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藤花の舞姫  作者: yuzuki
6/12

桃源郷に住まう幽霊5

 桃源郷の旅籠屋はたごやの一階で、少し豪華な食事を取りながら、雪乃はふと思いついたように言う。

「天音さんの舞って、結局、どういったものなんですか?」

「……どうって?」

 テーブルの向かい側に座る天音は、雪乃を見て、箸をくわえたままキョトンと首を傾げた。

「種類っていうのかな? いろいろあるじゃないですか。バレエとか、社交ダンスとか」

「そういう区分で言うと、私のは日本舞踏の、『剣扇舞』と呼ばれる舞の種類になるかな」

 刀剣や扇子を持って舞う演目のこと。本来の演目であれば、それは歌ではなく詩吟しぎんに合わせて舞うもの。

「剣じゃなくて、扇子で踊るんですか?」

「うん。私の舞も、本当は扇子で舞うんだけど……」

 天音は箸を置いてアイテムボックスを操作し、ポンと手の中に扇子を出現させる。

「こんな扇子じゃ、演目ならともかくモンスターにはダメージが与えられないし」

 扇子を持って、しなやかに手首を返す。その何気ない動作からも、天音が舞の熟練者であることが分かる。

「最近では『鉄扇』みたいな武器もあるらしいですよ?」

「……え! そうなの?」

 天音は驚きの声をあげる。

 その表情は、少しだけ嬉しそうだった。

「いえ、たぶん天音さんが思っているようなものではなくて、もっと豪快に扱う感じの、ネタ武器だったと思うんですけど」

「ネタ武器かぁ……まぁ、鉄扇っていうのは、本来、鉄の塊で殴る鈍器みたいなものだから、私の舞には合わないものだけど」

 期待した分、天音は肩を落とした。

「天音さん! 扇子まで持ってるんでしたら、ぜひ一度、踊って見せて――」

「ヤダ」

 彼女は即答する。

「え~! 戦闘中に踊られても、私、あんまり真剣に見れてなくって、じっくり見せてもらいたいなって」

 天音としては、『藤花の舞姫』という名前が売れてしまっているので、下手に注目を集めることは避けたかった。

「というか、私はこれでも吟遊詩人(ミンストレル)であって、<踊り>ではなく<歌>の方がメインなんですけど」

「普通の吟遊詩人なら、メインウェポンは<楽器>です。歌いながら踊るのは、踊り子とかアイドル歌手とか――というか、天音さんの場合は、完全に芸者さん(・・・・)です」

「がーん!」

 冷静に指摘されて、天音は再び落ち込んだ。

「そっか……そうですよね……」

 そう呟きながら、彼女は扇子をアイテムボックスに仕舞うと、今度はその手の中に楽器を出現させる。

 ポロンポロンと悲しげに弦を奏で始めた。取り出したのは、小型サイズの三味線だった。店内の旅人たちや、たまたま居合わせたプレイヤーの冒険者たちが何事かと視線を向けてくる。

「私、吟遊詩人としての腕はまだまだ半人前だから、これから頑張って練習します」

 そう言う割には、天音の楽器を扱う姿は妙に様になっていた。おそらく半人前だというのは、中の人のスキルではなく、天音のステータスとしてのスキルのことだろう。

 なので、雪乃は率直に答える。

「天音さんの場合、たぶん<歌>と<踊り>でステータスの振り分けが完璧に飽和しちゃってると思うので、<楽器>には手を出さないでください。もったいないです」

 そう告げられて、天音はまた驚いたように、すごく悲しそうな表情をした。

 この〝世界〟では、また新たに<楽器>のスキルを上げ始めると、その分<歌>や<踊り>といったスキルのレベルが下がる可能性がある。

「雪乃ちゃんは、私から楽器を取り上げるというの?!」

「天音さんは、皆から『藤花の舞姫』を取り上げないでください!」

 天音本人よりも、『藤花の舞姫』をよく知る雪乃だからこそ、そんな風に思った。

『藤花の舞姫』の凄さは、単に踊りの美しさだけではなく、魔物を倒す強さを兼ね備えた美しさである。

 天音には釘を刺しておくべきだと思った。

「楽器を扱う場合はスキルとしては育てないように、<楽器>スキルはセットしないでください」

「え~!」

 天音は何やら不満そうだった。

 スキルをセットせずに武具を扱うことはできる。ただし、ダメージが全く通らず、戦闘では役に立たないだけ。

「私、『藤花の舞姫』がどうなろうと、知ったこっちゃないんだけど……」

「それは私が許しません!」

 その言葉に、天音はまたもやショックを受けたようで、何やら泣きそうな顔で「分かりました、天音はママの言う通りにします……」と幼子のように呟いた。

「誰がママですかっ!?」

 少なくとも天音の方が年上だろうと考えている雪乃は、その天音にそんなことを言われて少し憤慨する。

 天音の方は雪乃の睨みをさらりとかわし、手の中の楽器を仕舞うと、隣のイスに座る小さな動物へと泣きついた。

「え~ん、雪乃ちゃんが虐めるよぅ!」

「虐めてません! というか、天音さんは、少しは自覚を持ってください」

 天音に抱きあげられたその動物は、ご飯として与えられていた油揚げを咥えたまま、彼女たちを見上げ「何?」といった様子で首を傾けた。

 それは、小さな狐の子だった。

 子犬と見紛うような幼い狐、毛並みは見事な明るいキツネ色。身体の割に大きくてフワフワな尻尾が、ペタリと天音の袖に垂れ下がっていた。

 その可愛らしい狐を見ながら、雪乃は感慨深そうに話す。

「まさか、あの狂暴な獣の正体が、こんな子狐だったとは……」

 昨夜の幽霊との戦いの後、その場に残されたのは、成仏した旅人を見送った天音たちと、狂気を取り除かれた狐の姿だった。桃源郷の森で暴れていた獣の正体は、幽霊の狂気に当てられ変貌した、幼い狐の妖怪だった。

 もしも、これが狐ではなく狼だったらと思うと天音たちはゾッとする。狼であったなら、戦闘時にまた仲間を次々と呼んでしまい、天音と雪乃の二人ではとても対応しきれなかっただろう。

 幽霊が消えると同時に、力を失い、正気を取り戻した子狐。天音たちは、怯えている様子のこの可愛らしい魔物に、止めを刺すことができなかった。もともと天音の攻撃ではそれほどダメージを与えることもできず、狐自身にも大した怪我は見られない。クエストの方は幽霊が成仏した時点でクリアされているので、狐を倒す必要はどこにもない。

 放置してそのまま戻るつもりだった。

 しかし、去り際に天音が「甘い物は体力回復にいいんですよ~」と子狐に余っていたドラ焼きを与えたところ、街道を歩く彼女たちを遠くから眺め、町の中を歩く彼女たちを物陰から様子を窺い、旅籠屋へと入り、お店の旦那へとクエストクリアの報告を行う彼女たちの姿を、入り口の陰からこっそり覗き見ているその子狐を見つけて、天音は苦笑しながら観念したようにその狐を抱き上げたのだった。

 天音に捕まえられたその子狐は特に抵抗する様子もなく、旅籠屋の店員からも何も言われなかったので、そのままご飯を食べることになった。一階の食堂の端っこで、子狐も一緒に椅子へ座らせてやると、旦那が気を利かせて持ってきてくれた子狐用のご飯(←油揚げの乗ったキツネ丼)を食べ始め、そして現在に至る。

 子狐の頭を撫でながら、天音は話した。

「こんな可愛い子を何度も退治してたなんて、みんな酷いよね」

「あんな狂暴な姿で襲いかかられたら、誰もその正体になんて気付きませんよ」

 雪乃はそう答えた。

「魔物が懐くことなんて、あるんですね……」

「雪乃ちゃんは見たことないの? スキルの中には<召喚魔法>や<調教>といったものがあるわけだし、『調教師(ビーストテイマー)』を自称するプレイヤーもけっこういるはずだよ?」

「それは知ってるんですけど……でも、イベントモンスターがそのままついて来るなんて、初めて見たものですから」

 クエストによっては、その報酬として召喚獣を得たり、<調教>スキルによって操ることが可能な魔物を捕まえることができる。その捕まえた魔物は、プレイヤーといることで共に成長し、戦いの時に自由に使役することが可能となる。

「天音さん、<調教>のスキル、持ってたんですね」

「え? 雪乃ちゃんが持ってるんじゃないの?」

「……」

「……」

 キョトンとした様子の子狐を間に挟んで、二人は目を見合わせた。

 魔物を捕まえることができるのは、当然、事前に<調教>など専用スキルをセットしていた場合に限る。

 身に覚えの無いことに二人は驚きつつ、自分のスキルインベントリをチェックしたり、また狐を眺めてみたり。

 そして、子狐を持ちあげて顔を覗き込むようにして見つめて、天音は言った。

「じゃあ、名前はママから取って、『こゆき』ちゃんにしよっか?」

「だから、誰がママですか?!」

 雪乃は思わず言い返した。天音は雪乃を指さす。

「だって、私、<調教>スキルなんて持ってないもん。クエストを受けたのは雪乃ちゃんだし、この子は私じゃなくって雪乃ちゃんに懐いたとしか……」

「それこそ、ありえません」

 天音の言葉を遮って、雪乃はキッパリと否定した。

 以前の雪乃であれば、ここまで自信を持って言えることではなかったと思う。天音と一緒にクエストをして、彼女と共に冒険をして、この桃源郷の住民たちと触れ合ったからこそ、雪乃はそう考えた。

 この〝世界〟のNPCは、ただ同じ言葉を繰り返すだけの人形ではない。

 先ほど、天音と旅籠屋の旦那に報告を行った時を思い出す。クエストをクリアして、あれほど喜ばれたり感謝されたことは初めてだった。

 彼女の腕に抱かれた子狐は、天音と雪乃を見比べて、また円らな瞳で見上げるように彼女を、天音を見つめる。

「私は以前に受けたクエストの中で、この子を退治しています。そんな私に、その子が懐くとは思えません」

 雪乃はそう言った。

 所詮、クエストはクエスト。以前に受注した森の獣の討伐依頼は、今回の幽霊退治とは全く関係のないもの。でも、雪乃には、それが全く無関係だとは到底思えなかった。

「それに、餌付けしたのは天音さんの方ですよ」

「う……それはそうなんだけど。まさか、本当についてくるなんて……」

 本当に意外だといった表情で、少しだけ困ったような顔で天音は呟いた。

「狐の妖怪って言ったら、やっぱり九尾ですよね」

「この子はまだ一尾だよ」

「成長すると、尻尾が増えていくとか」

「『こゆき』ちゃんは、このままでいい。このままが可愛い」

 天音は子狐に頬ずりする。

「いや、でも、このモフモフの尻尾がどんどん増えていくとか、それはそれで可愛いじゃないですか」

「むぅ、確かに……」

「天音さん、がんばって育ててくださいね」

「……やっぱり、私が連れていくの?」

 当然といった表情で、雪乃は天音を見た。

 少しだけ豪勢だったご飯を食べ終えて、二人と一匹は旅籠屋の外へと出る。

 外は相変わらずの夕暮れで、幽霊を倒してイベントがクリアされると、すぐに日が昇った。しかし、それは朝日ではなくそのまま西日の夕暮れで、なんとも奇妙な光景となった。

 今回のクエストの報酬は、この子狐がついてきたという以外、特別なものは何もなかった。依頼主から報酬のお金をもらい、後は幽霊を倒したことによる少しだけ珍しい素材アイテムをいくつか手に入れただけ。報酬のお金などは、仲良く二人で山分けをした。

 旅籠屋を出たところで、雪乃は天音に向かって改めて頭を下げた。

「天音さん。今回は、本当のありがとうございました」

 殊勝な顔つきで畏まった様子の彼女に、「いいよいいよ」と微笑む天音。

「私も楽しかったしね」

「はい。天音さんと一緒だと、本当に『冒険』を楽しんだって感じがして、とても面白かったです」

 クエストの報酬なんかよりも、雪乃にとってはそれが何よりのご褒美だと思った。

「でも、本当に、この子は私が連れていっちゃっていいの? 育てれば、なかなか優秀な子になると思うんだけど」

 天音の足元に擦り寄り、満足げに小さな欠伸をしている子狐を見る。

「はい。私の代わりに、この子には天音さんについていってもらいます」

 そう言って、雪乃はしゃがんで子狐を撫でながら、天音さんをよろしくねと心の中で呟いた。

 本当は、雪乃自身が天音についていきたかった。

 他の仲間たちと違って、天音は本当にこの〝世界〟を楽しんでいる。強くなるために生き急ぐのではなく、本物の冒険を楽しむことができた。これからも、天音と一緒にいろんなリージョンを旅して、一緒にたくさんの感動を味わいたかった。

 でも、今の雪乃は、天音と一緒に行くことができなかった。

(今の私では、天音さんの横に立つことができないから……)

 一緒に旅をして、パーティを組んで同じクエストを行うことはできる。しかし、今の雪乃の実力では、天音の足を引っ張ってしまうだけ。天音の力に頼っていては、それでは横に立つとは言えない。一緒に冒険しているとは言えない。

 天音に背中を預けてもらえるような、そんな力がほしかった。

「私は、またいつもの仲間と一緒に戦って、腕を磨いてきます」

「そっか」

 天音は笑顔で頷いた。

 笑顔の仮面に隠れた、彼女の本心は分からない。それでも、雪乃は勇気を振り絞って、彼女へとその思いを告げる。

「だから、私がもっと強くなったら、また一緒に冒険してもらえますか?」

「もちろん。いつでもいいよ」

 天音は優しく笑って答えた。

「でも、次に会えるのは、しばらく先になるかなぁ……」

「あ。もちろん天音さんも、寂しくなったらいつでも私を呼んでくださいね」

 どこにいても必ず駆けつけますから、そう言うと、天音は少しだけ拗ねたように言う。

「べ、別に、この子がいるから寂しくなんてないんですからね!」

 子狐を抱き上げた。

「ツンデレですね、わかります。……というか、天音さんってひょっとして、『リージョン移動』アイテム、持ってないんじゃ……」

「ドキッ!?」

 初心者からベテランまで、プレイヤーなら必ず一つは持っているはずの必須アイテム、『リージョン移動』専用アイテム。特定のリージョンへ飛ぶものから、設定されたホームリージョンへ帰還するもの、特定の種別のリージョンを検索する専用アイテムも存在する。登録型のアイテムであれば、自分の趣味に合うお気に入りのリージョンをいくつも登録することができる。

 別に天音がそう言ったわけではなく、雪乃がそうじゃないかと推測しただけ。

 図星を指されて、天音は慌てたように言う。

「い、いや、その……それが『旅人』としての、天音のポリシーというかなんというか……」

 プレイスタイルは人それぞれ。一人一人に違ったこの〝世界〟の楽しみ方がある。

「わかりました、天音さんからは絶対に会いに来てくれなさそうなので、私の方から必ず会いに行きます!」

「あはははは……」

 力強くそう宣言する雪乃に、天音は苦笑いをした。

「それにしても、私が子狐までもらっちゃうと、私の方が報酬もらい過ぎって気がするね……」

「そんなの、全然いいですよ! 報酬の素材とか、天音さんは使わないって、レア素材を私に譲ってくれましたし!」

 慌てたように言う雪乃。

「まぁまぁ。だからね、雪乃ちゃんにはこれをあげる」

 天音は抱いていた子狐を地面に下ろすと、アイテムボックスの中から一つのアイテムを取り出した。

 彼女がそんなことを言ったのは、ただの照れ隠しだった。楽しませてもらったお礼に、雪乃に何かを贈りたかった。子狐をもらった代わりにというのは、その口実をつくるための言い訳のようなもの。

 彼女の手のひらの上に現れた物。それは薄紫色の小さな花に彩られた、金のかんざしだった。

「私が昔使ってた物なの。魔法を補助する効果がある一品だよ」

 その美しい細工に驚きながら、雪乃は呟くように声をもらした。

「魔法スキルを使用する際に、精神力の消費を一定の割合で抑える効果があったと思う」

「魔法、ですか……」

「私、これでも昔は、普通に魔法スキルの支援職だったんだよ?」

 天音はカラカラと笑う。

「今ではプレイスタイルが変わってしまったから、そのかんざしが合わないのだけど」

「この花……天音さんの、着物と同じ花……」

 それは見事な薄紫の花びらだった。

「そう。それはこの和服を作る前に、『藤花の舞姫』の元になったアイテム……みたいなものかな?」

 ニコリと笑うと、まだ茫然としている様子の雪乃の金の髪を手に取り、天音はキュッと簡単に髪をまとめて、かんざしで留めてあげた。

「うんうん、可愛い可愛い。金髪のエルフがかんざしを着けるのも、ちょっとミスマッチかなって思ってたけど、これはこれで似合ってる」

 天音の流れるような仕草に惚けて、そして何をされたのか理解して、雪乃は頬を赤くして慌てたように言った。

「な、何してるんですか?! そ、それに、こんな貴重なもの、もらうわけには……」

「いいのいいの。それほどレアなものというわけではないし。私が持っていても、全然使わないものだから」

 天音は雪乃の頭を優しく撫でる。

「雪乃ちゃん。また一緒に、冒険にしようね」

「はい」

 笑顔で頷いて、二人は約束をした。



 そして、二人が別れようとしたその時。

 雪乃が思い出したように一言だけ天音に向かって言った。

「そういえばですね、天音さん……」

「なに?」

 天音が聞き返す。

 思いついたのは偶然だった。

 今までの彼女の態度、様子からの推測というわけではなく、ただなんとなくそう感じただけ。

「天音さんって、ひょっとして、男性の方ですか?」

「…………ええっ?!」

 直観で思いついただけ。

 天音に頭を撫でられた時、母や姉ではなく、雪乃には優しい兄の姿が重なった。

「な、なんで、そう思ったの……?」

「いえ、ただなんとなく……うち、年の離れた兄がいるんで、なんとなく似てるなぁ~って」

 思えば温泉で妙にうろたえているのもフラグだったんじゃないかと、雪乃は改めて思った。

「……あれ? でも、この〝世界〟って、感覚がリアル過ぎるせいもあって、性別偽るってことは絶対にできなかったような……」

「ひどっ! 雪乃ちゃん、それはひどいよ!! っていうか、私ってそんなに男らしかったの?!」

「いえ、確かに、かなり男らしかったといえばそうなんですけど……」

 苦笑いする雪乃に対して、天音は落ち込んだように地面に『の』の字を書き始める。

「あはは……あ、天音さん、そんなに落ち込まないで! じょ、冗談ですってば!」

「わかった、わかりました。天音はこれから、帯ではなく(ふんどし)をしめて、男の中の男を目指して頑張っていきたいと――」

「天音さん、私が悪かったですって! 自棄(やけ)にならないで~っ!?」




 雪乃と別れてから、子狐を連れて、天音は桃源郷の街道の端にあった茶屋へと立ち寄った。最初に寄った、雪乃と出会ったお店、『桃花源之茶屋』である。

 縁台に座り、静かにお茶を飲む天音の横で、子狐は彼女の横に置かれた大きな市女笠(いちめがさ)で遊んでいる。

 お茶を飲んで一息ついて、そして彼女は呟いた。

「まいったな……」

 普段の天音では見せないような、皮肉のこもったような彼女の笑み。

 少しだけ罪悪感もあるし、後ろめたい気持ちもある。

 それは、この先、彼女の知り合いに会えば会うほどに悩まされることなのかもしれない。

 でも、それが彼女が選んだ道。彼女が望んだこと。

 今の彼女には、天音として旅をすることに何も後悔はない。

「やっぱり、この〝世界〟は、本当に楽しいな……」

 その理由があれば、それだけで十分だと思った。

「桃源郷は、リージョンの美しさもすごいけど、何より雪乃ちゃんと出会えたことが収穫……かな?」

 別に何かを求めて旅をしているわけではないが、どこかに少しだけ、天音の足跡を残していけると良いなと思う。

 そう独り言のように話すと、隣にいた子狐がゴソゴソと動いて、「ねぇ、ボクは?」といった表情で見上げてきた。

 天音はクスリと笑って、「もちろん、あなたと出会えたことも」と話す。残っていたみたらし団子の最後の一本を差し出すと、狐の子は喜んで食べ始めた。

 お店の女将さんにお茶のお代わりを頼むと、女将さんはお茶だけでなく、もう一本みたらし団子の乗ったお皿を持ってきた。

「はいよ」

「え? ……あの~、私、団子はもう頼んでないんですけど」

「そいつは一本、サービスだよ」

「ええ! いいんですか?」

 天音は驚いた。

「お前さん、この町に着いた時も、おいしそうに何本も食べていってくれたよねぇ。また来てくれたから、これはあたしからのサービスさ」

「うわぁ~。ありがとうございます」

「冒険者さんが寄っていってくれるのは、本当に珍しいからねぇ。良かったら、サービスした分、余所の町でも宣伝しておいてくれ」

「はい、すっごいおいしいお団子屋さんがあるって、皆にしっかり言っておきます!」

 そう答えて、天音は子狐と一緒に、みたらし団子にかじりついた。

 本当に不思議だと感じた。

 果たしてこれはそういう設定だったのだろうか。

 リージョンの住民たちが冒険者の顔を覚えて、無料のサービスをしてくれるなんて、そんな話聞いたこともない。

 この〝世界〟のNPCは、ただのNPCではない。限りなく本物に近いこの〝世界〟で、味覚や嗅覚といった膨大な情報を記憶し経験して、NPCを操るAIは確実に成長している。この世界の住民は果たして本当にただのプログラムなのか。

 たとえ今は天音のことを認識しているこの女将も、天音がこのリージョンを離れてしまえば、全てをリセットされて忘れ去られてしまうのだろうか。人間だって、数日、数年も会わなければ、仲の良かった友人たちであっても忘れてしまうことがある。それとなんら変わらないのではないか、そんな風に思う。

「ごちそうさまでした」

「はいよ。また来ておくれ」

「はい、必ずまた食べに来ます」

 そう宣言して、天音は縁台から立ち上がった。

 笠を手に取ると、その横にいた子狐も慌てたように縁台から飛び降りて、嬉しそうに天音を見上げた。

 夕暮れの桃源郷を、街道に沿って峠へと向かって歩く。

 すれ違う冒険者たちは、統一感も何もないほどに様々な格好をしている。種族も違えば、職業も違う、重戦士のような大きな甲冑を纏ったドラゴンもいれば、商人のような格好をした小さなドワーフもいる。そんな人並みの中を、薄紫の和服の彼女は小さな子狐を連れて歩く。

 雪乃と一緒に歩いた道を思い出しながら、石碑があったと思われる場所も通り過ぎて、峠を越えるとその先の山の麓には、また秘境のような小さな集落の姿が見えた。

「あの村、本当にグラフィックだけなんだ……」

 周りを見渡しても、どこからも道が繋がっていない。そんな秘境の集落。

「あれこそ、本当の桃源郷(ユートピア)って感じなんだけどなぁ」

 目に見えているのに行くことが出来ないというのが、なんとも悔しかった。

「きっと、いつかはちゃんと実装してくれるよね?」

 こんな不完全な姿を見て、今後の発展に期待する。それもリージョン巡りの楽しみの一つだと思う。

 秘境の集落に背を向けて、桃源郷に背を向けて、少し歩いたところで、また天音の前には分かれ道が現れた。

 道の真ん中には、古ぼけた木の看板が二つ立てられている。

「左へ行くと『ヘルギガント王国』、右に行くと『グラディウス』か……」

 どちらも天音は行ったことのないリージョン。安っぽい名前がなんとも興味をそそられる。

「どうしよっか?」

 足もとの子狐を見る。「どーする?」といった顔で、天音と一緒に首を傾けた。

「うん。こんな時は……」

 周りを見渡せば、それはすぐに見つかった。

 小さな木の枝を拾い上げると、道の真ん中に立てて、そしてそって指を離す。

 パタリ。

「こっちだ!」

 隣の子狐も、尻尾を振って喜んだように飛び跳ねた。

 しかし、少しだけ足を進めたところで、彼女は気がついた。

 子狐は、何かに戸惑っているように、何かの壁を見つけて怯えているように、前に進もうとせず悲しげに天音の方を見つめて立ち止まっていた。

「どうしたの?」

 狐の子は、困ったような表情をした。

 天音は思った。

 召喚獣は、本来であれば、別のリージョンから魔法で呼び出すことになっている。スキルの<調教>によって飼われた獣は、そのスキルの拘束力によってプレイヤーと繋がっている。

 それでは、<召喚>も<調教>も所持していない天音とこの子狐との関係は。

 天音には分らなかった。

 では、なぜこの子は彼女についてくるのか。それはスキルやその他の隠しパラメーターによるものなのだろうか。その答えは、今の天音には何も分らなかった。

 天音は少し戻って、身を屈めて狐に話しかけた。

「一緒に、行きたい?」

 狐の子は弱弱しくも、肯定するように小さく頷いたような気がした。

「おいで……」

 彼女は子狐を抱き上げた。

 どうなるかなんて、天音には分らない。普通のモンスターであれば、指定されたリージョンからは絶対に出ることができない。モンスターだけでなく、その町の住民などのNPCも、クエストやリージョンによって縛られた彼らは自由に飛び回ることができない存在。

 でも、クエストの中から生まれたこの子はどうだろうか。

「大丈夫。私が、連れていってあげるから……」

 生まれたばかりのこの子は、まるでAIの赤ん坊のようなもの。

 腕の中で震えている様子の子狐を撫でながら、彼女は独り言のように呟いた。

「私と一緒に、成長していこっか……」

 そんなことを思いながら、彼女はまた〝リンク〟の光の中へと消えていった。




 ~桃源郷編 終幕~



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