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獣の譬  作者: 灰撒しずる
軍の兎
14/20

跳ねまわる兎たち

 陸軍の銀獅子紋章の隣に群れ成す野兎の紋章を並べ頂く情報部は、元々国の中枢に座す機密院が二百年ほど前に組織した、独立した機関だったと言われている。当時の情報部はほとんど表舞台に立つことなく――立ったとしても意識されることなく――国内外のあらゆる情報を手に入れる隠密組織だった、とも。

 現在の彼らは、公に動く軍の一部に組み込まれる一兵科だった。最上の命令を出す者が王都の司令官や東西南北の辺境伯たちではなく機密院である、という点を除けば、他の軍人と違うところは多くない。同じように機密院を背負う者ならば、この大陸でもカトナだけが保有する魔法兵科、術兵隊の方が、一般人から見れば余程特異で不明瞭な存在だと考えられていた。

「さっみ!」

「そんだけ着てて寒がんなって」

「着てねぇよ肉だよ」

 情報部に所属する兵士は必ず偶数一組で行動することになっている。多くは二人、警戒時は四人で一組。紋章の兎になぞらえ、それぞれ(オレーユ)(パット)と呼ばれる。

 耳も脚も、基本的に組む相手は決まっている。直属の上司の一存で決められる相方だ。

 マティユーとロドリーグは、耳の中でも年若い者同士で組み合わせられた、仕事仲間というよりは友人としてつるむような間柄の二人だった。

 彼らの主な仕事は、市井での聞き込み調査。潜入調査や諜報より危険は少ないが、数ある情報から価値ある情報を探し出すには、根気と勘と運が要る。無駄足を踏むことも多い仕事だ。

 今日求める情報は、先日都市第八隊が取引を押さえた悪党、ノーニン党の関わっているであろうもっと大きな取引、もしくは計画についての情報だ。捕らえられた党員たちは現在尋問にかけられているが、なかなか粘り強く口を割ろうとしないと情報部の面々も聞き及んでいる。

 彼の党は大党――此処よりも更に北に進んだ山脈地帯で多量の武器を抱える、ロイネン党の傘下に入ろうとしているという噂も上がっている。今回の麻薬取引はその上納金作りだったのではないか、とは軍部の憶測だが、事実ならば無論野放しにしておくことはできないし、上手くやれば軍部は小党のみならず大党の尾も掴むことができる。誰もがその成果を切望していた。

「でも脂肪ってあったかいじゃん? 俺より着込んでてそれはねー」

「いや無いよりはマシかもしれねーけど」

 二人でも賑やかに話しながら、兎の耳は揃って大股に進んで大通りを目指す。

 擦れ違うのは、煙管や筆記用具を抱えて声を上げる物売り、足早に何処かを目指す黒尽くめの装いの聖堂仕者、太った野良犬、短槍を手にした〝護り〟の一団。その他色々。

 物売りはこの界隈では珍しい赤髪の男、訛りは西の響き。上着が白けて汚れているのは儲けが悪いのか。

 仕者は女。若く、小柄で編み髪。薬学に関する本を抱えているのは医院からの出戻りか。

 野良犬はいつも見る顔で、護りたちは、よく倉庫番をやっている人々だ。

 人々の姿を眺め、時に会釈を返し、零れ聞こえる会話などを耳に。そうして進むうちに香ばしい匂いが漂ってきて彼らの鼻を掠めた。

 近道の小路から顔を出せば、食品を扱う店が軒を連ねる商店街の南部だ。ちょうど、パン屋を切り盛りするふくよかな女が焼き立てのバゲットを店先に運び出したところだった。

 焼き立てを狙い待っていた客が銅貨と引き換えにパンを受け取り居なくなるまで、情報部の二人はまた、通りすがりの買い物客の会話に耳を澄ませていた。何が安い、あれが美味い、今年の葡萄酒の出来は、もう祝祭向けの輸送が始まっている、友人に会いに聖堂に行くので土産を。なんてことはない世間話は人々が歩き、または走るのに合わせて流れていく。

「はい、多めに入れておいたからね。祭司補様によろしくどうぞ」

「どうも、ご婦人」

「――どーも、ご婦人! ぐっと冷え込んだけど調子はどう?」

「あら、ご苦労様。お仕事ね」

 纏まって寄った客の最後がバゲットと共に菓子のいくつかも受け取り踵を返したところで、その言葉をなぞり、来たばかりの風で笑って声をかけたのはマティユーだ。空いた籠を重ねていた女店主は顔を上げ、挨拶したマティユーと後ろに控えたロドリーグを見て相好を崩す。

「ほんと、一気に冷え込んだわ。今年は暖かいのかしらって話してたんだけど、そうでもないわね。冬は発酵が遅くて困るのよねぇ」

「山向こうじゃ大雪だって言うから、降らないだけマシですけど」

「あらそうなの……ああそうそう、うちの人今来ると思うからちょっと待っててね。うちの人の腰もねぇ、冷えると痛むって言うんだけれど、雪かきしなくていいならいいわね」

「腰? 何、また調子悪いの?」

「そうなの。粉屋さんのところ行って、やってくれるって言うのに自分で持ち上げて積んだものだから、馬鹿よね」

 パンを並べる台の端に頬杖ついた女とマティユーは、一見すると親子か何かのようだった。髪の質と体格が似ているのだ。実際、彼女は彼らを肉親のようにとは行かずとも、近所の子供のように扱っているところがある。

「みっともねえ事喋ってんな!」

「なによ、静かになさいよ」

 それは彼女の夫も同じだった。後ろで扉が乱暴に開いて、妻とは違い角張った印象の強い男がパンを入れた籠と紙袋を手にどかどかと出てくる。おかしそうに笑っていた妻に怒鳴り、紙袋を片手でロドリーグに差し出す。

「腰大丈夫ですか?」

 二人の話を横で聞いていたロドリーグは口元をにやにやと歪めながら、今話題に上がっていたパン職人に尋ねた。

「お前らまで馬鹿にすんのか。ちょっと遠くなったから疲れただけだ」

「ああ、倉庫大きいのに変えたんだっけ、粉屋の旦那。遠いと大変だね? これから寒いし」

「向こうはあっちのが具合がいいんだから仕方ねぇ。……三つ入れたから、ナタリーにも食わせてやれ」

「ありがと、助かるホント。でも腰はさ、気をつけなよ、歳だし」

 今日はまだどうにかなっている腰に手を当て、彼は蹴散らすように返してロドリーグの妹の名前を出す。

 ふん、と鷹揚に構えていたのは数秒で、袋の中に入っていたパイにもにやけて減らず口を叩いたロドリーグの頭を叩く動きは素早かった。

 逃げる間もなく叩かれてあまり痛くない頭を押さえるロドリーグを見て、この人ったら、などと言っていたパン屋の婦人が、はたとして白い息を吐く。

「そうだ、その指輪って流行ってるの? 何か意味があるのかしら?」

「え?」

 頭に触れた手を示され問われ、ロドリーグは目を丸くした。マティユーも揃って、問いの意味を測ろうと女のほうを見遣る。

「ああ、いえね、この前聖堂に行ったときね……五人ぐらいかしら。門の所に立ってた人が皆そんな指輪をしていたのよ。小指に、太い銅の指輪をお揃いで。知らない人だったんだけど。それとそっくりの」

 彼女はなんてことはないように首を振りながら説明をした。ロドリーグとマティユーの視線が、にこにことしたその顔からロドリーグの右の小指へと移る。赤い色味の銅でできた、幅の広い指輪へ。

「聖堂って、ミコ・サルーナですか?」

「そうよ」

「指輪に模様とかありました?」

「あら……そこまではちょっと、見えなかったわね。でもほんとによく似ていたわよ。そういう太いのってあんまりないでしょ?」

 問いと答えが交わされ、マティユーは少し考える素振りをしてから相方を見た。ロドリーグもまた、自分の指輪を見て言葉を探し、口を半開きにしている。

「――じゃ、俺の生まれた地方のお守りですよ、多分。旅の人じゃなかった?」

 少し間を置いてから、彼は笑顔で答えた。つられて女の笑みも深まる。

「あらそうなの。たしかに旅装束だったわ。ご同郷だったのかしら」

「そっすね。知り合いだったりして。どんな奴かは分かりませんでした?」

「それもちょっとねぇ……また見かけたら教えてあげるわ」

「お前、そうやって知らない人に話しかけんじゃないぞ。前もそれで色々」

「やだわ、終わった話でしょう。やめてよ」

「お前が懲りないから言ってんだろうが」

「ほら客来たよ奥さん、またね!」

「パイありがと!」

 またトントンと軽い調子の会話が再開され、途中でパンを並べていた男の声が割って入る。そのうちに客がやって来たのを端に見て、二人は手を軽く振ってパン屋を後にした。

 夫婦喧嘩からも上手く逃げた形で白芋の詰まれた青果店の前まで進んで、また顔を見合わせた。肩が付くほど体を寄せ、声を潜める。

「……ガルゥイ教徒が八角聖堂に行くか?」

 マティユーの問いかけに、ロドリーグはゆるゆると首を振った。

「行かないね、俺は。俺以外もフツーは行かない。ガルーレナは他の聖域入んの嫌いだから」

 ロドリーグの小指に嵌められた銅の指輪、女が見た物と同じだと言うそれは、ただの〝お守り〟などではない。ガルゥイ教の信徒、当人たちはガルーレナと称する聖山信仰者たちの印だ。

 神についてを多くは語らない彼らだが、指輪は神との繋がりにして枷であるとされる、とは、マティユーもロドリーグから聞いている。

 しかし、件のミコ・サルーナ聖堂は彼らのための聖堂ではない。

 そもそも、ガルゥイ教はこの国では少数派だ。一市民の女が彼らの印を知らないのも無理はない、と言える程度の。であるから、彼らの為の施設は範囲を国内に広げて数えたところで十カ所しかないのだ。此処よりは東の地に多い。

 町の中央から少し外れた辺りに有る、高所から見下ろせば八角形に見える白い建物、ミコ・サルーナ聖堂は八角星(はちかどぼし)を御印とする女神ターリャを信仰する星神教の祈りの場だ。ガルゥイ教と星神教はまったく元を別とするもので、いがみ合っているわけでもないが、仲が良いということもない。

 そしてロドリーグが言うとおり、ガルゥイの者たちは他者の聖域に踏み込むことを酷く嫌う傾向にある。小指に太い銅の指輪とくればガルゥイ教徒というのが彼らの認識だが、その点は矛盾していた。

「気になんなー」

「なるねぇ」

 何か別の意味を持っているのか、何か起ころうとしているのか。

 視線を交わしながらも二人はまた歩き出し、周囲へと意識を向け始める。外で立ち止まってあれこれと議論をするのが彼らの仕事ではない。銅の指輪について――旅装束の集団についても、聞き込みを続ける必要があった。

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