夢と現のサジェスト
ここは、どこだろうか。
視界に靄がかかっている。おぼろげながら、前方に誰かが立っていると分かるのがやっとだ。
やがて靄が薄くなっていき、その人物の顔が見えると、俺は目を見開いた。
「――唯っ!!!」
やっと会えた! 今、助けに行くから!
この世界に来てまだ二、三日だったが、その再会はひどく懐かしく感じ、俺は嬉しくなった。
しかしそう思ったのも束の間。視界が完全に晴れ、唯の後ろに居る者に気づくと、それは強い焦燥に変わった。
「さっきはよくもおちょくってくれたじゃねぇか。こいつは人質だ」
馬鹿な。さっきの怪物……!!
奴は帰ったんじゃ……。
怪物は腕に唯を抱え、此方へと距離を詰めてくる。
咄嗟に俺は後ずさり、避ける構えを取る。すると怪物はその手に持つ斧を、唯の首筋へと宛てがった。
「や、やめろ!!」
「ふん、次動いたらこの女を殺す」
そう宣言してにじり寄る怪物。
抵抗はおろか、動く事すら叶わない。俺は……、無力だ。
眼前で振り下ろされた斧は、俺の首をめがけ――
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「――っいへへへへへへっ!!!」
俺は激痛に目を覚ました。
何だ。顔が引き裂けそうだ。痛い。
「はんはほへ!?」
俺の顔面には、壁と固定されたガムか餅のような謎の粘着物質が張り付いており、それによって左右に引っ張られていた。
取り外そうと手で掴んだところ、その手もくっついて取れなくなった。
声が聞こえ、傍に目をやると、その様子を笑いながら眺めている少女が居た。
「ニーア、ほおふうふほひふぁ?」
俺がやや怒り気味で問い詰めると、ニーアは慌てて答えた。
「ごっ、ごめんなさいです。あんまりにも起きないので、トリモチを使ってしまいました」
何でも、この村の伝統的な起こし方らしい。些か度が過ぎている気がするが、忍耐の村らしいとも言える。
「村で採れる木の実で、特産品なのです」
果実はこの粘着物質に、種は擂り潰して水と混ぜると解粘剤として使える。非常に強い粘着力で、建材として使われる程だそうだ。一般家庭でも工作や料理など、多用に役に立つらしい。
……しかし、ニーア。解説してくれるのは結構だが。
「ひひはは、ははふほっへふへ!」
「はわぁっ! すみません!!」
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昨晩。怪物と遭遇したその後。
あれから宿へ戻った俺は、緊張の糸が切れたのか、また眠りに落ちた。
それからニーアに起こされ、今に至る。時刻は昼前、十一時頃だろうか、一度グッスリ眠った後だったのに、遅くまで寝てしまったようだ。
俺は昨夜の出来事をニーアに話した。
「俺の考えでは、ヌシ様なんて者は居ない。居るのは魔物だ」
昨日の怪物が黒幕かはともかく。村を襲い、供物が出ればそれをやめ、さも供物で救われたように見せる。奴らはそうしてヌシ様という幻影を作ってきたのだ。
陽が昇ると同時に帰ったのは、村人に見られたくなかったからだろう。
その推測に彼女は少し驚いて見せたが、その顔は明るくはなかった。
「たとえそれが本当でも、ニーア達は誰も戦えません。供物を捧げるしか無いのです」
「けど、黙って従ってるってのか!?」
「ここが忍耐の村って事、忘れたですか?」
そう言われて俺は何も言えなくなった。彼らにとって忍耐は、生きていく上での“美徳”であり“指針”だったのだ。
だけど、このままでいい筈がない。生贄では、本当の意味で村が救われる事は無い。
ニーアは命の恩人だ。どうにかして村を救ってやりたかった。
「正午に、広場でリフ爺から住民に話があるのです。……ユズルもご飯食べたら聞くといいのです」
そう言い残し、彼女は何だか少し名残惜しそうに去って行った。
「村長……、か」
昨日は無理やり話を終えられた形だった。しかし、今日は昨日と違い、怪物に会ったという経験がある。
魔族とこの災難との関係を示せれば、生贄について考え直してくれるだろう。
「ん、これは……」
ふと部屋の机に目をやると、赤ずきんが持っているようなバスケットが置いてあった。
『よかったら食べてください』とメモを添えて、パンと手のひらサイズの果物らしき物、それと液体の入ったボトルが入っていた。
「助けられてばかりだな……俺は」
籠から果物を手に取り齧る。
シャク! と音を立て食い込む歯。しかしそれは咀嚼を許さなかった。
「……がぁ、ほっ、ほえはひ!」
メモには続きがあった。
『その果物がトリモチです。くれぐれも間違えて食べないで下さいね。』
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正午に差し掛かる頃、俺はニーアに言われた通り広場へ向かった。教会が目印らしい。
広場は人で混み合い、騒がしかった。
「聞け! 皆の衆よ!!」
広場の中央、教会の辺りから村長の声が響くと同時に、辺りは静まり返る。
どうやら今から始まるらしい。
「我ら、ラファエル様の信徒は耐える事を信条とし、美徳としてきた! 訪れる災難も、全ては神の与えたもうた試練とし、救いを待ち、ひたすら耐え忍んできた!」
「じゃがわしらはさらに大いなる痛みに耐えなくてはならぬ。全ては村の為、その怒りを鎮める為! ヌシ様に尊き同胞を、生贄となる生娘を捧げねばならぬ!」
村人達はその声を大人しく聞いている。彼らはこの村の住人。生贄という風習に疑問は無いのだ。
「昨晩、村の大人で集まり、どの家から生贄を出すか話し合った」
村人達は固唾を飲んで見守る。
話し合いに参加したように見える大人も、誰が生贄かまでは知らない様子だ。
というか、もうそんなところまで話が進んでいたのか。
ヌシ様の正体は魔族だ。生贄なんて止めるべきなのに……!
どうにかして止めないと。
しかしまあ、自分の家の娘を生贄に出せと言われて、おいそれと出す奴はいないだろう。と、俺は高を括った。
「話し合いは難航した。しかし、美しくも名乗り出た家があった」
――バカなっ!
自分の娘を生贄に差し出す家など無い。
しかし俺は自分で言いつつ、心当たりがあった事に動揺する。
すぐにその恐ろしい考えを打ち消すが、その可能性の存在に蓋をする事は出来なかった。
そう、誰だって自分の子供は生贄にしない。だがそれが、自分の実の子供で無いとしたら――。
「村の為、その敬虔な信仰を、忍耐を捧げし尊き者は……」
「セイヴィス家が前妻の娘、ニーアである! 皆の者、ニーアの忍耐に感謝を! ニーアの美徳に感謝を!」




