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虹に届くまで  作者: 爽風
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第十章 1.春遠し、衝撃の告白

「お倫、ちょっとええか?」

山崎さんがあたしの部屋をのぞく。

「はい」

あたしは繕い途中の羽織を横に置いて顔をあげた。


あたしは屯所を出てから二か月、年も明けて暦の上ではもう春なのだけど、まだまだ寒い。

あたしは22になった。

あたしはあのあと山崎さんの隠れ家に移り、監察の仕事でも、もっぱら内向きの仕事をずっとしていた。

ただ、山崎さんと二人で暮らすのに、散々もめた末(山崎さんは夫婦がいいと言った)、あたしは山崎さんの異母妹(全然似てないので)と言う分かったような分からんポジションに落ち着いたのだった。

ちなみにあたしはここではお倫という偽名を使っている。

これは華香大夫の本名で、あたしは山崎さんに名前はどうしたい?と言われたとき、迷わず「お倫」の名前を選んだ。

言いたくても言えなかった、呼ばれたくても呼ばれなかった、許されなかった名前。

あたしが彼女の名前を使うのはおこがましいのかもしれない、でもやっぱりあたしにとっては忘れられない大切な人であり、そして華香太夫を殺した、吉田を殺した自分の罪を忘れない為だった。


あたしのここでの任務はまだ未定なのだけど、山崎さんの話だと、屯所の移転計画が出ている西本願寺を探ることになるだろう、とのことだった。


いよいよ仕事か?とあたしは居住まいを正すと、山崎さんはそんなあたしを見越したのか、苦笑して言った。


「ちゃうちゃう、仕事の話やない。お倫に会いたいゆう人がおんねや。鍵膳で、その人が待っとるから昼ごろに行ってくれ。」


「あたしにですか?どなたです?」


あたしは心当たりがなくて首をかしげる。

隊のみんなが無闇にここに来るはずはない。

初めは少し寂しかったけど、でもそれも仕事なのだからと、割り切れるくらいにはここでの生活に慣れてきたと思う。


「山南さんや。大方水瀬が慣れたかどうかみんなに見てくるように頼まれたんやろ。まったく新撰組はいつからこんなに過保護になったんや。」


山崎さんは諦めたように、半ば呆れて言った。


「山南先生が…ぜひお会いしたいです。」


あの優しい穏やかさに触れるとすごく懐かしい気分になる。

あたしは顔をほころばせた。


「ああ、会いにいったれや。一応男装して行けや。どこに目があるかわからん。お倫の姿で隊の誰かに会えば、密偵ん時に女装が使えんかなるかもしれんからな。」


「はい!」


あたしは立ち上がって行李の奥にしまってあった単衣と袴、そしてそろいの羽織をとりだした。

久しぶりに山南先生と会える。

そのことがあたし浮足立たせた。




家を出ると冷たい風が吹き抜けて行った。


「うう~さむ!春とはいえやっぱまだ寒〜!」


あたしは首をすくめた。

久しぶりに男装をして髪もポニーテールにしたのだけれど、女の子の着物よりもやっぱりあたしにはこのほうがしっくりくる。

大股で歩けるし、ダッシュもできるし。

鍵膳は老舗の甘味どころで屯所に居たころは総司とよく来たところで、すっかりご主人とも顔なじみになっている。


「水瀬はんやないか、久しぶりやなあ。どこぞに行ったったんですか?」


いつも眉毛を下げていて困ったような顔をしている人のよさそうなご主人があたしに笑顔を向ける。


「ご無沙汰してます。仕事で少し京を離れていまして。一昨日帰ってきたばかりなのです。」


あたしは小さく会釈をして、さらりと嘘をつく。

このくらいの嘘を平気でつけるようになった自分に苦笑してしまう。


「今日は沖田はんはご一緒やないんで?」


甘味と言ったら総司なんだなあ。

あたしは苦笑して首を振った。


「今日は沖田ではなく、総長と待ち合わせして居るんです。」


「総長って…どなたはんやったっけ?」


山南先生はこのところ専ら内向きの仕事をしてるから街の人にもなじみがないんだよね。


「山南と言うんですが、とても穏やかで優しい…あ、山南先生!こっち、こっちですよ!!」


ご主人に山南先生の説明をしようとしたとき、肩越しに山南先生が走ってくるのが見えた。


「ああ、水瀬君、遅れてすまないね。」


鍵膳のご主人に会釈してお団子とお茶を頼むと山南先生はあたしの隣に腰を下ろした。


「元気だったかい?」


山南先生が小さな笑顔を浮かべて言った。

山南先生痩せた?

どうしてだろう?

笑っているのにすごく哀しそうに見えるのは。


「はい。だんだん慣れてきてます。

今日はどうなさったんですか?

屯所で何かあったんですか?」


あたしはそのことには触れずに言った。


「…いや、何もないよ。強いて言えば皆が水瀬君が居なくなってさみしがっているくらいかな。水瀬君が今元気かみんな知りたがっていたからね。」


「ああ、それで。」


気のせいなのだろうか?

今の山南先生はいつも通り優しい笑顔だ。


「水瀬君、この後少し歩かないか?」


山南先生の笑顔はいつもと変わらないようで、でもどこかさみしげに見えた。


「ええ、大丈夫ですよ。」


あたしは何か胸騒ぎがして落ち着かなかった。



お勘定を払ってお店をでると山南先生とあたしはまだ春の気配の感じられない鴨川の土手を歩き始めた。

灰色の冷たい雲がどこまでも続いている。


「まだ男装しているんだね。」


山南先生がぽつりと言った。


「普段は女子(おなご)の格好をしているのですけど、やっぱりこっちのほうがあたしらしいです。走れるし、動きやすいし。」


あたしは苦笑しながら言った。


「君の花嫁姿はきっときれいだと思うよ。」


山南先生は茶化すように笑い、空を仰いだ。


「やめてくださいよ、相手もいないのに。」


あたしは苦笑して山南先生のほうに顔を向けると、目が合い、互いに吹き出してしまった。

ひとしきり笑いきると、後には妙な沈黙があたしたちの間に流れ、少しだけ気まずかった。



「…水瀬君、屯所に戻りたいかい?」


山南先生が不意に言った。


「ええ。とても。山崎さんも良くしていただいてますけど、やっぱりみんなにも会いたいです。」


山南先生は立ち止り、意を決したようにあたしに向き直った。


「水瀬君…私は君に話さなければならないことがある。」


「え…?」


「君を…この状況に追い込んだのは私の…せいなのだ。」


「は?」


正直どういうことなのか、全く分からない。


「水瀬君、私は君を伊東さんに売ったんだ。」


「!」


ナニヲイッテイルノ?


「全ては私が伊東さんを信じてしまったことが原因だ。

伊東さんの知識の豊富さと思想は正直私を虜にしたよ。私の理想だと思った。

いつからなんだろうな、私の思想と新撰組の誠は少しずつズレていったのは。

近藤さんも土方君もかけがえのない盟友だと思っている。

だか、彼らの誠と私の理想はこの時流の中で少しずつ隔たってしまったのだ。

禁門の変の焼き討ち、六角獄舎での罪人惨殺…幕府に忠誠は誓えぬ、そう思ってしまった。

そんなとき、伊東さんの柔軟な考え方にひどく魅きつけられた。

だから伊東さんがこれからの世には女子の意見も必要だから君と話したいと言った時、私は何の疑いもせず同門の加納さんに引き合わせたのだ。

そして…あの時、私も側にいた。止めようとした時、伊東さんが来て言ったのだ。

「明里天神、なかなか良い女ですね」と。

その時なって初めて伊東さんの思惑を見た気がした。彼は私を足掛かりにして内部に取り入り、なおかつ隊士の不信感を煽るために君を利用したのだと。

そして私は卑怯にも天秤にかけたのだ。

明里の命と君の身を。

そして私は君を助けなかった。いや、そればかりか卑怯にもこれまで同様に新撰組にとどまろうとしたのだ。

最早私は武士などではない。

卑怯な唾棄すべき人間に成り下がったのだ。

水瀬君、すまぬ。

謝って済むことではないし、知らないままにすべきかとも思った。だか君には、君にだけは、真実を告げねばと思ったのだ。」


「…。」


あたしは息をするのも忘れて目の前の項垂れる山南先生をただ見つめることしかできなかった。

言葉を発することが出来ない…


だって…何で…

考えがまとまらない…。

ショックすぎて。

何が?

山南先生が伊東さんの思想に依っていたこと?

あのとき山南先生があたしのそばに居たこと?

分からない。

ただ手の先まで石のように固まり、時がとまったようにさえ感じた。

山南先生はただ静かに目を伏せ、あたしに向き直っている。

先生の顔は記憶の中のそれよりも痩せていて、心なしか顔色が悪い。


「…山南先生…。」


何を言えばいいのだろう。

こんなにやつれて全身で苦しんでいるこの人に。

正直、あたしにとってあの出来事は悪夢以外の何物でもない。

それに山南先生が意図せずにせよ関わっていたことはショックだった。

でも…山南先生は死ぬほど苦しんでいる。

自分の誠と新撰組の誠との隔たりに。

そして非道だと思うのに伊東参謀の思想に強烈なまでに惹かれていることにも、苦渋の選択をしたことにも。


あたしは枯れ草の生い茂る土手に崩れるように腰を下ろした。

枯れた草の乾いた香りが物悲しさを誘う。


「山南先生…あたしは…傷つきません。みんながあたしを信じてくれているから、それにこうして今また新撰組に居られるから。だから少しも傷ついてないんです。

だからこのことは先生だけの胸に秘めて、近藤先生や土方副長には言わないでください。

先生は前におっしゃってましたよね。

剣を持つことは痛みも恐怖も背負うことだと。

自分が殺されるかもしれない、相手を殺すかもしれない、仲間が斬られるかもかもしれない、そんな恐怖と痛みを背負うことが刀を持つ者の覚悟であり、宿命なのだと。

先生が罪悪感を感じるのならば、それを背負って生きてください。」


傷ついていないというのは嘘だ。でもそれはあたしが背負っていけばいい問題で、山南先生に話したところで解決もしなければ、和らぐわけではない。あたしが時間をかけて向き合っていく自分自身の問題だから。


「水瀬君…。」


山南先生の目に水っぽいものが溜まって行くのが見えてあたしはそっと目をそらした。


「あたし…先生のこと大好きですから。確かにびっくりしたし、少しさみしい気もしたけど、でも…やっぱり大好きですから。」


あたしは今度は先生のほうを向き直り、顔をしっかりあげて言った。

何があろうとあたしにとってこれは紛れもない真実だから。


「水瀬君、君に会えて話せてよかった。

今日は本当にありがとう。

では…行くよ。」


山南先生は目を細めて穏やかな笑みをたたえて言うと、一度だけしっかりと握手をすると背中を向けて歩いて行った。

山南先生の笑顔はどこまでも穏やかで、優しい笑顔だった。


いつの間にか雲は晴れ、哀しいくらい澄み切った冬の空にひよどりの物悲しい鳴き声が響いていた。

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