第一話 母親は子どもが無事ならわりと冷静である
2016/03/08 誤記修正
2024/09/25 一部表現修正
畳んだ段ボールを積み上げたリビング。
抱っこひもで背中に引っ付けている息子は、ぐっすりお昼寝中だ。
5月のある日、私たち竹峰一家は、引っ越しの片づけに追われていた。
「哲くん、そっち並べ終わった?」
私は、リビングから書斎の方へ声をかけた。
背中で寝ている息子、勇人は、そろそろ7カ月になる。
もちろん、私も夫の哲人もメロメロ……いや、ベロベロの可愛さ。
どちらの祖父母も近くに住んでおらず、基本私と哲人しか家にいないせいか、単に人見知りしているのか、ほかの人にはまず懐いてくれない。
抱っこしてもらうなら、1泊2日コースだ。
「あと、本棚の1段分だけー。これ終わったらお茶飲みたい!」
「頑張ってねー。私はリビング終わったからベッドルーム片づけてくる」
「うぅ……邪栄ちゃんが冷たい。俺、頑張ってるよ?」
「知ってる。だから、終わったら休憩できるようにジュースとお菓子買ってあるよ」
「やった!」
私は、背中の勇人が起きないか気を付けながら、ベッドを置いただけの寝室を整えに行った。
こんな中途半端な時期に引っ越すことになったのは、哲人の仕事の都合でも私の都合でもない。
ちょうどいい家をたまたま見つけたからだ。
今までは都会の端っこあたりのマンションに住んでいたが、勇人を育てるのはもう少し田舎の方がいい、と2人で決めていた。
前に住んでいたあたりは、駅前に店が揃っていて不便はないけれど、子どもが遊べる場所が少なかった。
新居は、少し行けば都会になる、というほどよい立地で、中古ながらも庭付きの一軒家。
ゆったりした庭もあるから、きっとプールを出して遊ばせたりバーベキューをしたり、勇人を楽しく育てられる家になるはずだ。
明日は、朝から残りの片づけをしないといけない。
とりあえず、リビングと書斎、トイレとお風呂だけは整えた。
買い物できなくて夕食はお弁当で済ませたけど、勇人の寝る時間に間に合って良かった。
寝室はまだ、ベッドを置いただけで、洋服などは段ボールに入ったままだ。
ベッドで勇人を寝かしつけていると、哲人も早めに寝るために寝室に入ってきた。
「ふあぁ、かーわーいーいー」
寝ている勇人を見て、哲人が小さな声でそう言って悶えている。
自分の夫ながら、結構変態入ってるように思う。
ほかの人の子にはこういう反応じゃないから、ぎりぎりセーフなのかな。
「そりゃあ、私と哲くんの子だからねぇ」
私も親ばかの自覚はあるから、人のことは言えないかもしれないけれど。
「ふふふ、パパと一緒に寝ましょうね~」
今のところ、シングルを2つくっつけたキングサイズのベッドで、3人川の字で寝ている。
ベビーベッドはレンタルしたけれど、結局一人では寝てくれなくて、添い寝することになった。
「寝言で起こさないでよ」
「が、頑張る」
哲人は、鼾はかかないし寝相も悪くないのだが、たまにはっきりとした寝言を言う。
そのおかげで、何度か勇人が起こされて、必然的に私も起こされるということがあった。
ぽんぽんすれば寝てくれるから、そんなに気にはしていないけれども、起こされないならその方がいい。
私たちは、この新居で最初の夜を、早々に就寝して終えた。
「だゃーだ、だだっだだ。だっだ!」
「んー?ゆーと?まだ早いでしょ……」
体感では3時間ほどしか寝ていないのだが、勇人が起きている。
布団をかけなおそうとして、なにもかぶっていないことに気が付いた。
添い寝している勇人は、半分に折ったハーフブランケットをお腹に乗せているが、下にはマットレスなどない。
石畳のような床に寝ていた。
よく見たら、小さな石がタイルのように敷き詰められていて、何かの模様がうかがえる。
勇人の向こうを見れば、床でぐーすか寝ている哲人。
訳が分からなくて上半身を起き上がらせて見回すと、どこか教会のような雰囲気の場所だった。
細い窓からは、昼らしい明るさが見て取れる。
そして、爺さんやらおじさんやらお兄さんやら、怪しげなマントのようなものを着こんだ人たちが、私たちを凝視していた。
「なに、これ……どっきり?」
「だうだ、だっだー」
勇人はなぜかご機嫌だ。
私は、勇人を抱き上げて、哲人を足で起こした。
「哲くん、起きて」
てしてし
「うーんん、邪栄ちゃん、布団取らないで……」
「起きろ」
げし
「うぉっ?!なに、え、床に落とすとか邪栄ちゃんバイオレンス!!」
哲人は、わりとすっきり起きるタイプだ。
「違う、周り見て」
「周り……?!」
夫婦漫才(文字通り)を繰り広げていると、マントの集団も再起動してきたらしい。
お偉いさんらしい爺さんが、私たちに話しかけてきた。
長くて白い髭とかどこの校長だ。
「えー、ようこそいらっしゃいました。して、……どなたが勇者でいらっしゃるのか?」
「は?」
「ゆうしゃ?」
自分からいらっしゃった記憶はまったくないんですが。
「まぁ慌てるな。ここでは話もできまい。まずは客室へ招待すべきだろう」
ほかの人よりも贅沢な青いマントを着た偉そうなおじさんが、爺さんに向かって言った。
確かに、寝間着でこんな場所にいたら冷える。
それにしても、どっきりも随分手が込んでいるようだ。
こないだ読んでたネット小説みたいな、異世界召喚とかそういう設定なのか。
ここは乗っておいて、後で盛大につっこんだ方がいいのか。
そう思っていた時期が私にもありました。
「おぉ、そうですな。では、失礼して……<転移せよ、この場にいる全員を連れて、城の南2階客室>」
爺さんが、理解はできるが変な発音?の言葉を述べると、部屋が一瞬で変わった。
温かくて明るい、贅沢な室内だ。
なんか、魔法使ったらしい。
お茶を出されたが怖いので飲まず、勇人を抱いたままソファに座っていた。
偉そうなおじさんや、そのほかの人たちはほとんど部屋を出て行った。
哲人は、ある程度混乱は収まってきたらしく、爺さんと話している。
どうやら、爺さんが私たちの窓口担当になったようだった。
「じゃあ、先ほどの呪文のようなものは、魔法なんですね」
「そうです。魔力を乗せた声で、魔語で語ることで発動します。しかし、勇者様がたには同じ言葉に聞こえるとは……その効果もあって、これまでの勇者様は魔法を簡単にお使いになったのでしょうな」
さっきからしゃべっている爺さんの口元を見ていたが、どうやらまったく違う言語を話しているらしく、口の動きと聞こえてくる言葉が違う。
これがよくある自動翻訳というものなのか。
大分慣れてきたけど、最初は気持ち悪かった。
「魔法って……誰でも使えるものなんですか?」
「はい、そうです。使える魔法の差はありますが、そうですな、勇者様であれば、伝説級の魔法も簡単にお使いになるでしょう」
「へぇ……」
落ち着いているように見えるが、哲人はまだ爺さんを信じていない。
爺さん(役人さんらしい)によれば、魔王が現れると、この国の神殿に勇者が招かれるらしいが、神の御技らしくてよく分からないそうだ。
よくある誘拐(召喚)とは違うのかな。
魔王が出たから、国が勇者を召喚して、言うこと聞いてもらって倒してもらおうっていう他力本願なアレ。
私としては、犠牲が出まくっててそれしか方法がないことが分かってるなら、否定するつもりはない。
誰だって生き残りたいものね。
だけど、私がその勇者的な立場にあるのなら話は別。
元の世界に戻る方法を探してもいないなら、そんな世界、自分が死ぬ直前に潰しちゃえ☆と思ってる。
否定はしてないよ、心底イラっとするだけで。
とはいえ、あくまで聞いただけだから爺さんの言ったことが本当のことかは分からない。
魔物もいて、魔王が治める土地に近づけば近づくほど、強い魔物がいるとか。
魔法があるってことは、ステータスとか見られるのだろうか。
「使える魔法などは、どうすれば分かりますか?」
哲人が聞く。
じいさんは、どうやら哲人を勇者と考えて話しているらしい。
私と勇人のことはほぼ眼中に入れていない。
いいけどね。
「……魔力を乗せて『自分の人物評価』と魔語で唱えてくだされ。自分の状態を確認できるはずです。我々にとっては、使える魔法や剣技、突出した知識などの状態を確認する、魔法の基礎です」
「なるほどー。魔力を乗せて……<自分の人物評価>……えっ?!」
哲人は言葉を唱え、驚いて固まった。
何か起こったらしい。
私も、隣で口を開いた。
「<自分の人物評価>」
やろうと思ったら、勝手に言葉に魔力が乗って、魔語になるらしい。
便利すぎる。
そして、目の前に透明な画面のようなものが出てきて、いろいろ書かれていた。
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氏名:竹峰 邪栄
性別:女
年齢:31歳
状態異常:なし
装備:寝間着
魔法:レベル2153
独自魔法:実現魔法
剣技(短剣):レベル2
体術(蹴り):レベル12
知識:レベル35
称号:さいきょうの魔王様
特記事項:子ども優先、魔法自作可能
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待て。
いろいろ待て。
魔法のレベル、ほかと比べておかしくない?
ていうか、称号なにこれひどい。
さいきょうって、最強?それとも最恐?最凶?まさかぜんぶ?
「だっだっだ、だゃーっだ!だぅだぅ」
勇人が、小さな手で私の胸のあたりをぺちぺちと叩く。
座ってるだけだから、飽きてきたかな。
そういえば、哲人や勇人のステータスはどうしたら見られるのだろうか。
ちょっと思いついたので、試してみよう。
私は、隣の哲人を見た。
「<哲人の人物評価>」
哲人が、おや、という顔でこっちを見た。
小さい声だったので、爺さんには聞こえなかったようだ。
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氏名:竹峰 哲人
性別:男
年齢:31歳
状態異常:なし
装備:寝間着
魔法:レベル35
独自魔法:警護魔法
剣技(長剣):レベル8
体術(受け身):レベル13
知識:レベル1925
称号:巻き込まれた賢者殿
特記事項:家族命、魔法自作可能
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あ、哲人は巻き込まれたんだ。
あれかなぁ、巻き込まれチート的なアレ。
というか、私たちの両方とも勇者ではない、ということはまさか。
「……<勇人の人物評価>」
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氏名:竹峰 勇人
性別:男
年齢:0歳
状態異常:なし
装備:着ぐるみの寝間着
魔法:レベル201
独自魔法:天候魔法
剣技(大剣):レベル210
体術(ゆうぱんち):レベル1
知識:レベル1
称号:勇者ちゃん
特記事項:抱っこ推奨、両親(主に母)とセット、魔法と剣技は潜在中のため成長なし、魔法自作可能
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まさかの、勇人が勇者でした。
さっきから、魔法・剣術・体術・知識のレベル、称号もおかしい。
適当なの?
ふざけてるの?
ゆうぱんちって私たちがふざけて名付けた、ただのペチペチするやつなの?
特記事項はトリセツなの?
勇者っていうことは何?
私が勇人に倒されなければいけないの?
それとも、私の魔王様っていう称号はギャグなのか?
だめだ、ちょっと考えをまとめる必要がある。
「やーやむ、にゃむやんやむ」
混乱していると、勇人が指を吸いながら文句を言いだした。
ちょうどいい。
「あの、すみません……どこか小部屋を借りられますか?授乳したいので」
「おやおや。それは気付きませんで……あちらの部屋へどうぞ」
「ありがとうございます。哲人、一緒に来てくれる?知らない場所だし、勇人がちょっと不安になりそうだから」
「分かった」
よしよし。
私たちは、隣の部屋に入って扉を閉めた。
すると、哲人が部屋を見回して口を開いた。
「<魔法隠ぺい><室内は防音><室外からの防音のみ解除><見張り排除>」
なんか、いろいろ魔法を使っている。
要するに、こっそり魔法使って、向こうの音は聞こえてこっちの音は防音、邪魔させずに密談しようってことね。
さすが哲人、分かってる。
私は、そこにあった椅子に座って勇人に授乳し始めた。
「邪栄ちゃん、ステータス覗いていい?」
「うん、勇人と私、二人とも確認して」
「はいよ。<勇人の人物評価>……!!」
哲人が驚いている。
「まさか……俺は、勇人の召喚に巻き込まれたってことか。じゃあ邪栄ちゃんも?」
「うーん。説明するより見てもらった方が早い」
「そう?じゃあ<邪栄の人物評価>……っはぁ?!」
大きな声に、勇人がびっくりして口を離した。
大丈夫、勇人に言ったんじゃないよ。
そっと頭を支えてやると、また飲みだした。
あー可愛い。
「そういうわけだから。多分、何もしないのはマズいかなと」
「マジか……さいきょうマジか……さすが邪栄ちゃ、いや邪栄様」
「うるさい」
勇人に授乳してるから蹴られないと思いやがって。
後で覚えとけ。
「とりあえず、ステータスの隠ぺいとかできないかなぁ。魔王はさすがに隠したい」
「できるんじゃないか?魔法自作可能ってあるし、それっぽくしてみれば」
「うーん、やってみる」
とにかく、私の『魔王様』をなんとかしなくては。
あと、魔法のレベルも多分高すぎるし。
レベルについては、爺さんのセリフから見られるのか分からないけど、万が一ってこともあるし。
隠ぺいというか、ごまかしというか、……むしろ嘘かな。
自作だから、適当な日本語でもいける気がする。
「……<私の人物評価の虚偽><魔法レベル上2桁隠ぺい><称号書き換え、魔導士さん>」
これでいけたかな?
「邪栄ちゃん、ごまかすね……」
「だって、変に目を付けられたくないでしょ。<私の人物評価>」
-----------------
氏名:竹峰 邪栄
性別:女
年齢:31歳
状態異常:なし
装備:寝間着
魔法:レベル53(2153)
独自魔法:実現魔法
剣技(短剣):レベル2
体術(蹴り):レベル12
知識:レベル35
称号:魔導士さん(さいきょうの魔王様)
特記事項:子ども優先、魔法自作可能(、評価虚偽発動中)
-----------------
「哲人、見てくれる?」
「はいはい。<邪栄の人物評価>」
「どう?」
「……うん、魔法のレベルが53で、称号が魔導士になってる」
どうやら上手くいったらしい。
「よかった。じゃあ、次は勇人ね」
「できそう?」
「うん、大丈夫だと思う。<勇人の人物評価の虚偽><魔法レベル下1桁隠ぺい><剣技レベル上1桁隠ぺい>」
これで、ほかの人にはこんな風に見える。
-----------------
氏名:竹峰 勇人
性別:男
年齢:0歳
状態異常:なし
装備:着ぐるみの寝間着
魔法:レベル20
独自魔法:天候魔法
剣技(大剣):レベル10
体術(ゆうぱんち):レベル1
知識:レベル1
称号:勇者ちゃん
特記事項:抱っこ推奨、両親(主に母)とセット、魔法と剣技は潜在中のため成長なし、魔法自作可能
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称号を書き換えようとしたのだけれど、なぜかできなかった。
ほかの方法があるかもしれないが、ちょっと時間がないので、調べられないことを祈ろう。
勇人は、満足したらしくうとうとしだした。
こんなとこにいるけど、怖がったり泣いたりしなくて良かった。
まぁ、私や哲人が慌てなかったから、勇人も大丈夫だと感じているんだろうけど。
「哲くんのはどうする?」
「そうだな……俺は、スケープゴートになった方が良さそうだから、このままにしとく。一応、聞かれなければ俺が勇者っぽく対応するし」
「ん、分かった。気を付けてね?あとは、いろいろ知りたいことがあるんだけど……あの爺さんたち、答えてくれるかしら」
「うーん……まだ何とも言えないな。いい人的に振る舞いながら、聞き出してみようか」
「じゃあ、私は勇人に危険がないなら夫にお任せしますってゆーいつもの感じで大人しくしとくね」
「え……」
「え?」
あまりにも驚いた表情で私を見やがったので、哲人のお腹をぺしっと蹴ろうとした。
上手いこと避けられたので、もう一回蹴りを繰り出した。
こんなに家族思いの私をなんだと思ってるのかしらね。