クラブとスペード②
「ターゲットから必要な情報を聞き出し、始末せよ」というのが、今回レノとスペードが受けた任務だった。
ターゲットはバイセクシュアルで、ついでに言えばベッドの上で口が軽くなるタイプだったため、途中まで仕事は順調に進んでいた。
『別に色仕掛け以外にもいくらでも方法はあるんだが』
任務開始前の、スペードとの会話を思い出す。
『これがいちばん早いです。僕は誰とのセックスにも何も感じませんから、特に気にしないでください』
『俺とのときは随分表情豊かだったが』
『あなたは殺したいほど憎い相手ですから。特別です』
にやにやと笑みを浮かべるスペードを睨みつけ言うと、彼は何故か、さらに楽しげに笑った。
情報を聞き出し、行為を終え、あとはターゲットを始末するだけというところまできた。ターゲットがルームサービスで頼んだワインをボーイが持ってくる。その顔をちらりと見て、レノは違和感を覚えた。
ボーイが部屋を出たのを確認してから、ターゲットより先にワインに近づき、よろめいたふりでボトルをテーブルから落とす。
「あ……」
申し訳なさを表情に浮かべ、上目遣いにターゲットを見上げた。
「すいません、すぐに片付けと代わりのお酒を頼みますね」
「いや、いいんだよ。怪我はないかい?」
「ええ、大丈夫です」
備え付けの電話から、スペードの待機する部屋の番号を押す。
「もしもし、フロントですか?ワインを落としてボトルを割ってしまったので、片付けと代わりのワインをお願いします」
受話器からは大きなため息と「了解した」という返事が聞こえた。
「で?どうして俺は駆り出されたんだ。念のための待機じゃなかったのか」
「ボーイの服なんてよくあの短時間で用意できましたね」
「念のための準備の中にあったんだ。知ってて指示したわけじゃなかったのか、とんだ博打じゃないか。……ではなくて」
待機場所だったはずの同じホテル内の部屋で、レノとスペードは向かい合っていた。
「どうしてあの場にあなたを呼んだか、でしたね。あの酒を持ってきたボーイがこのホテルの従業員ではなかったからです。本物のフロントに繋げるのは危ないと思いまして」
レノはダブルサイズのベッドの上で足を伸ばし、スペードは備え付けのデスクを背にチェアに腰かけている。
「何故、従業員ではないとわかった」
「先程、暇つぶしにこのホテルのデータベースを眺めていまして」
「息を吸うようにハッキングした上、内容をすべて記憶しているとは、なかなかやるな」
褒めているのか呆れているのかわからないスペードの台詞に、レノは肩を竦めて答えとした。
「そもそも今回の任務、何かおかしくありませんか?『始末せよ』の主語が抜けているんです。情報を聞き出したらそのままターゲットを殺せという意味なのかと理解していましたが、アレは殺さねばならないほどの重要人物ではないでしょう」
「確かに、いつもなら『ターゲットを殺せ』ときっちり書かれているな。それに、情報を聞き出しターゲットを始末するだけなら、ペアで仕事をする必要もないはずだ。現に、俺はついさっきまで出番がなかったし」
レノの説明に、一考の余地を認めたらしい。スペードは足を組み替え、視線をこちらに寄越した。
「もしあのワインに毒が入っていたなら、ターゲットだけでなく僕も死んでいた可能性があります」
「ふむ、乱入者の狙いはむしろ俺と君かもしれないということか」
さすがに理解が早い。ひとつ頷いて、レノは続けた。
「『始末せよ』の主語を伏せたことに意味があるとするなら、本当のターゲットに任務内容を知られる恐れがあったため」
「つまり、内部に裏切り者がいる、本当に始末すべき相手はそいつだ、と?」
「そういうことです」
スペードは腕を組み、右手で顎を触りながら唸った。
「……ふむ、筋は通るな。その線で調べてみるか」
「組織のメンバーの顔写真の一覧などがあれば、先程のボーイを探しますが」
レノの申し出に、スペードは首を振った。
「いや、君はしばらく休んでおけ。いくらか絞ってからデータを渡す」
立ち上がり、レノに毛布をかける。
「気遣いは無用だ。僕はこの程度で疲れたりしません」
きっぱりと答えながら足を抱え、毛布に顔を埋め、目を閉じる。考えることをやめると、ふわりと睡魔が襲ってきた。自分で思っていたより、気を張っていたらしい。
「恐らく、猶予、は、チェックアウトまで、です……」
半分夢心地で告げた言葉はスペードに届いただろうか。
体育座りで寝入ってしまったクラブを抱え、ベッドに横たえる。眠る姿はいつもより幼く見える。憎々しげにこちらを睨みつける瞳も、スペード以外の相手に浮かべる大人びた笑みも今はそこにない。
「猶予はチェックアウトまで、か……」
つまりターゲットがチェックアウトし、生きていることに気付かれたらお終いということだろう。未だにこちらに襲撃がないということは、2人が待機しているこの部屋は割れていない。作戦としては、ターゲットのチェックアウトより前に敵の待機している部屋を割り出し叩く、といったところか。
敵は誰なのか。クラブは敵の顔に覚えがなかった様子なので顔見知りではない。それでいて、今回のスペードとクラブの任務内容を盗み見ることのできた人物……あるいはホテル側から探ってみるか。敵はフロントへの電話を取り、ボーイの格好でターゲットとクラブの前に現れている。フロントの電話を取れる立場にいたのか、ターゲットの部屋からの電話を別のところに繋げていたのか……
思考を巡らせながら、ノートパソコンのキーを叩いていく。この分なら、クラブが起きるまでにある程度の情報が集まりそうだ。
「起きろ、クラブ」
降ってきた声に、ぱちりと目を開いた。
「なんだ、寝顔のわりに起き方は可愛げがないな」
「寝込みを襲われるのは嫌なので、寝覚めはいい方なんです」
からかい口調のスペードを睨みつけながら、体を起こす。眼前にノートパソコンの画面を示された。
「君が見たボーイは、この人物で合っているか?」
「はい、こいつです。なんだ、もう見つけちゃったんですね。僕はやることなしですか」
ミネラルウォーターのペットボトルが差し出される。一口飲んで返すと、スペードはそれをデスクに置いた。
「さっき十分働いただろう。俺にも仕事をさせろ。……それにこれから二人で殴り込みだ」
「部屋まで特定したのか。面白くない」
ベッドの上に、拳銃が二丁飛んできた。
「お楽しみはこれからだろう?」
「……それもそうか」
ため息と共に拳銃を手に取った。
乱入者がいるという、ホテルの一室。二人はいつものスーツ姿で扉の前に立っていた。
「中には奴一人ですか?」
「さあな。そこまでは調べていないからなんとも。何人か雇っているかもしれん」
「いい加減だな」
眉をひそめると、スペードは肩をすくめ答えた。
「開けてみればわかることさ」
「じゃあもうさっさと開けてくださいよ」
偽装したカードキーで扉を開ける。と、中にはびっしりと屈強な男たちがひしめいていた。
「……何人か、などという次元ではないんですが」
男たちの奥には先程のボーイ、もとい裏切り者が座している。
「これ、全部始末でいいんですか?」
スペードに目をやると、ふむと首を傾げている。
「奥の奴以外は多分うちの組織とは関係ないんだが……まあ『始末せよ』の主語は伏せられていたのだし、面倒だから全部片付けていいんじゃないか?」
スペードの言葉と同時に、レノは一人目の脳天を撃ち抜いた。
「そういうの、嫌いじゃないです。考えなくてすむから、楽でいい」
奥の男が何か叫んだようだが、レノには関係ない。視界に映るもの全て、壊してしまえばいいだけなのだから。
「君は頭脳労働が得意なのではなかったか?」
自身も男たちに銃弾を撃ち込みながら、スペードが尋ねる。
「ええ、得意ですよ。ただ、それ以上に余計なことを考えなくてすむのが好きなだけです。大事なことをずっと考えていられるでしょう?例えば……」
言葉を止め、スーツの裏に仕込んでいたナイフを投げる。
「殺したい男のこととか」
スペードの心臓めがけて飛んだナイフはあっさりかわされ、後ろにいた男の腕に刺さった。
「今、君が殺すべきは俺よりそこの裏切り者じゃないか?」
気付けば敵はかなり少なくなっていた。裏切り者はわあわあと喚きながら、部屋の中を走り回っている。
「わかってますよ、手が滑っただけです。……言い訳が効くうちにもっと滑らせておくんでしたね」
こうも人数が少ないと、うっかりを装ってスペードを殺しにかかるのもままならない。レノは舌打ちをした。
スペードと会話しているうちに、屈強な男たちは全員床に這い蹲っていた。残るは裏切り者一人だ。
「あなた、僕のことはあのワインで殺せたつもりでいたんですよね?ということはこの男たちはスペードの始末のために呼んだわけですか」
足を払うと、裏切り者は簡単に尻餅をついた。その腹に足をのせ、頭に銃口を突きつける。
「スペードも舐められたものですね。あの程度なら、僕でも一人で片付けられますよ」
「その言い方は、俺の方が実力が上だと認めたことにならないか?まあ、実際その通りだが」
「うるさい、黙れ」
背後の男に向かって発砲したが、難なく避けられた。
裏切り者は言葉にならない悲鳴をあげた後、白目を剥いて動かなくなった。
「この程度で気を失うとは情けない……こんなのに入り込まれるなんて、うちの組織もどうなんだ」
呟きながら、脳天に弾丸を撃ち込む。
「そもそも実力からして、うちに入れたのが不思議なレベルなんだが……」
スペードの言葉を聞き流しながら、ボスへと任務完了のメールを送る。返事はすぐに来た。
「後始末には新しい人員を割いてくれるそうです。僕らはさっさと撤収しましょう」
「そうだな、この裏切り者に関しても、報告は明日でいいんだろう?」
「そのはずです」
今後の段取りを詰めながら、ホテルの廊下を抜ける。一応人払いはしてあったが、辺りを警戒しながら駐車場に停めてあるスペードの車まで走った。
「昨日からずっと部屋で待機していて風呂に入ってなかったな。思い出したら早く入りたくなってきた」
「僕も、あそこのシャンプー匂いがきつくて落ち着かないんですよね。早く落としたいです」
車はレノの隠れ家のひとつ、恩人の死んだあのアパートへと向かっている。スペードにはその場所以外、居所を教えていない。
「……寄っていきますか、うち」
「いいのか?」
レノは助手席の窓から流れる景色を、スペードは前の道路を眺めているから、視線は合わない。
「落ち着かない理由はもうひとつありまして……久々だったんですよ、拳銃振り回すの」
それだけで、意味は通じたらしい。
「俺もまあ、少し興奮している」
視線が絡まないまま、二人は互いに笑みを浮かべた。
「そういう明け透けな言い方、嫌いです」
「君は好き嫌いが激しいな」
憎むべき相手を隣に乗せ、車は二人の出会いの場所へとスピードを上げた。