桃源郷に住まう幽霊3
「ねぇ、雪乃ちゃん」
「なんですか、天音さん」
「リージョンって……雨、降るの?」
二人が情報収集に訪れていた道具屋から出ようとすると、外はシトシトとゆるい雨が降り続けていた。
「雨くらい、どこでも降るじゃないですか」
「……いや、そうじゃなくて」
隣でキョトンとした表情の雪乃を見る。
確かに街道には水たまりもあって、まるで雨上がりの夕暮れという様相だったが、本当に雨が降ってくるとは思いもよらなかった。
「私が前にプレイしてた時、そんなシステム、なかったんだけど……」
「そうなんですか?」
今はそれくらい当たり前ですよ、と話す雪乃に、何かジェネレーションギャップのようなものを感じてすごく切なくなった。
「雨だけじゃなくって、雪が降ってるリージョンとか、激しい雷雨が降り続けてるリージョンもあるらしいですよ?」
「そうなんだ……おばさん、もう年だから、若い子たちの話にはついていけないの」
「あ、天音さん! なに落ち込んでるんですか! というか、今の私が悪いんですか?!」
もちろん雪乃に非は全くない。
「ううん、ごめんなさい。ちょっと個人的に思うところがあって、凹んでただけだから」
天音が離れている間に、新たな機能として実装されたらしい。
二年の間でますます進化を遂げたこの〝世界〟。これは天音の知らないところで、他にも思わぬ機能が搭載されているかもしれない。足を掬われないよう、少しは真剣に最新情報を集めた方が良いのかもしれない。
「そうね。雷雨は嫌だけど、雪が降ってるリージョンには、是非遊びに行ってみたいな」
そう話しながら、天音はアイテムボックスの中を漁る。天音は相変わらずの和服姿だが、今日は町の中での情報収集だったので、いつもの笠は出していない。
「雨で濡れちゃいますけど、動きにくくなるわけでも本当に風邪を引くわけでもないので、このまま行っちゃいましょう」
視界がやや見えにくくなるだけで、この程度の小雨であれば何も問題はない。
雨の中へ出ようとする雪乃を、天音は静止する。
「ちょっと待って。確かここに、ちょうどいいアイテムが……」
そう言って天音がアイテムボックスから取り出したのは、赤い蛇の目傘だった。
「一本しかないから、相傘になっちゃうけど」
無いよりはましだろうと、二年ぶりにその傘を開いてみる。傘もちゃんと機能しているようで、しっかりと雨を弾いている様子になんとなく感動を覚えた。
雪乃の方を見ると、完全に呆れた様子でこちらを見つめていた。
「なんで、天音さん傘持ってるんですか?」
「……友達に、こういうのが大好きな子がいてね――」
「天音さん、さっき、二年前は雨が降らないって言ってましたよね?」
「……」
ジト目で睨まれて、天音は苦笑いで視線を泳がせた。
「この子も、初めて本来の用途で使ってもらえて、きっと喜んでいるんじゃないかな……」
「この子は、それまでどういう使われ方をされてたんですか?」
雪乃もこの子(←蛇の目傘)を指差して聞いた。
「私の相方が雰囲気で無駄に傘持ちやってたり、傘の上で升回してみたり」
とても報われない使われ方をされていた。
「あとね――」
天音は傘を閉じて、スッと戦闘態勢のように身構えた。
左手で腰に構え、右手で傘の柄を引く。
「これ、実は仕込み刀なんだ」
柄の中からは銀に輝く刀身が現れた。天音の普段持っている脇差よりも、さらに長い細剣。
すごいでしょ! と、無邪気な笑みを見せる天音に対して、雪乃はただ一言。
「それ、全く無駄ですね」
冷静なその言葉に、天音はますます落ち込んだ。
突然の暗殺があるわけでもないし、必要ならば普通に武器を携えればいい。何より、無駄な部分に容量を取られてしまっているため、武器としての攻撃力も弱く耐久値も低い。完全な無駄アイテムである。
「天音さんのアイテムボックスの中、一度、全部出して検証させてもらいたいんですけど」
「雪乃ちゃん、それバカにしてるでしょ。ねぇ、ちょっと!」
傘の中で小突き合いながらも、二人は仲良く並んで、相合傘で街道を歩く。
このまま雨を無視して、また街道から森の方へ向かっても良いのだが、クエストの要である幽霊の情報が全く得られないことには、無駄骨に終わってしまう可能性がある。それはそれで素材も溜まるし雪乃の練習にもなるのだが、またあの赤熊には会いたくない。できるかぎり情報を集めて、クエストを進行させる方が良いと考えた。
「でも、もうほとんどのNPCには、話聞いたよね?」
「そうですね。おかげさまで、また無駄なものを買うはめになりましたけど」
「雪乃ちゃんの財布が痛むわけじゃないから、別にいいじゃない」
「それはそうなんですけど……」
さすがに武器屋や防具屋で高い買い物をすることはないが、道具屋や露店のような万屋では、天音が何かを購入していた。
「別にお土産買いに来てるんじゃないんですけど」
「雪乃ちゃんは固いなぁ。せっかくなんだから、修学旅行で来たみたいに楽しみましょうよ」
「買ったお土産は、どうするんですか?」
「誰か知り合いにあげる。……あ。私、二年ぶりで、知り合い全然いないんだった……」
「だ、だから、いちいち落ち込まないでください!」
ちなみに、天音はこの二年の間で何やら有名人になっているらしいので、一方的に知っている人は山のようにいるのかもしれない。いや、しかしこうやって町中を歩いていても、プレイヤーと思しき冒険者たちとすれ違っても、特にどうということはないので、きっとたまたま雪乃が知っていたというだけで、世間的に見れば名前なんて全然知られてなくて自意識過剰乙とか指差されて笑われるだけなのだろう、そうだ、きっとそうに違いない、そう思うことにした。
「そういえば、みんな今頃どうしてるかなぁ」
その数少ない友人たちは、今もどこかで冒険を続けているのだろうか。
「連絡は取ってないんですか?」
「その……今さら、どんな顔して会っていいか分からないし……」
天音からすれば、個人的な事情によって一方的に縁を切ってしまった友人たちである。どの面下げて会えばいいものか。
その複雑な事情を知らない雪乃は、だからこそ、その寂しげな様子の天音を見て、なんと答えて良いか分からなかった。
「まぁ、旅してたらどこかで会う機会もあると思うから。その時には、頭下げて謝って、今日買ったお土産をもらってもらおうかな……」
ただ天音はそう言って、傘の中で雪乃の方へと少しだけ身を寄せた。
町の中で情報収集をすると言っても、小さな宿場町では、すぐに全部を回り切ってしまう。
「あとは、もうこのお店くらいですよ?」
「そうみたいだね。ここが外れだったら、もう一つの街道の先にあるっていう村の方へ行ってみる?」
「あ、それなんですけど。そういう村があるっていう設定だけで、本当に村は無いですよ?」
「…………ええっ?!」
いずれは実装するつもりなのか、容量が足りなくて断念したのか。結局、このリージョンのクエストは、この町で調べるしかないということだった。
「もう山狩りでもして、しらみつぶしに調べてみる?」
それは嫌だなぁと苦笑いしながら、二人は傘を畳んでお店の中へと入った。
他の店や建物より一回りほど大きなお店。中は思ったよりも広く、近くには二階へと続く大きな階段もあった。一階の様子を見るに、居酒屋や料理屋さんといった感じ。
ポツリポツリと店員らしき人やお酒を楽しむ人の姿がある。なお、この〝世界〟でお酒を飲むと、本当に軽く酔うことができる。未成年でも酔った気分になれるらしい。
カウンターにいる旦那さんの方へ、天音たちは声をかけた。
「こんにちは」
「よう。いらっしゃい。雨の中、冒険者も大変だな」
「私たちは傘あったんで、大丈夫でしたよ」
「ほぉ~。珍しい傘だな」
天音が持つ赤い傘を見て、店主は少し感心したような顔を見せた。
「ところで、ここは料理屋さんですか?」
聞きながら、ちらりと隣の雪乃の方を見ると、当然じゃないですかという表情。でも、見た目にかなり大きな建物なので、天音は疑問に思って聞いてみた。
「そうって言えばそうなんだが……うちは、これでも旅籠屋さ。ま、最近の冒険者どもは、飯食いに来るだけで、泊まろうとするやつなんざ滅多にいないがな」
そう言って、店主の旦那は自嘲気味に笑った。
旅籠屋――旅館というのであれば、この大きな建物も納得がいく。
「どうしよっか? 雪乃ちゃん、何か食べてく?」
「私はどっちでも良いですけど」
どうせ食べるんでしょ、と言いたげな雪乃はとりあえずスルー。
「ところで旦那さん、この辺りに幽霊が出るっていう噂、どこかで聞いたことないですか?」
問いかけると、旦那は眉をひそめてこう答えた。
「お客さん、そういう話は、何か食べてからにしてもらえるか?」
おや? と、今度は天音の方が眉をひそめる番だった。雪乃を見る、彼女は特に気にする様子もないようで、どうかしましたかという表情だった。
NPCのこういった反応は珍しい気がする。そう感じた天音は、店主に向かって言った。
「わかりました。それじゃあ、一泊の宿泊でお願いします」
少し驚いた様子の店主。
「……泊まるのか?」
「はい。今日は雨が止まないみたいですので、ゆっくりしようかなって思って」
隣で驚いている様子の雪乃は無視して、先に店主と話をつける。
「……そうかい。ま、好きにしな。個室の方がいいか?」
「いえ。相部屋でいいですよ」
「じゃあ、階段上がって一番手前の部屋だ」
鍵を手渡された。
「ありがとうございます」
そして、カウンターを離れる前に、店主からは思いがけない言葉が発せられた。
「奥には温泉もあるぞ。夕食まで、ゆっくりしてこい」
一応は歓迎されているらしい。笑顔の見えた旦那の顔が、なんとも微妙な感じ。とりあえずノリで「やった~。温泉だ、温泉だ♪」と奥へと進むと、慌ててついてきた雪乃が店主に聞こえないよう小声で話しかけてきた。
「ちょっと天音さん、何やってんですか」
「何って……せっかく桃源郷に来たのだから、郷の温泉に浸かってゆっくりしたいなと」
「いえ、そうではなくてですね」
何やら煮え返らない様子の雪乃に、天音はクスリと笑う。
雪乃の言いたいことも分からないわけではない。普通に冒険をする上で、この〝世界〟では宿に泊まる必要性は全くない。
そもそも生命力や精神力、体力といったものは、一定の時間が過ぎれば自然に回復するものだし、調理アイテムを食べることでも回復する。もちろん、魔法などのスキルで回復することも可能だ。わざわざ宿で休んで回復する意味はない。冒険を楽しんでいるのに、その中でまで『寝る』という行為のなんと無駄なことか。
「あとで夕食食べたら、旦那さんから何か教えてもらえるかもしれないし」
「というか、このお店、実際に泊まれたんですね」
リージョンによっては、泊まる必要がないために、宿屋であっても宿泊はできないようになっているところも多い。そのあたりは、リージョンマスターの凝り具合によるといったところか。
「それに、これだけの立派な旅館だもの、きっと豪勢な夕食が――」
「それが目的ですか……」
また呆れたように、雪乃が後ろでため息をついていた。
指定された部屋の中へ入ると、室内はいかにも旅館といった風情で、ちゃぶ台の上にはお茶セットが、奥には浴衣セットが置いてあった。窓から見える町並みも、遠くに見える山並みもとても美しいものだった。
「これで、雨が止んでたらなぁ」
「仕方ないですね。このリージョンの雨は、そのうち止むと思いますし」
「そうなの?」
「はい。雨はただの雰囲気作りみたいですよ」
秋は長雨というが、このリージョンの雨は、所詮作り物だった。
「雨止んだら、また外に行ってみるかな。雨上がりを散歩してみたい」
「散歩って……天音さん、完全に旅行気分ですね」
「あー、カメラ! カメラ忘れた。雪乃ちゃん、後で売店で使い捨てカメラを――」
「カメラは売ってません! というか、スクショ撮るアイテムはけっこう高いです」
「う……」
カメラは旅の必需品だよねと、天音が本気で購入を検討していると、その後ろで何やら雪乃が装備の革鎧を外していた。
天音は尋ねる。
「な……何をしてるんですか?」
「え……なにって。天音さん、行かないんですか?」
「どこへ?」
「温泉ですよ」
「…………え?」
「なんていうか、その……いろいろごめんなさい」
「天音さん。さっきから、何を謝ってるんですか?」
「いえ、別に……」
温泉に入り、部屋に準備されていた豪勢な夕食を食べて、二人は部屋の中で寛いでいた。
まさか本当に温泉まで入れるとは思ってもみなかった。
「〝世界〟の進化は本当にすごいね……」
「何を今さら。でも、痛みや熱を感じるから分かってたことですけど、温泉は普通に気持ち良かったですね~」
満更でもないといった様子で、雪乃は布団に寝転びながら話していた。なんだかんだ言って、雪乃も旅行気分を満喫していた。
また、それとは対照的に、布団の上で膝を抱える天音は暗く沈んでいる。
「い、いや、天音的にはこれで正解のはずだ……ここまで来て、一人だけ温泉を楽しまないなんて、そんな生殺しみたいなこと……」
「ていうか、天音さんって意外ですね」
「……な、何が?」
「いえ、そういうこと全然頓着しなさそうなのに、結構恥ずかしがるんだなって思って」
「う……」
「所詮、偽物の身体なんだし、別に気にすることなんて」
「偽物だからこそ、罪悪感がいっぱいだったりごにょごにょごにょ……」
「……?」
天音の呟きは聞こえていないのか、首を傾げながら雪乃は頭に疑問符を浮かべている。
「それにしても、浴衣姿の天音さんは全く違和感ないですね」
「デフォで浴衣ですから。そういう雪乃ちゃんは、完全に場所を間違えた外国人観光客にしか」
「あはは。それは言わないでください」
野暮ったい旅館の浴衣を着た金髪碧眼のエルフは、ケラケラと笑った。
「でも、ドライヤーで髪乾かさなくてもいいのは、楽ですね」
「そうね。まさか、こんなに早く乾くとは思わなかったけど」
システムとして髪が濡れるという状態は存在する。しかし、それが乾く時間というのはかなり短縮されていた。
「そりゃあ、雨降りの中で冒険に出かけて、タオルで頭とか拭いてる時間なんて全然ないですけど」
そういった理由もあって、システム的には実に都合良い設定がなされている。
「ところで、この後はどうしますか?」
寝転がった体勢から上半身だけを起こして、雪乃が天音に向かって聞いた。
「店主の旦那さんも、料理持ってきてくれた若女将さんも、何も知らないって言ってましたけど」
完全に詰んでいる。
雪乃はそう思った。
「このまま、本当に寝るわけじゃないですよね?」
温泉に入って、おいしいものを食べて、後はのんびり寛いで寝るだけ。それはそれで悪くないと思う天音だが、苦笑しながら雪乃に言った。
「雪乃ちゃん、まだ気づいてないの?」
「……何がですか?」
天音のもったいぶった言い方に、雪乃は唇を尖らせる。
「ごめんなさい、別に意地悪で言ったんじゃなくて。実はね……私たち、もうクエストのフラグを立てているのよ」
「……え?」
驚いた顔で、慌てて天音を見返した。
そんな様子の雪乃に、今度は天音の方が聞き返す。
「ところで……この『桃源郷』というリージョンには、夜は訪れるのでしょうか?」
「……夜は来ませんよ。永遠の夕暮れ、そういう設定です」
そう思っていた。雪乃も、天音もそうだと思っていた。
天音は、窓の外を指す。
外の雨は止んでいた。
「うそ……」
雲の晴れた空は、見事な月夜に変わっていた。雪乃は慌てて窓を開けて、身を乗り出して外を見た。
夜の帳が落ちた宿場町。もともと夕暮れという設定もあって、外の他の店舗では常時明かりを灯していたが、暗い夜の町並みに家々の明かりがまた違った風景を作り出していた。夜の下町の、どこか温かな雰囲気を感じた。
NPCのキャラクターたちは、自然な様子で家路を急ぐ者が多い。夜からの商売にまた精を出す者もいる。
戸惑っているのは、冒険者風の多くのプレイヤーたち。
「月夜が綺麗ですね」
隣に並んだ天音が、どこか他人事のように言う。月夜に晩酌でも頼みましょうかと笑う彼女に、雪乃は戸惑ったように話す。
「天音さん、これは……」
「イベントがある時だけ、このリージョンでは一時的に、夜になるみたい」
月の美しい秋の夜長、これもリージョンマスターの拘りの一つなのだろう。滅多にないことのようで、巻き込まれた何も知らないプレイヤーたちは混乱しているようだった。夜になるようなイベントは、あまり行われていないのだろうか。
そんな中、一人冷静に、少しだけ嬉しそうにして天音が話す。
「フラグを立てたのは、きっと私たちだよ」
「どうしてですか?」
「だって……」
彼女は口を開く。
その瞬間、窓から入ってきた強風が、部屋の中へと渦巻いた。提灯の灯が消えて、部屋の中に闇が灯り、月の明かりに照らされた天音は風を気にした様子もなく、妖艶な笑みをもって囁いた。
「だって……幽霊は、夜に現れるものですから」
また、窓の外から風が吹いた。
旅館の前にいたプレイヤーたちも、何事かと夜空を見上げる。
「ホントに、出た……」
雪乃も茫然とした様子で呟いた。
月明かりの照らす夜空の下、天音たちの目の前へ、桃源郷の幽霊はその姿を現したのだった。