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獣の譬  作者: 灰撒しずる
山犬の瞳
6/20

帰参

 フュードシャ姫の聖名式は王族のそれの中でも極めて盛大に、華々しく執り行われた。贅を尽くした宴は五日を越えても続き、王の婚礼や、姫がお生まれになったときと同等か、それ以上の規模となった。国中から貴族領主が呼び寄せられ、一日で十日分の灯りが潰えたと聞く。

 愛らしい姫と王の御尊顔のついで、友人の顔も久々に見ることができた。少々老けた彼は妻と息子を連れ、満面の笑みで私を出迎えてくれた。あまりの上機嫌にこちらが気圧されるほどだった。なんでも、姫の聖名と合わせ騎士としての箔付けがされたのだと言う。晴れて百合の騎士、名実共に貴族の一員。祝賀のお零れを大皿で頂戴したと言うわけだ。

 彼の新しい邸宅に招かれ、話題の尽きない都で二月過ごした。彼の話は直接言葉を交わす場にあっても大仰で、酒の席ともなればまるで舞台のようだった。十一になった彼の息子もまた父に似て、学びに出ている先での事柄を大人に劣らぬ達者な口で、母譲りの美声で語ってくれた。

 私自身、領に居るときよりも随分口数が増えた。カグーで起きたこと見聞きしたことをいくつか語った後は、都で行われようとしている政策について感想意見を述べるのを久方ぶりに楽しんだ。無論表舞台に届くことのない声だが、届かない故に好き勝手に言うことができる。ある大臣の持つ庭は素晴らしく広いからついでに麦でも育てればいいのだと吐いた時は、友人どころかその侍女さえ笑わせた。

 友人とその家族と、また別の友人と、そして王と僧侶と。あれこれと話をして盃を交わし、自分の仕事を忘れそうになった頃に、見計らったエフィンからの手紙が届いた。お帰りをお待ちしております、との簡素な手紙は、しかし私が領主としての心を思い出すには十分だった。

 愛しいカグーに戻らねばなるまい、と帰り支度をしたのは、あの山が最も固く扉を閉ざしている時期だった。王も友人も誰も彼もが春までゆっくりしろと言ったが、そのようにはいくまい。毎年変わらぬ仕事、前もって手を入れていたとはいえ、二月は既に過ぎた。これ以上は長すぎる。

 貢物の返礼として多くの物を受け取り、私は恭しく都を辞した。馬車から眺める都は雪に包まれても美しく、あの峰より遥かに明るく輝いて見えた。祝いの火など灯さずとも十分でないかと思えるほどに。

 それでも。次に訪れるのはいつになろうか、と考えはしたが、別段惜しいとは思わなかった。招かれた客人としての椅子しか用意されず、夜語りの魔物のように常に姿を変える政の中に加われぬなら、都に居ようともいずれ飽きる。カグーに戻っても変わらない。それならどうあれ、待つ者が居る城に帰るべきだろう。

 そうして辿った戻りの道は進むほどに雪が厚くなった。この国は細く長い国土どこをとっても雪の国だが、カグー連峰の降雪量は他の地域の非ではない。私はこの地に赴任して初めての冬、町が滅びるかと思ったものだ。都の大雪はカグーの平常で、その中で民は皆暮らしていた。

 今年も、雪が恐ろしく深い。もしかすれば例年より多く降っているのかも知れなかった。私がどれほど長く領と城を空けていたのか、思い知らされる。

 冬初節はとっくに過ぎて、冬終節(ズィーマカニエ)に入ろうとしている。家々が埋もれ、移動手段が馬から鹿橇になるわけだ。これはエフィンと皆に悪いことをした。

 鼻の落ちそうな冷え込みでも、領民は元気にやっているようだった。林の中で狩った狐を背負う少年たちに出くわし、薪を抱える娘に出会う。誰もが顔の強張る空気の中で微笑んで領主の帰還を迎えた。当の領主である私と言えば、あまりに足の先が冷えて痛むので上手く笑えていたか自信が無い。都でぬくぬくとし過ぎたに違いなかった。

「おかえりなさいませ、アナトーリ様」

「苦労をかけたな。急ぎの仕事はあるか」

 城の周辺は今年も見事に雪が払われ踏みしめられ、馬が駆けれるほどになっていた。場所によっては転んで立ち上がることもできない氷の道なので、努々(ゆめゆめ)、駆けようとは思えないが。

 出迎えたエフィンとヴラスが領民からの願い出その他を簡潔に告げ、その後にいくつかの書状が机にあると補足する。導かれた広間で侍女に上着を脱がされながら頷き、では明日にでもとりかかろう、とあまり頭を働かせないままに返した。強張った体が暖炉の熱でほぐれるにはもう少しかかるだろう。

 外はともかく、城の中はあまり変わり映えしない。絨毯とカーテンがいくつか変えられて、後は出た時のままだ。誰も怠けてなどいなかったようで掃除や手入れは行き届いている。

 故郷でもないというのに、戻るとやはり落ち着く気がする。三日後には退屈になるに、違いないが。

 まだ足が冷えて動きが鈍い。解いた髪も冷えて心なしか硬いのは、もしかすれば凍っているのかもしれない。返礼の品を解かせながら、風呂の支度をさせる。

 上等な蜜酒の貰い物は、よく働いてくれた者たちにくれてやろう。考え、誰かと指図しようとした先で、久々だが見慣れた部屋に見慣れぬものがあるのを見つけた。

 ――身形の良い、黒い髪の子供。忠臣たちが特別な日にやるのと同じように床に膝をつき頭を垂れる、小姓の格好をした子供だ。肩の上で揃えられた髪は妙な癖もなく、色がこうでなければ、私はけして気づくことができなかっただろう。

 また、忘れていた。向こうに行ってしばらくは覚えていたのだが、友人に話をした後では話題に出すような事柄でもなく、まるで意識の外だった。

「ああ、生きていたか。これは見違えた」

 上げられた顔の半分ほどは、革の帯で覆われていた。抉られていた目を隠すための眼帯は医者が用意したのだろうか。あの老人は優しい性分だから、犬相手でもそれぐらいのことをしてやっていてもおかしくはない。

 残った左の目は変わらず狼と同じ灰がかった茶色で、まっすぐにこちらを見返していた。目玉を収める顔も、血色がよくなって随分健康そうだ。あの頃とは違い、目つきに体が合っている。

 どうやら、生きていた。それもかなり良い状態で。

 それにしても。服を見繕ったのは部下に違いないが、余っていた小姓の服はこれに与えるには上物すぎたのではなかろうか。体に合わせて作ったわけではなく豪奢な作りにもなっていないが、都で仕立てられた服は領民の物よりも随分高価な品だ。思えば、私も、私の部下も、そうした面には普段無頓着な手合いだが。さすがにグラシナロなど引き合いに出されると気になるものだ。

 それでもまあ、悪くはないように思う。色合わせの違和感は拭えないが、こうして見れば割に見栄えのする犬ではないか。自分たちと同じような服を着せたところで、滑稽とするほどの酷い様ではない。

「調子は良さそうだな」

「はい」

 部下に向けかけた顔を下に戻すと、外で出会った領民たちのように、口元が緩く弧を描く。都の行く先で見たものとは違う打算の透けない顔だった。

「はい。待って、ました、パンジャミ」

 子供らしい微笑みと、子供の割には低い声。拙い言葉はしかし確かに我らの言葉で聞こえた。

「ヴラス。――お前たちは思った以上に、よくやってくれたようだな」

 受け答えをするなど、まったく考えてもいなかった。繋がずにいるから大人しいものとは思っていたが、まさかあのみすぼらしいだけの泥の輩が、このように変わっているとは。見違えたのは見目だけではないというのか。

 横に立つ部下の表情はいつかと変わらないが、今日は蛮族の髪も腕も掴んではいない。鎖も縄も握らない武骨な手は、胸の前で重ねられた。

「は。これが驚くほど物覚えがよく、我々が話すのを聞いて覚えたようでして。今ではおよそ言葉が通じるようになりました」

 狼が犬になるぐらいのことは、不在の間に起こったようだ。犬は思ったよりも頭がよいらしい。学ぶべきものを、知るべきものを嗅ぎ分ける鼻があった。選んで捕らえたわけでもないが、グラシナロの中では上物を拾ったのかも知れない。

 顔と振る舞いを見る限り――それも覚え備えたか、品が無いと言うほどでもない。これはおそらく、見込みがあるのだ。愚者から脱却するその見込みが。

「繋いだほうが、よろしかったでしょうか。部屋に閉じ込めておいたほうが?」

 しげしげと見下ろす間に問いかけがある。今頷けば、彼は即座にそうすることだろう。特に誰を繋いでいるわけでもないこの城には、そうした部屋も鎖も、宛がって余るだけあるのだから。

 しかし、暗い部屋に閉じ込めてしまえば、私はこれを忘れて、餓死でもさせるに違いない。私が忘れようが世話をしてやる係をつけてやるなら話は別だが。留守にしていた、間のように。

「なに、上々だ。この領主が居らずともカグーは安泰だな。何も問題がない」

 言葉を覚えて、振る舞いを覚えて、質のよい服を与えられて。私が居ぬ間に、他には何を覚え、何を考えたのだか、それとも考えていないのか。私の顔を忘れていてもおかしくはない山犬の仔は、こちらを見上げるばかりだった。

 やはり、飛びかかってくるような気配は微塵もない。

「私は、留守の間にお前たちがこれを殺しているのではないかと思っていたがな」

「主人の持ち物を勝手に壊すような者は、この城には居りませぬ」

「成程」

 賢い犬になんと言ってみるべきか、考えあぐねた私の呟きに、部下は迷うことなく答えた。成程、道理だ。汚らわしき蛮族と言えど、領主の飼い犬ならばと言うことか。納得のいく答えだ。

 それなら上等の服を与えたことも納得がいく。領主の持ち物に、領主の指図なしに粗末な装いをさせることは、彼らには憚られたのだ。持ち物の格は持ち主の格。たとえそれが奴隷の類であろうと。

 よい主に拾われた、と言うよりは、よい部下を持つ主に拾われたのだ、この仔犬は。

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