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藤花の舞姫  作者: yuzuki
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桃源郷に住まう幽霊1

 街道沿いの茶屋の店先で、紅い緋毛氈(ひもうせん)の縁台に腰かけた彼女は、傍らに笠を置いてお店の女将を呼ぶ。

「すみませ~ん! お団子くださーい」

 しばらくして、店の奥から、お茶と串団子のお盆を持った女将が彼女の傍らへとやってくる。

「はいよ。『桃花源之茶屋』自慢のみたらし団子だよ」

「ありがとうございます」

 みたらし団子のお皿を横に置いて、熱い緑茶の入った湯呑みを両手に持って、ずずずっと少しだけお茶を啜るとその暖かさになんとも気分がほっこりする。

「旅人さんかい?」

 女将に話しかけられ、彼女は頷く。

「はい、そうです」

「桃源郷は初めてかい?」

「はい。どこか、お勧めの場所ってありますか?」

「そうだねぇ。この街道を先に進むと、山間(やまあい)の小さな村に着くんだけど、その途中にある峠から見える景色は絶景さ。一度は見ておくことを、お勧めするね」

「へ~。ありがとうございます。また行ってみますね」

 お礼を言うと、女将は笑顔で手を振って店の奥へと戻っていった。

 もう一口だけお茶を飲んで、彼女は街道を眺めた。

 安っぽい軽装の村人のような通行人が、ゆっくりと通り過ぎていく。かと思えば、反対方向には重厚な鉄の鎧を着た騎士風の男性が軽やかに歩き去っていく。黒っぽい毛並みの狼のような獣人と、いかにも場違いというような黒いゴスロリ衣装の少女が、二人仲良さそうに談笑しながら歩いていく。商人風の男もいれば、小さな子鬼のような者たちも、自然な人並みの中で通り過ぎていく。

 統一感がまるでないような光景。でも、この雑多な人通りが何より全てのリージョンに当てはまる共通のものだと彼女は思う。

「……ん、おいしい」

 団子を食べながら、彼女は視線を少しだけ集中させる。

 何もない彼女の目の前の空間に、フワリと光り輝く文字が浮かび上がる。左上にはマップ情報、右側にはステータスなどの各種インベントリ。自分の手で操作することも可能だが、慣れてくれば視線だけで各項目を選び詳細情報を見ることができる。

「桃源郷。リージョンランクはB、中堅どころ。マスター名は……知らない人だなぁ」

 個人マスターのランクBというのであれば、この作り込みも納得がいく。きっと、クエストやアイテムよりも、マップの美しさにただならぬ情熱を燃やしているのだろう。これほど美しいリージョンはあまりないと思う。マップ自体は、大手のリージョンに比べるとそれほど大きい方ではない、簡易のマップ図で、端から端まで確認できそうだった。マップの中心に大きな街道があり、小さな宿場町と、峠の奥には秘境のような村がある。マップの詳細がほしければ、どこかの店で購入する必要がある。

 遠くに見える赤い空は、いつまで経っても日が落ちることはない。そういう設定なのだろう。

 団子の串をくわえてボーっと辺りを眺めていると、後ろの方から騒がしい話し声が聞こえてきた。

 振り返って、お店の中の方を見る。『桃花源之茶屋』と書かれた木の看板の向こうに、パーティと思われる4人組の男女が声を荒らげて話していた。

「ねぇ、ゆきぃ、まだ続けるの?」

「そろそろ他のクエストに行かねーか?」

「でも……」

 女の子が2人、男の子が2人。喋っていない1人は深い毛並みの人虎型(ワータイガー)で性別もよく分からなかったが、服装と体格からそう判断した。人間型(ヒューマン)の女の子と、竜人型(ドラゴニュート)の男の子が、妖精型(エルフ)の女の子を責め立てていた。

 4人は見た感じ、いかにも冒険者という装いのパーティだった。それを見ながら、彼女は、ドラゴニュートの持つ大きな斧がお店の天井を傷つけないのかと、ひどく場違いなことを考えていた。

 しばらくして、そのパーティはエルフの女の子を1人だけ残して、3人はお茶を啜る彼女の横を歩いてお店から出て行った。

 なんとなく見ているこっちが気まずくなってきた。

 1人取り残されたその子は、傍目から見ても分かるほどとても気落ちした様子だった。

 女の子の視線はお店を出て行った3人の背を追って、ちょうど外の縁台に座る彼女の方へと向けられていた。

 見られているような気がした。

「……」

「……」

「……よ、よかったら、一緒に食べます?」

 彼女は思わず、残っていたもう1本の団子のお皿を差し出した。

 エルフの女の子は顔を上げて、キョトンとした様子でこちらを見つめていた。



 女将からもう一つ湯呑を受け取って、縁台の上のお盆に置いた。お盆を挟んで反対側に座る女の子は、受け取ったみたらし団子を見つめながらポツリと呟いた。

「ありがとう、ございます……」

「いえいえ。ここのお団子は、とってもおいしいんですよ~」

 と答えつつ、自分は3本目の串を口にする。

 迷ったような様子の女の子も、恐る恐る団子を口にして「おいしい」と少しだけ顔を綻ばせた。

「冒険者……プレイヤーさん、ですよね?」

「うん」

「最初、NPCかと思って驚きました」

 プレイヤーとは異なり、NPCは各リージョンに設置されているプレイヤーが操作を行わないキャラクターのこと。

「まぁ、私はこんな格好だからね」

 薄紫色の和服の袖を、少しだけ持ち上げてみせた。このリージョンのコンセプトが純和風テイストなので、今の自分の姿はひどくここの風景にマッチしていた。このままモブの中に紛れて溶け込んでしまいそう、それはそれで案外心地よいのかもしれない。

 団子を平らげて、お茶を飲んで少し落ち着いた様子の女の子。薄い金色の髪に空色の瞳、動きやすそうな軽装の革鎧、革の下からは緑色の衣がはみ出して見えた。いかにも物語の中に出てきそうな、妖精型(エルフ)の少女だった。腰に携えた長剣が、どこか背伸びをしているようにも見える。背には矢筒が見当たらないので、サブスキルは魔法の方に寄っているのだろうか。

 そんな様子を(うかが)いながら、和服の彼女は静かに話した。

「余計なお節介だったら、本当にごめんなさい」

 微笑んでみせると、かえって驚いたようで、女の子の方が慌てた様子だった。

「い、いえ、そんな……その、暗い気持ちにならなくて、とても嬉しかったです……」

 と、尻つぼみになるように話して、女の子はまた俯いた。

 相手から話し出すのを、少しだけ待った。

「……クエストを、もう止めるように言われたんです」

「クエスト?」

「はい」

 そう呟いた女の子の視線の先、茶屋の軒先には、何枚かの張り紙がしてある『クエスト掲示板』があった。

『クエスト』とは、そのリージョンに住まう村人たちが、冒険者たちへ依頼する仕事のこと。クリアすると報酬がもらえる。このようなクエスト掲示板からの依頼もあれば、突発的にフラグを踏んで始まるようなクエストもあるらしい。

「5日くらい前からやっているクエストなんですが、クリアの方法が全然分からなくて……」

「『ラボ』とか、『知恵袋』で調べたりはしないの?」

 この〝世界(グローブ)〟に存在する〝地域(リージョン)〟は千差万別で、この桃源郷のような中世期の設定のところもあれば、もっと未来的なリージョン、ファンシーなリージョンも存在する。『ラボ』や『知恵袋』というのは、そんなリージョンの中でも少し毛色が違うところ、リージョンそのものが図書館のようになっている場所である。そこに行けば、ほぼ全てのクエスト情報を調べることができるという。

 エルフの少女は、少しだけ迷ったように話した。

「皆もその方が早いって言ったんです。でも、私は、行きたくないなって思って……」

 そう話す少女を横目に、彼女は席を立った。

 クエスト掲示板の前に立つと、少女に尋ねる。

「そのクエストって、どれ?」

「……『桃源郷に住まう幽霊』というクエストです」

 張り紙の一つに、その名前を見つけた。


――桃源郷(ランクB)

 『桃源郷に住まう幽霊』

 依頼内容:「峠に幽霊が現れるんです。誰かなんとかしてください!」

 クリア条件:幽霊一匹の退治


 当然、彼女には見たことも聞いたこともないクエストだった。

 思うところはある、しかし、彼女(・・)だったらきっとこうするだろうという自信がある。迷うことはなかった。

 張り紙をペリッと掲示板から剥がして、少女の方へと差し出した。

「良かったら、私と一緒にクエストやってみる?」

 ニコリと微笑んで、彼女に問いかけた。

 女の子は驚いた表情で、口をぽかんと開けてこちらを見つめる。しばらくして、ようやく意味を理解したという彼女は、恥ずかしげに頷いた。

「はい。よろしくお願いします」

 張り紙を手渡された少女は、ふと気づいたように、またこちらを見る。

「あ、あの……私、雪乃(ゆきの)っていいます!」

 緊張したように畏まって、女の子は頭を下げた。

「うん。よろしくね」

 頭を上げた女の子、雪乃と目を合わせて、こちらも遅れて自己紹介をする。

「私は……」

 一度言い直して、それでも迷いなく彼女は言った。

「私の名前は、天音(あまね)……」

 それが、今の彼女の名前。




 パーティを二人で組んで、クエストは雪乃の名前で受注を行う。受注のやり方は簡単で、受付窓口があるわけでもなく、受注票を手に取って受注画面を開くだけ。インベントリを開くのと同様に視線を意識するだけで、『YES or NO』の選択肢が選べる。雪乃の持っていた紙は、まるで空へ溶けていくように光の残滓を残して消えていった。

 二人はクエストの最初の鉄則として、まず周辺住民たちへの聞き込みを開始した。

 雪乃が話すには、何度か住民たちにも話を聞いたのだが、何も情報が得られなかったという。

 NPCらしき様相のキャラクターたちへ順に話を聞いていく。ちなみに、プレイヤーたちに聞き込みをするという手段もあるが、それは煮詰まった時の最後の手なので、ひとまずそれは止めておく。

「おばちゃん、これください~」

「はいよ」

 商品を手に取ると、チャリンという音が聞こえてきた。自分にだけ聞こえる音、錯覚ではない。

 お金の自動引き落としは楽と言えば楽なのだが、風情が無いと思うのは自分だけだろうか。ちなみに、とある抜け道を使えば『食い逃げ』もできるらしい。でもそれは、そういう仕様なのだと思う。

「あ。かわいい」

 商品の巾着袋から、赤や黄、白といった色鮮やかな金平糖(こんぺいとう)が手の平の上に転がった。摘まんで口に放り込むと、ほのかな甘味が口いっぱいに広がった。

「食べる? おいしいよ」

 食べながら、雪乃の手の上にも金平糖を乗せる。

「天音さん……さっきから、食べてばっかりですよ」

「だってさぁ、聞き込みやると、その前に何か買わないといけないような気になってこない?」

 それは、店主の恨めしそうな視線によるものか、美味しそうな香りや見た目によるものか。

「NPCなんだから、関係ないと思いますけど」

「う~ん、そうかもしれないね」

 そう頷いてから、天音は店主のおばちゃんへと声をかけた。

「これ、おいしいですね」

「そうかい。ありがとよ、それは家のばあさんが作った自信作さ」

「へー、手作りなんですね。ところで、最近この辺りで、幽霊を見たとかっていう噂、聞いたことありませんか?」

「幽霊かい。幽霊ねぇ……あたしは聞いたことないねぇ。今この村は、峠に出るっていう狂暴な獣の話で持ち切りさ」

「峠に出る獣、ですか……」

 そういえば、クエスト掲示板にそんなような依頼があったような気がする。

「最近は通りかかる冒険者だけでなく、村の方まで降りてくるって聞くし。お前さんたち、幽霊と一緒にその獣どもも退治してくれないかい?」

「あはは。私たちはそんなに強くないんで、狂暴な獣の方は、他の冒険者さんたちにお任せします」

「そうかい」

 またよろしく頼むよと言って、店主のおばさんは天音たちから離れていった。

「獣ねぇ……狼のことかな」

 と、一人呟くと、隣で少し茫然としている雪乃の姿に気が付いた。

「なに、どうしたの?」

「いえ……なんか、すごいですね……」

「何が?」

「私たちで聞き込みをやった時より、店主がいろいろと話してくれてる気がします」

 神妙な顔で頷く雪乃。二人で雨水の残る街道を歩きながら、途中にある水たまりはピョンと飛び越えるようにして、天音はまた笑って答えた。

「そうかもしれないね。NPCだからって、この〝世界〟の住民たちは、無愛想なモブキャラではないよ」

 ならばこそ、例え相手が同じ言葉を繰り返すだけNPCだとしても、礼儀は必要だし一緒に会話を楽しむことだってできる。

「それでも、情報は何にも得られなかったわけだけど」

 むぅ、と、天音は眉間に皺を寄せた。

「雪乃ちゃん、狂暴な獣の方のクエストは知ってる?」

「あ、はい。ここに来て、最初に皆でやったやつです。この幽霊のクエストに比べて、普通な感じのクエストでした」

「苦戦とかした?」

「私は皆について行っただけですから……。四人で行って、それほど苦戦はしなかったと思うんですけど」

 見た様子からも、雪乃はまだまだ初心者なのだろうと思った。

「ちょっと街道沿いから外れて、戦闘もやってみる?」

 天音は戦闘特化のプレイヤーではない。見た目もそうだし、天音自身でもそう思っている。そこそこの自信はあるものの、長い期間のブランクもあるので、自分が最前線で戦えるほどの実力を持っているとはこれっぽっちも思っていなかった。見知らぬ相手との初パーティなので、少し練習しておくのも良いと考えた。

 天音の提案に賛同するかたちで、二人は街道から少し横に逸れて森の中の獣道へと進んだ。こちらの方角へ進めば、街道を近道するように山の峠道へと出ることができるらしい。獣退治のクエストを受注しているわけではないので、狂暴なボスクラスの魔物が出ることはないだろう。

「雪乃ちゃんたちは、みんな始めたばかりなの?」

「私はまだ、始めてひと月くらいです。みんなは、やり始めて半年くらいって言ってたから、そこそこ強いんですけど」

 話に頷きながら、中堅くらいの実力かなと推測する。そもそも天音のような格好のプレイヤーも数多く存在するので、見た目だけで判断するのはなんとも難しい。

「天音さんは、ベテランって感じがします」

「全然。そんなことはないよ。ただ、プレイ期間が長いっていうだけだよ」

「どれくらいになるんですか?」

「ゲームが出回って、すぐくらいからかなぁ。……でも、私は、ここ二年くらいは全然ログインしてなかったから」

「そうなんですか」

 意外といった様子で雪乃は驚いた。

 久しぶりにログインしてみると、リージョンがすごく進化してて少し戸惑ってると、天音は苦笑しながら話した。

「私の装備も、見た目はまぁこんなだけど、中身はたいして強くないから」

 中身というのは、プレイヤー自身のこともそうではあるが、装備品自体の中身という意味でもある。

 天音は懐から小さな武器を取り出す。

「私のメインウエポンはこの刀なんだけど、たぶん攻撃力そのものは、雪乃ちゃんの剣とほとんど変わらないと思う」

 色鮮やかな桜模様の鞘に収まった、長さ30cmほどの脇差わきざし。分類としては<剣(短剣)>に属するもの。腕力などのステータスの関係で、天音にはこれ以上の大きな武器を扱うことができなかった。この刀は、見た目がアレなだけで特殊な効果などは何もついていない。普通の短剣やダガーといったものより、少し丈夫なくらい。

「鎧の方は、多少のボーナスくらいは付いてるんだけど」

 生地の柔らかい和服では、革の鎧の防御力に敵うはずがない。

「でも、天音さんの装備品、すごく綺麗ですよね」

「そう? ありがとう」

 各リージョンには、リージョンマスター独自のこだわりがある。それと同様に、プレイヤーたちもそれぞれポリシーを持っている者が多い。

「なんといっても、この〝世界〟は、自分でアイテムを作りだせることが一つの楽しみだから」

 武器が作れる。防具が自由にカスタマイズできる。それは性能に限らず、見た目のデザインについても自由に変えることができるということ。

 もちろん、なんでも好き勝手に作れるというわけではない。作成にはそれ相応のスキルやお金がかかる。強力な武器が簡単に作れるはずもなく、例えば攻撃力を重視して大剣を作成した場合、その分重量や耐久値といった数値に影響が出るため、ステータスも相当腕力に偏ったものになるし、その分脆く壊れやすくもなる。そんな風に、この〝世界〟のバランスは保たれている。

 それはアイテムだけに限った話ではない。キャラクターのステータスも、どのように振り分けるかによって、ある程度の上限値が決められている。100という数字を、腕力に50、体力に50と別けるか、それとも腕力を100にするか、その違いでしかない。

「そもそも、私たちのキャラクターに、RPGゲームによくある〝レベル〟っていう概念はないでしょ? だから、初心者と上級者には、それほど大きな隔たりがあるというわけではないの」

 それらを区別するもの。

 それは、上手に『スキル』を使いこなせるかという経験則によるもの。

 重要なのは、どうステータスを分配するのかではなく、どのようなスタイルでプレイするのが自分に合っているのかということ。それを理解して、自分なりの戦闘方法を磨いて、また新しい戦い方を作り上げていくこと。

 それが〝世界〟を楽しむということ。

「雪乃ちゃんは、どんなスタイルで戦うの?」

「私は見ての通り、長剣をメインにして、補助に魔法で戦う感じです。ひょっとすると魔法の方がメインになっちゃうかもしれないですけど」

「『魔法剣士(マジックナイト)』って感じだね」

「えへへ」

 職業として『魔法剣士(マジックナイト)』というものが存在するわけではない。ただ、プレイヤーたちの間で、自分の役割を職業名として名乗る習慣がある。その方が分かりやすいためだ。

「天音さんは、職業だと何になるんですか?」

 天音の見た目は、完全に遊女にしか見えない。

「私はね、『吟遊詩人(ミンストレル)』を名乗ることにしてるの」

「ほぁ~」

 そう答える大人びた天音の様子に雪乃は感嘆のような尊敬するような眼差しを送る。

「私、カラオケって下手だから、歌える人ってすごく羨ましいです」

「いや、私もそんなに上手くないから。こっちなら、下手っぴでもそれなりの歌に聞こえるし」

 システムの補助も入るため、下手な人でも上手に歌えた気になれるのが、この〝世界〟の良いところ。

「得意なスキルは<歌>と<踊り>と、あと<剣(短剣)>を少しだけ。戦闘も、どちらかと言えば補助するのが得意かな」

「私は<剣(長剣)>と<魔法攻撃(氷)>が得意です」

「前衛を任せて良い?」

「はい。私で役に立つのか分りませんけど」

「大丈夫。補助は任せて」

 そう言って、天音はど~んと胸を張る。スキル<歌>と<踊り>は、本来は両方とも集団戦闘時における優秀な補助スキルとして効果を発揮するものである。少数パーティではあまり使用するものではなく、ましてや天音のような一人旅で役に立つような部類ではない。彼女自身それほど戦闘狂というわけではないので、本人はこれで十分だと思っている。

「天音さんは吟遊詩人(ミンストレル)ということですけど、何か<楽器>は使わないのですか?」

 歩きながら、雪乃が問いかけた何気ない質問。

 その瞬間、天音はふと足を止めてしまった。

「……天音、さん?」

「ううん、なんでもない。そうね、弾けないこともないのだけど……」

 スキルとして持っているわけではないので、戦闘の補助として使用することはできなかった。

「私は……天音は、歌って踊る方の専門だったから」

 そう言って、彼女はまたすぐに歩きだす。

 少し慌てるように雪乃が後を追う。何かまずいことでも聞いてしまったのだろうか、そんなことを感じて、ちょっとだけ気まずい雰囲気に雪乃は自分の言ってしまったことに後悔した。

「ごめんなさい。雪乃ちゃんが気にすることはないの。ただ、昔、私といつも一緒にいたパートナーがいたっていうだけだから」

 今はもういない、楽器を得意としていた、天音のパートナー。

「まぁ、そんな昔の話をするより、私たちは今を楽しみましょう」

 天音は頭に被っていた笠を外す。何かを祈るように集中すると、手に持った笠はスッと跡形もなく掻き消えた。インベントリを操作し、アイテムボックスへと収納した。代わりに手の中に現れたヘアゴムで、天音は自分の長い黒い髪を簡単にまとめあげる。

「天音さん、戦闘モードですか?」

「うん、そんな感じ。戦闘だと、帽子は落っこちるから邪魔なの」

 戦闘中には剣が弾かれてしまうこともあれば、兜が飛ばされてしまうこともある。帽子なんて、すぐに飛ばされたり、壊されてしまうだろう。

「でも……私の和服って、着物というよりも浴衣に近いものでしょ?」

「そうです、なんか色っぽいんです!」

 力強く雪乃は言う。

「エロいとか言わない。それでね、本物と違って全然動きにくいわけじゃないんだけど。この〝世界〟の和服が何よりすごいのが、どんなに激しい戦闘をやったとしても、絶対にはだけることがないっていうことなの」

 システム的に、そこまでカバーされているわけではなかった。鎧が傷つき、耐久度が0になれば壊れて消滅してしまうかもしれない。しかし、手から武器が滑り落ちるのと違い、戦闘中に服が半端に脱げてしまうといったことは絶対になかった。

 鉄壁の防御力に、世の男性たちは涙した。

「なんとも中途半端なシステムですよね~」

「そういうものでしょ。ほらほら雪乃ちゃん、そろそろ魔物たちが出てきそうだよ」

 森の奥まで来ると、どこからともなく獣の鳴き声が聞こえてくるし、ざわざわとした木々の気配に、魔物たちの縄張りまでやってきたことを肌で感じていた。近くの茂みから、今にも魔物が飛び出してきそうだった。

 がんばってね、と背中を叩いて、天音は雪乃を前へと押し出した。




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