穴倉にて
天窓からは柔らかな光が注ぎ、板張りの床を照らしていた。窓の装飾格子を映した、引き伸ばされてぼんやりした影は蔦の模様。上の部屋へと続く階段の手すりにも、閉じられた扉の覗き窓にも、その植物の装飾はあった。
「そういやさ、東の魔石盗掘の件、全員捕まえたって聞いたか? 支部の入手した情報が決定打になったって」
「いんや。それはなによりだけど、――〝運び〟が十人も関わってたってやつでしょ? あれってフォセ・テーア党だったの、結局」
「らしい。運びは七人、首謀は東の大党フォセ・テーア。関与していた傘下党は三党。相当な規模だから、こっちにも物が流れてきてるだろう、って。ヘルナンから聞いたところによれば」
「んん――フラネグーロの大取引みたいだな。今まで〝運び〟を多く使う悪党と言えば西の……イーディア党だったけど、最近はそうでもない、ってことか。やだね」
「だな。より一層の警戒をもって勤勉に、ってか。東方領軍は上手くやったけどなぁ」
窓から差す光の柱の他は薄く真昼の影に包まれて、色褪せくすんだ色の世界になっていた。暖炉では火が燃え、周囲だけまたぼんやりと明るい。トッと小さな音がしたのは、部屋の中央。
「俺たちも負けてらんない、ってか」
クルミ材製の大型テーブルの上に置かれた真四角の盤は、赤と白、二色の木で組まれている。その上や横には、同じように赤と白の木を細工した駒がばらばらと――総勢で三十二、立っていた。鶏卵の底を切ったような形に体や顔を彫り込まれた駒は、王、騎士、祭司に獣、そして兵と、魔法使い。この大陸ではどの国でも類型が見られる、戦争盤戯の一種だった。
白木で作られた騎士が、銅の指輪を小指に嵌める細くすらりとした手に摘ままれて前進した。ト、と軽い音がする。続いたのは、ドンと、テーブルに肘を突いた音だ。駒たちが少し揺れたが、安定しない安物ではないので簡単に倒れはしなかった。
「あーっ、そっちかあ……ちょっ、と待てよー……」
「一晩でも待つし。降参してもいーよ」
「しねーよ」
長いテーブルの片側に並んで座り、椅子を斜めに遊戯盤に向かい合う。二人の青年は同じ服を着ていたが、見た目はまるで違った。
盤面を見つめて考え込んだ赤軍の指揮官は小太りで、丸い顔にある鼻と目は小さい。ところどころ跳ねた髪と太めの眉、目は揃って焦げ茶色。善良そうではあるが、一度会っても数日経てば忘れてしまいそうな、なんとも一般人然とした風貌だ。太い首に対して、襟元はやや窮屈そうに見える。
片や――騎士を動かした白軍の指揮官は一言で言えば、彼とは対照的な、すらりとした美男だった。すっと通った鼻筋と形よく膨らんだ唇を持つ、彫刻のようなと喩えるよりは、人形のようなと喩えたほうがしっくりとくる、中性的な美しさを持つ青年だ。肩の上で切りそろえられた金髪と、紅茶のような色の瞳が顔の作りを裏切らずに調和している。伏し目がちな双眸の左の下には、薄い泣き黒子があった。
会話は途切れて、時が過ぎる。二人は揃ってじっとして盤面を眺め、盤上の駒は指揮官の手を待って睨み合う。
その静寂を終わらせたのは、床板を穏やかな歩調で踏んで響く、靴の音だった。静けさは破られるのではなく幕を引かれるように少しずつ取り払われ、二人の青年は顔を上げた。
「君たち、そろそろ時間ですよ。出なさい」
暖炉の横で火掻き棒を手にしたのは、白髪を後ろで束ねた老人だった。太い眉と金縁の丸眼鏡が印象的な背の高い男である。間延びした靴音の続きのようにのんびりとした口調で促した彼もまた、青年たちと同じ服を着ている。
「はい支部長」
二人は返事をして立ち上がり、隣の椅子に置いていた手袋を手に、顔をテーブルの上へと戻した。
手袋を嵌めながら、または、手袋をベルトに挟みながら。手を考えていたときのように盤を見渡し、同じ頃合いに目を外して顔を見合わせる。その頃には、支部長と呼ばれた老人も横に来て盤上を見ていた。
「覚えた?」
「おう」
確認の後、二人は手早く駒たちを戦場から引き上げ箱の中に納めていく。そうして寝床に戻った駒と盤は、重ねられて蔦模様が描かれた飾り棚に納められる。
「今度は何を賭けているんです、君たち」
「どっちがニールカで菓子を買ってくるか、です」
老人が問うと、小太りのほうが振り向いて笑った。手袋と同じように椅子に置かれていたつば無し帽を頭に置き、向きを調整しながら答える。
「ほう、隣町まで?」
「新しく出来た店のキッシュとマロン・グラッセが絶品と聞いて」
目を丸くした上司に続けたのは、見目麗しいほうの青年だ。彼は帽子を被らず、指先で回して弄んでいる。身に着けている服と同じ落葉色の帽子は途中でぺしゃりと手の中に潰された。
老人は柔らかく笑んで肩を竦める。彼はいつも、そんな落ち着いた表情の老紳士だった。呆れているようにも微笑ましく思っているようにもとれる顔なのは、年の功だろう。
「君たちは色気より食い気で、助かると言うか、何と言うか。栗があるうちに決着がつくといいですね」
「そんときは皆の分の土産も買いに行かせますから、支部長も楽しみにしててください」
「行かせます、じゃねーよ。負けないからな」
返す笑顔に脇腹への小突きが入る。襟元も正してきっちりとした出で立ちになった小太りの青年は、もう勝負に勝った気でいる同僚を促して歩き出した。並んだ二人を送り出した老人は、少しの後、手を顎へと添える。
薄暗い部屋――半分地下に埋もれた仕事場で一人、彼は先程眺めた盤面を思い描き、笑みを深めた。
「……ロドリーグもなかなか、良い手を打つようになりましたねぇ」
聞こえぬ呟きを背に扉を開けて、外に続く幅広く薄暗い階段を上るうちに二つの足音は揃う。
「本日の目標は?」
小太りの青年マティユー・アッセルマンが問うと、
「二日前に挙げたノーニン党が関与していると思われる、さらに大きな取引の詳細。順路は?」
間を空けず、美貌の青年ロドリーグ・ベーケが応じて返し問う。
「順路三番。商店街、広場から歓楽街。夕方に一時帰還、報告を確認後、再巡回」
それにも間は作らず、マティユーは暗唱する。声量を落としたので響きこそしないが、はっきりと聞き取りやすい声のやりとりだった。
階段を全て上がったところで向かい合わせになって、二人は光を齎す大窓のある扉の前、互いを頭から爪先まで眺めた。
『非戦闘兵科はこれまでの服装を維持する』との上層部の決定から早十年。彼らの所属する情報部は、支給品の質の良い長袖の上、未だに旧時代仕様の袖無し軍服を着用している。色だけが通常の兵士と同じ落ち葉のような薄い褐色で、立て襟は濃い茶色。ベルトは外に留めないことが多い、体に沿わない形の筒型膝丈の衣装だ。横に入った切り込みからは、隠れたベルトに吊った巻紙と短剣が覗いている。
それに灰色の手袋と金の帽章が輝くつば無し帽を加えたのが、彼らの軍装だった。もっとも、ロドリーグのほうは手袋はベルトに、帽子は手にのやや崩れた形だったが、それは信仰の都合だ。優しい上司が小言を言うことはない。
「「服装よし、巻紙よし、帯剣よし」」
軍装の三点確認。声を合わせ、頷き合う。ロドリーグが扉の取っ手を掴み、体重をかけて押し開けた。同時に、頭上から時を告げる鐘の音が注いだ。
カトナ・ヴィヴェル北方領西端都市ヴルセリール。王都近郊領と西方領の境に隣接する盆地に広がる都市で、人口は約三万二千を抱える主都候補。雪は少なくとも冷え込みの厳しい冬が到来して花壇や街路樹は物寂しい顔つきになっているが、空は高く青く晴れ渡り、人々は活気づいている。年が変わるまであと一月。そろそろ冬の祝祭の準備が始まる頃だった。
彼らの背後で閉じた気密性の高い重い扉には、野兎と蔦模様が描かれていた。カトナ国軍が抱える情報部の支部の一つ、通称穴倉である。




