第九章 14.見送り、変わらぬもの
近藤先生に挨拶をし終えて、玄関にいくと、みんながそこに居た。
「おう水瀬、もう行くのか?」
「なげえんだよ、まったく待ちくたびれて春画本3冊も読んじまったぜ。」
非番の佐之さんはいつにもましてむさ苦しい。
永倉さんはやっぱりボサボサの無精髭で無頼姿だった。
一応あたしは除隊で別れの朝なのに、全然変わらないのがこの人達らしい。
「監察方に配属替えするんだってね、近藤先生から聞いたよ。よかったな。」
平助君が耳元でこっそり言った。
「うん、そうなの。隊のみんなには秘密でお願い。」
「わかってる、水瀬、絶対また会おうね。」
「うん!」
平助くんはクリッとした猫目を細めて笑って言った。
この時代のひとはあまり背が高くなくて初めは全然あたしと背が変わらなかったのに、今では5センチくらい目線が上になっている。
女の子みたいな猫っ毛で、可愛い弟みたいって初めは思ってたのに。
池田屋では誰より勇敢に斬り込んで行って額に傷を負っていて、その傷までも今では男ぶりをあげている。
「水瀬、山崎さんの所に行っても、あまり無茶をするな。辛くなったら必ず泣け。」
斉藤さんがいつも通り無愛想に言った。でも本当は誰よりも優しいひとだって知ってる。
「はい、ありがとうございます!」
あたしはしっかりと斉藤さんの切れ長の目を見て言った。
ほんの少しだけ、斉藤さんが口の端をあげて微笑んだのが見て取れた。
「なんか斉藤って…」
「「「父親みたい」」」
例によって三馬鹿トリオがハモってあたしは思わず吹き出してしまった。
「俺は水瀬と同い年だ。」
斉藤さんは面白くなさそうに眉をしかめて言った。
「ぷ、あははは。笑わせないでくださいよ。」
あたしは我慢出来ずにお腹を抱え笑い、ふと思い切り笑ったのは久しぶりだと気がつく。
みんなが安堵したようにあたしを見つめた。
「よかった。水瀬が笑えるようになって。辛かったろ、ゆっくり休めよ。」
永倉さんがにっと笑って言った。
「大丈夫です、あたしはもっと強くなってもどって来ますから。」
「おうよ、まあそれ以上強くなられても、後が怖えから程々にしといてくれや。」
佐之さんが茶化すように言ってみんなが苦笑した。
「佐之さんはその時は地獄攻めで締め上げますから。」
あたしはこんな軽口をたたける自分に驚いていた。
大丈夫、あたしはきっとこの先笑える。
きっと戻ってこれる。
その時、稽古終わりの総司が息を切らして走って来るのが見えた。
あの事件以来、総司とはずっと話していなくてギクシャクしたままだった。
「じゃあ俺らは行くから。」
「達者でな!」
「またな」
みんなが笑顔で手を振って屯所の中に入って行く。
気を利かせてくれたんだろう。
総司は紺色の稽古着に竹刀を持ったままで走って来る。
「まこと、行くんだね。追いついてよかった。」
「総司…見送りに来てくれたんだ。ありがとう。」
「まこと、ごめん…。」
「何が?」
あたしは何の謝罪か分からなくて首をかしげる。
「あの時守れなくて…。」
「!」
あの事件の事を言っているんだ。そう思うと、一瞬暗闇に心が引き込まれそうになる。
あたしは一生この事を忘れないと思う。
結果的に身体を奪われたわけではなくても、自分ではどうしようもないくらい抵抗が出来なくて、怖くて絶望的なあの感覚は、きっとあたしを苦しめ続けるのだろう。
でも…。
「大丈夫、あたしはもう傷つかないよ。守りたいものが有るから。だから自分自身の弱さと向き合って、もっともっと強くなるから。」
あたしは暗闇を振り払うように自分自身に言い聞かせるように言って、真っすぐに総司を見つめた。
総司はふっと小さく笑った。
「本当に…くやしいな。斉藤さんの言う通りだ。」
「え?」
「まことは辛くても壁にぶつかってもその度に強くなって帰って来るって。だからお前が揺らいでどうするって、そう怒られたんだ。」
「斎藤さんが…そんな風に?」
あたしを信じてくれる人がいる。
それだけでこんなにもあたしは笑える。
強くなれる。
だから、大丈夫。
「私も負けないよ。まことや斎藤さんや土方さんみたいに。
物事の本質を見極められるように、揺らがぬ様に…大事な人を守れるように、強くなるよ。」
総司は照れたように小さく笑うとえくぼが見えて、あたしはこのお日様みたいな笑顔が大好きだと実感した。
「土方さんには会った?」
総司がふと思い出した様に聞いて来た。
「ううん、会ってない。」
「会わないままでいいの?」
「いいの。会わなくても同じ方向を見てるのを感じるから。
あたしはあたしの為すべき事をする。」
あたしは笑って言った。
本当の気持ちを言えば逢いたい。
でもそうしたら余計なこと言っちゃいそうだし。
それにあたしは土方さんとは結ばれることはない。
でもただ心だけを寄り添わせて、同じ方向を向いて一緒に走れることを自分の至上の幸せにして生きて行くと決めたから、だからいいんだ。
「まったく、かなわないなあ、二人とも。本当に入り込む余地も無いんだから。」
総司はほんの少しさみしそうに笑ってから、一切を振り切る様に言った。
「じゃあ、山崎さんの所までは送れないけど、気をつけてね。」
「うん。じゃあまたね。」
あたしは大きく手を振って屯所の門を出た。
季節は冬になろうとしていて、冷たい北風があたしの横をとおりすぎて行った。