使者
暖炉の前に腰掛けて都からの手紙に目を通すのは、三月に一度の習慣だった。遅れて知らされる都の様子は、まるで変わり映えしないこの連峰とは違い、目まぐるしい。それを丁寧かつ、一種の物語のように報告してくれる友人の文書は私にとっては待ち遠しい届け物だ。
三月に一度ではなく、一月に一度程度の習慣にしたいものだが。都からこの城に物を送るのはかなりの時間を喰う。こちらから返すのもまた然り。それに、これだけの、重要な書類に劣らない厚みのある手紙を認めるのは一晩二晩の仕事ではあるまい。読むほうだって、書状を読み判を押すよりはずっと大仕事なのだから。
三月に一度なら、早く、途切れないだけよいほうだ。友人が律儀で酔狂で、私も彼も国の要人であるのは幸いなこと。他の荷よりも早い馬や鳥が運んでくれる。
私が雪山の切り裂くように冷たくも生温い世界に身を置いているうちに、今年もまた大臣が一人変わったようだ。昔世話になった男が退いたところに収まったのは、私もよく知る名家の、知らない世継ぎの男だった。
人が老いて、退くだけの時間が過ぎている。私がこんなところで、暖炉の火に炙られている間に。
その分私も老いに向かっているのだろう。鏡は毎日目にするが、見た目は然程でもない気がする。ただし精神は、魂は、器より早く老いているかも知れない。少なくとも、こんなことを考えるほどには、老いた。
柔らかい紙の手触りが意識を手紙へと引き戻した。昔から変わらぬ癖字で書かれた新たな大臣の名前からは線が引かれ、これがあまり顔の良くない上に吝嗇だ、などと端書に繋げられていた。本文に戻ると、その大臣のした仕事がやや格好つけの物語じみた文体で綴られている。これがたとえば、城の普通の騎士が出した手紙ならば、端書も本文も検閲で削られてしまうだろう内容だった。友人とて、人に見られてしまえば大臣に目をつけられ、城中に居づらくなるには違いない文面だ。
だが、その点は友人も安心しきっている。姫様の誕生祝いに駆けつけて以後お会いしていないが、王とその周辺は、未だに私を気に入って、気にかけてくださっているらしい。このような辺境に置いた領主を相手に、様々に取り計らってくださる。有体に言ってしまえば、私に甘い。
都の一政客のままでいたいとの望みの外は、どのような申し入れも通らなかったことが無い。私への手紙や荷が、検閲されるような無礼な目に遭うわけなどないのだ。
手紙の最後は、案の定、君はまだ妻を娶らぬのか、といった内容で締められていた。子供ができれば稽古をつけてやる、ともある。三月に一度見る、およそ変わらぬ騎士の挨拶だ。
……妻か、子供か。どちらかでも作れば、この焦らすような時の流れも、いくらか歩調を早めるだろうか。女も子供も、変わるのは早い。きっと私よりも。
「アナトーリ様、客人をお連れ致しました」
くだらない考え、面白くもない冗談を考えたところで厚い扉の向こうから声がかかった。お連れした、との言葉に、私は手紙を元の通り木箱に戻し、括って机の上に戻す。髪を手で梳き、服を整え襟紐と帯紐を締め、それでやっと言葉を返すことができる。
「お通ししろ」
応じて開いた扉の先、部下の背後には既に客人が控えている。部下が私の気を伺う前にそうして私室に通す客は、都、王の使者をおいては他にない。
胸の前で手を重ね礼の姿勢をとった使者は、前に一度見たことのある男だった。名は忘れてしまったがその長躯は忘れがたく、身の丈に合う大きさの、それでいて上等の上着を見るたび、よくもまあこれだけの狐を用意したものだと思う。
横に連れた、彼に比べて小柄な二人の青年には見覚えがなかった。彼らを見て思い出したことがあったが、それは今考えるべきではない。
「王の勅命により参じました」
確かに覚えのある声が言う。立って迎えた私に着席を促して、毛皮の襟を割って書筒を取り出す。王家の紋が刺繍された蓋を外し、巻紙が引き抜かれる。
「山道をようこそ。言伝はどのような?」
胸の前で手を組んでから椅子に掛けなおす。恭しい手つきで広げられる紙は、先程読んでいた手紙よりしっかりと腰があり、飴色をしている。
私と、横に立った私の部下と、自分の部下と。この場に居合わせた者に内容の正しさを誓う仕草をして、使者は王の――命によって文を認めた書記官の言葉を読み上げた。
「初姫フュードシャ様はますます愛らしく、賢くお育ちになられ、次の節の初めに聖なる齢をお迎えになられます。ついては、聖名式を行うにあたり、貴殿アナトーリ・フィー・ランデアに百合の一輪を手向けて頂きたいと、王と后が心より望まれております」
「ああ……姫君も四つになられたか」
長い長いと思っていた四年だが、子供を定規にすると最早、と思われる。
姫様は祝い事には向かない時期にお生まれだ。こと、この峰の主としては、足を一歩踏み出すにも億劫な時期ではある。とはいえ、無下に出来る相手でもないことは確かだ。一の后に似た巻き毛の姫は聖なる百合の年を迎えてどのようにお育ちか、私もその顔を拝んでくるべきだろう。
冬初節までに終えておくべき仕事がどれほどあっただろうか。そう多くはないはずだが、すべて誰かに託すことができるかは、机に座ってみないと分からない。
「近頃はこの峰も静かだとお聞きします。この期に、都に戻られてはいかがかと」
職務について考える様を何と思ったか、私の返事によっては小言を喰らう男は機嫌をとるように言った。静かだということを誰に聞いたかと言えば、元を辿れば、私にだろう。此処のことを報告申し上げるのは、領主の私しかいないのだから。
今戻っておけば、そのまま都に居座り、別の仕事を賜ることができるかも知れない――そんな口振りだ。
冗談だろう。それなら、私は四年前に此処を離れていたことだろう。カグーは地図で見れば要所であるが、御すのが難儀ということはない。ただ住むには手間で、恐ろしく自由で、暇なだけだ。私でなくとも務まる仕事だ。
都の政情が変わったとして、この連峰領は四年前と何も変わっていない。それは領主である私の保証するところだ。
今都勤めに戻れるのなら、もっと前に戻れていた。それでも、私は此処にいる。
「相分かった。姫の聖名とあれば伺わぬわけにもいくまい。支度をして、土産と共に馳せ参じること、貴殿の名と百合に誓おう」
笑みを作り、胸の、上着に隠れた百合十字の前で手を重ねて、使者と王が望んだ返事を告げる。使者の顔が緩んだように思えた。
使者が同じ動きをすると、遅れて、横の部下たちも同じ姿勢となる。彼らの胸にも当然、百合十字が提げられているはずだ。
「そのようにお伝えいたします」
「休んでいかれるとよい。温かい食事と、部屋を用意させる。ヴラス」
呼びかければ仔細を問うこともなく、心得た部下は使者の案内に立つ。そうして退室しようとした彼が足を止めたのは、開けた扉の先に自分と同じ格好をした同僚が居た為だろう。
先に部屋から出る四人を通してから、私の親と言っても遜色ない齢の男は、後に続いた私の元へとその身を寄せる。
「アナトーリ様、……目を覚ましました」
小声で告げられた。何が、と問いそうになって、思い出す。返答を待つ彼の顔が明るくないのは、成程、納得の行くことだった。
今日はどうも変化が絶えない。悪くない一日だ。これなら夜までが早い。食事を終えた後も客人の持て成しに時間が潰れる。
「すぐに行く。お前は客人の部屋を用意するよう、言いつけろ」
忙しい、などと、少しでも感じたのはいつ以来だろうか? 収穫祭のときだって、思わなかったというのに。
すぐに踵を返しかけた足を押し留め、会話に振り向いた使者の顔を見返した。不審そうな顔をしていた。王の使者に隠すことが何かあるのかと、そういう顔だ。
――彼らは、自分の肩書きに乗った人の名を、自分のものと誤認する節がある。無意識にも、自分の魂の価値を誤解する。
彼には悪いが、私が仕える先は国と王を除いては、あとは神と僧侶の他はない。発される輝きを汲むだけの者は、すべて私の横にしか並べない。世話になった昔の大臣も、顔を知らぬ今の大臣も、他の領主も、皆同じ事。彼が問うたところですべてを申し上げる必要を、私は微塵も感じない。
「申し訳ないが所用出来た。客人を放り出すご無礼、許されよ。何かあれば彼らを使って下さって結構」
言い残し、客を案内させたのとは逆の通路を辿る。私は忘れていたが、部下たちは忘れていなかったようだ。医者もよくやってくれた。あれから――はて何日、経ったのだったか。三日か四日か、精々その程度だったと思うのだが。
都からの物資と共に友人からの手紙が届いて、少しだけ遅れて都の使者がやってきて、そうして少し慌ただしくなるまでは、なんてことはない日々の繰り返しだったのだ。記録を見ればすぐに分かることを、覚えていようという意欲もなかった。




