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獣の譬  作者: 灰撒しずる
山犬の瞳
11/20

信仰

 手紙にもよく出てきた吝嗇の大臣が、あの男を嗾けた張本人だという。自らの弟をカグーの領主に据えようと画策し、王に願い出たが叶わず、どうにかならぬかと愚策を弄するうちに何処からか私の出自を聞きつけたのだそうだ。それで、領主の座がと言う以前に怒り心頭となったのだと。まったく下らぬ逆心だった。すぐに王の知れるところとなり、百合の騎士には捕り物と、カグー連峰領主の守護が命じられた。

 大臣のほうはすぐに牢に入れられたが、既に矢は放たれていた。大臣の娘婿だというあの男は、都合よく城を出ていた私たちを皆谷底にでも突き落として、不慮の死とするつもりだったのだろう。私一人で出ていたならばともかく、部下を連れた中で、それは甘い算段だ。しかもそれを己の使命として――神より授かった命として錯覚できるのは、なんとも愚かなことだ。

 連峰の山に入るには薄着だった友人は、貸した毛織物に包まってもまだ足りず、暖炉の前に陣取っていた。事の次第と、王や前の大臣からの言葉までを私に伝え、無事で何よりとの言葉で結ぶ。久しく聞いていなかった友人の話は、珍しく微塵も飾り気のないものだった。そのこともあって、私の心は真実のどの部分に差し掛かろうが微動だにしなかった。

 それにしても、彼は二年で随分と老けたものだ。それほど都の時の流れは早いのか、このことでの心労もあるのか。それとも、私も少しは老いたのだろうか。

「しかし助かった。俺が間に合わずに君が殺されたとなれば、陛下の怒りと嘆きはいかばかりか。百合の嘆きで都も凍ろうよ」

 それまで簡潔に事情を説明していた口は、侍女に熱い茶を出させたところでいくらか、いつもの調子を取り戻した。

 王は、私が死んだらどうなさるだろうか。后は、姫は。考えるだけ馬鹿らしい。自惚れに等しい事柄だ。ましてや、神がどうお考えかなど、片腹痛い。

「私が死んだ程度で都に凍られては困る。……神もそうお嘆きにはならぬだろうよ。曰く私は、不徳の息子だからな」

「なんたる冒涜」

 先程に吐き捨てられた罵り言葉を口ずさむと、友人は肩を揺らして笑う。屈託のないその笑みで茶を飲む様子は、百合の騎士よりは昔の彼に似合いだった。騎士の号を賜りながらも書架に通い、剣ではなく筆を揮っていたその頃に。

「それにしても、来た時には死んでいるとは、運がない。主を守って死す――水晶の勲功ものだ。素晴らしい仕事ぶりであったのがまた惜しいな」

 生きながらえた領主を前に、彼は呟いた。

 城に戻る道すがら、連れていた騎士はこれだけかと聞かれて頷いた私に対し、慧眼の騎士は、ではあの血はすべて彼らと敵のものかと重ね尋ねた。一人死ぬだけの血糊が撒かれ、剣が落ちているのを見たのだろう。山犬が居たのだと言えば、彼はすべて理解した。

 今日のことで死んだ者は、結局一人――一匹しかいなかった。敵も味方も、標的であるこの私も死を免れた。むしろその分、城は忙しい。侍女は絶えず湯を沸かし続け、呼び寄せた医者は今も慌ただしく働いていることだろう。目覚めない者が二人、縫うほどの怪我をした者が五人もいる。

「――なあ、その山犬とやら、パンジャミ、と、確かにそう言っていたのか?」

 熱い茶を啜る沈黙の果てに、彼が訊ねた。見ればやっと肩掛けを脱ぎ、騎士の装束を見せ、笑っている。

「何かおかしいのか」

「君、意味は知っているのか?」

「土地の主、領主と言う意味だと聞いていたが」

「そんな生温い言葉ではないよ。会ったら教えてやろうと思って、ずっと楽しみにしていたのだがね」

 不意の話題に首を傾ぐとまた笑った。笑みを深めると皺が目立つ。

「君、考えてみたまえ、奴らに領主は居ないのだ。長は居るが、定住しないものだから、長は土地を統べない。そのような者どもに領主位を表す言葉などあるかね。彼らにとって土地を支配するものは、人では無いのだ」

 友人の言葉は、持ち前の仰々しさを取り戻していた。詩でも吟ずるかのように、物語を読み上げるかのように――時には聖典を読み上げるように恭しく、響くその声が、私は嫌いではない。

 何処でその知識を仕入れたのか、と考え、思い至る。先代の領主が都に戻ってからカグーについてを書き留めた物が、王城にはあったはずだ。こちらにも複写を置いてくれれば、と思ったのはいつのことだったか。それにグラシナロのことがあったとは、思わなかったが。今よりも昔のほうがグラシナロのことを知る者は多かったらしい。

「土地の主は、つまり、神に等しい。我々の――我々を生み出し給うた百合の御方のことでは、ないが。泥の輩(グラシナロ)の神に値する者、パンジャミは太陽の化身で、黄金の髪に白い肌の美しい貴人だという」

 友人は声を潜め、秘め事を打ち明けるような密やかさで言った。小声のくせによく響き染みる調子だった。気づけば彼は立ち上がり、近くで囁いていたのだった。

 訊き返そうとして息が止まった。思わず振り返り見た鏡の中では、私がこちらを見ている。あの山犬、泥の輩どもとは違うオーダンク人の男が私を見ている。まだ白けていない金の髪に――雪焼けを避けた肌は、成程、生娘には劣るが白いか。

 あの時山犬の瞳に映っていた私も、同じようなものだっただろう。化け鳥に殺されかけた恐怖の中で見た私は、おそらく。

 シュノーには、我らの敬う百合の神とその理を教えてやった、そのつもりだった。しかし? 実際はどうだったのだ?

「素晴らしい勘違いではないか、なあ、アナトーリ」

 私を神だと思っていた? 領主ではなく、神だと思い――信仰していたと、そういうのか。笑えぬ冗談だ。まさか。しかしそれならばすべて納得がいくことだ。神がこれほど近くに居たのなら、そうだ、私も神がこれほど近く、傍らに置いてくださったならば、それは恐怖など感じはすまい。自分の目を喰ったのと同じ化け物に向かうのも恐ろしくはあるまい。

「聖なる落胤、アナトーリ・フィー・ランデア。聖女様の子である貴殿を神と間違えるとは、犬は犬でも見立てどおり、見どころのある獣だったということさ」

 それが真に神ならば。

「……愚かしい」

「そうかな?」

 母は、神に仕える尼僧、生涯処女を守りとおすはずだった百合の乙女だった。そんな女たちしか居ないはずの僧院で産声を上げた私は、さて誰の子か。女が一人で子を孕むわけがない。誰もが分かっていたが、母の居た僧院は国の何処よりも清らかであるべき地だった。その中での不祥事は、何が何でも消さねばならぬ。そういうことだったのだろう。

 神が愛でたのだと、僧院の長が言ったと聞く。まるで神がそう仰ったかのように、そういうことになった。母は尼僧から聖女になり、私はその子、神と聖女の子となった。私と母を慈しんだ先王の計らいで私は先の大臣の養子となり、すべてを偽り、本当に彼の子供であるかのように学び、育てられた。

 そうして政に携わるようになった私を、何とお思いになったか。都で争いに身を投じる私を嘆かれたのか。新たな王は僧院に入れるように、この峰の城に私の居場所を定めた。それは十年より前のこと。名のある貴族家の末席、大臣の子である私が領主になることを、誰も咎めはしなかった。私も抗いはしなかったが。

 私はただの領主だ。ただのオーダンク・ニヴの民。この国を愛し王を敬い、神を信ずる、それだけの。神の子と言われながらその姿を見たこともない、ただの。それを神とは、思い違いも甚だしい。やはり獣は愚かしい。やはりあれは獣だった。我々とは違った。

 ――いや、どうなのだろう。

「如何なる凶刃も君の、百合の御方の加護の前にあっては折れて果てる。まこと、まこと聖いことだ。此度のことであの大臣のような愚か者も考えを改めるだろうさ。何が王の罪、神への不義だ、君は正義そのものだと言うのに――……」

 友人の声が意識の表層を滑る。私を神の子と信じる声が。彼らとあの犬は、違うのか。

 私に矢を向け剣を向けた男を睨み、飛びかかった山犬の瞳を思い出す。あれは山の中、木立に潜んで獲物を見据える、牙と爪とを持つ獣の目だ。

 胸の百合十字に指を添えると、薪の爆ぜる音が聞こえた。今年の冬は長くなりそうだと思う。雪は降り続いて、暫くは止みそうもない。


 私を仰ぎ見て百合十字に手を重ねた、山犬の瞳はもう、閉じられているだろうか。




山犬の瞳 了

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