第四話 新しい朝
瞼越しに、光を感じる。
僕はゆっくりと瞼を開き、そして朝日の眩しさに目を細めた。
寝ぼけた頭で考えるのは、先程見た夢。
夢にしては内容をはっきり覚えていた。
こういうのは普通、起きたら忘れるものだろうに。
……でも、こうして覚えているからこそ、これまでの生活から抜け出そうという絶妙な覚悟を持つにいたれたのだ。
よし、今日からは就活と彼女つくり、本腰を入れて頑張るぞ!
そう思い起き上がる。
のだが、今更に致命的なまでの違和感に気付いた。
僕がいつも寝起きしているのは、高層ビルの陰に隠れた二階建てのぼろアパート。
どれだけ朝が良い天気だったとしても、窓からまばゆいばかりの朝陽が注ぎ込まれることは無いのだ
それに、今僕が手をついているこの床。
……爪に何かがくい込む感触。それは、布団ではない。畳でもない。
僕は目線を向けてそこを見ると、草の生えた土だった。
そのまま視線を頭上へ。
燦々と降り注ぐ、太陽の光。
周囲は草木に囲まれていて、どこかの山か森の中にいるようだった。
……何故屋外っ!?
「って、そう言えば僕、昨日呑んでたんだったー! まさか、外で眠りこけることになるとは、思わなかったなぁ、あははははっ……!?」
僕は能天気に笑って見せたが、すぐに表情が強張るのに気付いた。
先程の声は、確かに僕が考えて発した言葉だ。
なのに、致命的に違う部分がある。
それは、声。
僕は元来、そんじょそこらの男性声優も裸足で逃げ出すほどの低音かつダンディなボイスだった。
しかし、今僕の耳に届いた声は、飴玉のように甘ったるい、可愛らしい女の子の声だった。
なるほど、つまりは。
「まだ夢の中、っていうことか」
「んなわけあるかーい!」
「げふぅ!?」
僕が一人つぶやくと、大きな衝撃が腹に伝った。
あいもかわらず、「げふぅ」と言う僕の苦しげなうめき声は可愛らしいものだった。
僕の腹部にぶつかったそれ、というかそいつは、しゅたっと地面に着地してから、
「ながいねん! いつまで夢やおもてんねん!? お話が一向に進まんから、はよ自分の現状認めたってヤ!」
イタチモドキの可愛らしい小動物、アルファールが僕に向かって吠えたのだ。
「……いや君がここにいるってことは、やっぱり夢だよね?」
「あほか! 夢なら今のワイの渾身の体当たりの痛みは、どう説明を付けるつもりなんや!?」
ずきずきと鈍く痛むお腹に、僕は手を当てた。
「……確かに、言われたとおりにお腹は痛む」
「なんや、張り手でもくらわした方が良かったか?」
そう言ってアルファールは跳躍。僕の頬を右手(前足?)でペタンとビンタした。
……まぁ、それなりに痛かった。
つまりは、現実、という事なのだろうか?
「て、っちょっとまってよ! 一体どういうことなの? ここはどこで、君は誰で、僕はどうなっちゃったの!?」
急にここを現実と受け入れる訳にはいかない。
浮かび上がった疑問を、続けて口にする。
「さっき言うたやろうが。ここは、おのれがいた世界でいうところの異世界で、ワイは多次元を認識できる存在、個体名は『アルファール』。ほんでおのれは、地球の日本で、30歳の童貞になった瞬間殺されて、こっちの世界にやってきた、魔法少女や」
そう言って、アルファールは指をぱちんと鳴らした。
「ええ!?」
僕は驚きのあまり声を出す。
彼(?)が指を鳴らした直ぐ後に現れた、装飾が施された姿見。
その鏡面には、一人の幼い女の子が映っていた。
肩口までの長さの、綺麗な黒髪ストレート。
黒曜石を嵌めたかのような、黒く輝くつぶらな瞳。
それらとは相反するほど白いもちもちな肌と、朱を刺したように赤い唇。
その掛値なしの美少女(幼女?)が、女児向けアニメの主人公が来ていそうな、フリフリな服を着ている。
比較対象がないから分からない。だけど、身長は多分140センチもないだろう。
僕が笑えば、鏡の中の少女も笑う。
僕が困った表情をすれば、鏡のなかの少女も、同じように眉を潜めた。
……なるほど、これが今の僕の姿。
「驚いたみたいやな」
アルファールが得意気に言う。
「うん、驚いたよ。……一体、今。君はどうやって指を鳴らしたんだい!?」
「せやろ、ワイが指鳴らすのはすごく驚いたやろ? ……ってぇええ、驚くところそこかいな!? おのれ、ほんとうは結構余裕あるな?」
なんて、アルファールは言うけれど。
どう考えても鳴らせないでしょ、指。
無理だもん、もう一度ちゃんと見せてほしい。
「いやいや、だって、どう見ても指ならせないじゃん! なのに指を鳴らすってどういうこと!? ……とりあえず、もう一度指を鳴らしてみてよ!」
僕は目の前で困惑する小動物に詰め寄っていた。
アルファールは困った表情を見せていたが、しゃあないな、と小声で言い、
「見逃すなよ、そう何度もやらへんからな」
そう言って、右手(前足?)をそっと持ち上げてから、ゆっくりと僕の視線を受け止める
彼(?)の手(?)は猫のようであり、とてもじゃないが指を鳴らせるようには見えない。
「ええか、こうやってん……こう……ぶっとしてな」
と、言うと同時に、僅かに指先が震えた。
そして、パチンという音が響いた
……
「やっぱわからないいい~!」
「うっさいわ、もええわ!」
アルファールが顰め面を見せながら言った。
「冗談はこのくらいにしておいて、とりあえず現状の説明だけはしといたるわ」
「え~、恩着せがましぃなぁ」
「ええから聞けやダボコラ糞ボケ殺すぞ」
「もう殺されてるんだよなぁ……」
「ああ、うっとおしい。ええか、とりあえず説明だけはするで、ここは地球とは違う異世界。暴力と魔法とパワーが全ての世界や」
尊大な態度で、アルファールが講釈を垂れ始める。
「それ、大体暴力の一言で済むよね?」
「その世界のいっちゃん調子に乗ってるやつが魔王いう糞ボケや。おのれはそいつをぼろ雑巾にするためにワイが戦闘体を用意し、それにおのれの魂を定着させたんや」
そして一瞬で終わった。
ほぼほぼ分からなかった。
「説明を受けたはずなのに、分からないことだらけだ。……とりあえずなんで僕、こんなに可愛らしい女の子になっちゃったの? もし、容姿を変えられるのなら、いかつい戦士みたいにした方が、良かったんじゃないの?」
「ワイが造る戦闘体は、皆魔法少女になるんや。……なんや、もしかしておっさんの姿のまま魔法少女コスプレでもしたかったんか、おのれは? 危ない奴やのぉ……」
アルファールが引いていた。ええ、なんてツッコめばいいのかもわからないよぉ。
「ま、シンプルに整理すれば、おのれの置かれた状況はこんなもんや。……っていうかな、そろそろここ移動した方がええで。おのれは確かにまだ状況をイマイチ呑み込めてないのかもしれ変けど、ここら辺でるから」
急に神妙な顔つきになって言うアルファール。
「でるっていうのは、何かな? 幽霊のようなサムシングかな?」
僕の軽い気持ちで問いかけた言葉に
「魔王軍の奴等」
と答えたアルファール。
魔王といえば、確か悪逆非道を尽くすこの世界の暴君。
そんな危険人物の部下がいるなんて、たまったもんじゃない。
いまだ現状を把握しきれない僕は、そんな悪役たち(アルファールが悪役でないと木俣わけでもないけど)と出くわさないためにも、今すぐ逃げようと、提案することにした
「なら、まずは彼らからにげよう!」
僕の提案を聞いたアルファールは、しかしすぐに難色を示した。
それは、なぜか?
「どうやら、もう手遅れみたいやで」
僕たちの前に、騒がしい爆音とともに、多数の人影が現れたのだった。