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獣の譬  作者: 灰撒しずる
山犬の瞳
2/20

日常

 この話は以後、差別的表現、ややグロテスクな描写が含まれます。

――オーダンク・ニヴ、カグー連峰領主の記憶。




 今朝方、今年の冬は長くなりそうですな、と誰かが呟いたのを耳の端に捉え、そうだな、と何の気もなく答えた。今にして思えばおかしなことだ。此処の冬が短かったことなど一度もない。此処の冬は常に長く、それどころか、年々に長くなっている気がする。冬だけではない。どの季節も一様に足並みを緩慢にしていく。

 時が過ぎるのが遅い。王でも触れられぬ、と賢者の云う永遠に、自分は触れられるのではないかと思うほどに。このじれったい動きの先に、本当に死が待っているのか、終焉があるのか、私は甚だ懐疑的だ。私は時を持て余している。

 オーダンク・ニヴ、北の大陸で央国ユフトに継ぐ歴史を持つ、由緒ある王国。その国土の中でも広大な領地を任された貴族と言えば、聞こえはよかろう。地位も財産も、国内のどの諸侯に比べても劣らない。

 けれど、それが何になると言うのか。都の政から引きはがされ、こんな山奥に追いやられた者に、地位が、財が、何をしてくれる。灰色に濁った峰が見える窓の外に宝石を投げたところで、何も起こりはしないだろうに。

 不満を問われれば頷くだろう。これほど王に目をかけられ、広大な領を預かり自由を賜りながらそうするのはおこがましいが、此処には心躍る意志の競い合いも無ければ、神も、居られぬのだ。

 これで国が、王が憎いなら、反乱でもしてみるところだが。私はオーダンクの国も王も、それどころか民も愛している。自分に軍師の才が無いことも知れているし――カグー連峰領軍という言葉はあまり魅力的ではない。この辺りの心優しく信心深い領民のことを考えれば、下らぬ逆心が起こるはずもない。

 夢のような反逆を企てる頭とは別の生き物のように、手は従順に、王から与えられた地位と紋章で、与えられた仕事を片付ける。書状に認可の押印を繰り返す間も、暖炉の火は絶えず、部屋は外と違って暖かだ。私が気にかけずとも誰かが薪を足す。

 この城では、望めばすぐに食事も風呂も寝台も用意される。時も地位も財も働く手も、何もかもが供給過多だ。自分の手足などなくともどうにかなりそうだ。と、考えて、口の端から笑いが漏れた。手を止めて判の表面を拭い、定位置に置く。

 手がなくなれば、何よりも大事なこの仕事ができなくなってしまう。

 十年ほとんど変わらぬ内容の領内からの願い出。一応と目を通して判を押すのは、日が暮れるどころか、昼になる前に終わる簡単な仕事だった。

 インクもまだ生乾きだが、起床の際に誰も何も言わなかったということは、本日の執務は、これきりで完了ということだ。特別な予定など何もない。誰の訪いもなければ、視に行く必要のあるものもない。私はこの、退屈な場所で有り余る自由を手に入れた。

 ああ。

 どれほど待てば、神は私の道を指し示して下さるのか。私は此処から抜け出せるのか。望みは叶わず、都からは遠ざかり、黙して座するだけの居場所から。

「狩りに出よう」

 空虚な手触り。少しでも埋められないものかと胸に提げた百合十字に触れながら、部下に四日前と同じ提案をした。

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