねぇだろ?」
村長はというとそこらの岩陰に隠れていた。これが済んだらあの人は問い詰めないといけないな。
立ちはだかるはゲームでボスとして登場するような厳つい怪物。
普通の人間ではまず間違いなく歯が立たないだろう。
だが今回、俺は勝つ算段を練ってきた。
俺は思った。あの時斧を引き抜く事に必死になっていたのは理由がある筈、と。
恐らく何かの拍子にトリモチを潰した事があるのだろう。その手で斧を持ったせいで取れなくなっていると俺は推測した。
とすれば怪物の力を以てしてもトリモチを剥がすことは出来ないと考えられる。
ならば何とかしてトリモチで拘束できれば無力化できる筈だ。
そこで【超反射】で回避する際、斧の軌道めがけてトリモチを放り投げてから躱す。
斧は俺を捉えることなく、トリモチを切りつつ地面に突き刺さる。果実を伴った斧は地面と繋がれるだろう。
手は斧から離れない、そして斧は地面から離れない。即ち奴は動けない。相手は死ぬ。
完璧だ。
俺は脳内のシナリオを完遂すべく構えていた。
だが怪物は中々こちらに襲い掛からず、何か考えている様子だった。
「あの時は何故か攻撃が当たらなかったな」
怪物はそう呟き、不敵に微笑んだかと思うと、ニーアを懐に抱き寄せた。
「せっかく今日は生贄という人質があるんだ。お前、この娘を助けたいんだろう? だったらそこを動くんじゃねぇ。この間みたいに避けてみろ、この女を殺す」
「――なっ」
怪物は腕にニーアを抱えてにじり寄ってきた。
それはどこかで見た光景。まるで悪夢のような光景。そうだ、今朝の夢と同じ展開だ……。
「ダメです! 逃げてください! ユズル!」
ニーアは必死に叫び、俺に逃げるよう促す。だがこんなところで逃げ出すのならここへ来た意味がない。
「ニーアは元々ここで死ぬ筈だったんです! だからニーアに構わず逃げてください!」
くそっ。俺にはどうする事も出来ないのか?
早くもプラン外。だが初撃を利用すれば計画に支障は無いんじゃ……。
どうする、どうする、どうする――。
怪物はもうすぐ斧の届く範囲というところ。
逡巡する俺。一方でニーアは覚悟を決めた顔をした。
「耐えるのは……、ニーアだけでいいの!」
その言葉から一瞬で悟る。
「――っニーア! やめろっ!」
――ザクッ。
ニーアが叫んだ瞬間。彼女は宛てがわれていた斧に、自ら首を委ねた。
頸動脈が切れ、血が吹き出す。怪物の腕の中で、力を失い膝から倒れるニーア。
――――そん……な……。
バカ野郎! ニーア……俺は、俺は……。
激しい後悔。俺は自覚する。
【超反射】という回避能力。そのおかげで俺は自分を安全地帯に置いていたのだ。自分が死ぬことはない、と。
だが何かに立ち向かう時、痛みを伴わない筈がない。
『立ち向かうことから逃げている』
そう他人に宣った自分自身こそ逃げていた事に、俺を守る為自ら命を絶ったニーアに気付かされる。
俺は彼女を助けると意気込んでいた。だが自分を犠牲にしてまで、自分の命を賭してまでという覚悟があっただろうか。
自分の命を犠牲にしてでも。その覚悟がなければ、いざという時に誰かを救える筈無かったのだ。
「ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
我を忘れて怪物めがけて全力で駆けだす。
許さない。絶対に許さない。
待ち受ける怪物は使えなくなった人質を投げ捨て、斧を構える。
屈強な怪物。俺のちっぽけな拳では大したダメージなど与えられないだろう。
近付くにつれ増す威圧感。こみ上げる恐怖。
しかしそんな物はニーアにもらった勇気の前では些事だった。
【超反射】は使わない。もう、逃げない。
奴を、何より【能力】に胡坐をかいていた自分を、全力で殴ってやらなければ気が済まなかった。




