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虹に届くまで  作者: 爽風
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第九章 10.引き際、武士の如く

暗い…

どこまでも。

前に進もうとするのに、足首を誰かが掴んでいて少しも一歩も動けない。


離して!

離して!!


いつの間にか、足のみならず手や顔も掴まれて押さえつけられる。


誰か!

誰か助けて!!

お願い!!


「っ!!」


夢…

気がつくと汗をびっしょりかいていた。

額の汗を寝巻きの袖で拭い少しずつ息を吐く。


そう、夢だ。

あたりはまだ暗くて昼間の喧騒が嘘のように耳鳴りがする程に静まり返っている。


あたし…どうしてこんななんだろう?

どこにも行けない。


…キミガシンセングミヲコワス…


伊東さんの言葉が不意に蘇り、あたしは耳をきつく塞ぐ。


あたしが…あたしの存在が、不信感を生み、新撰組の均衡を壊す…

伊東さんの言葉を咀嚼して胸に落とし込んだ時、心が壊れる音を聞いた気がした。


ここに居ちゃいけない…


胸の奥に砂を詰め込まれたようにどうしようもなく苦しくなる。

不意に息がうまくできなくなって胸を押さえて体を丸めた。


「あ、うっ…」


過呼吸だ。

きちんと息吐かなきゃ。


「はあ、はあ…」


ダメだ、苦しい。

誰か…助けて…!

ううん、誰かを求める訳にはいかない。だってあたしに近づいたらその人に迷惑がかかるもの。

自分でなんとかする。

これ以上迷惑かけるなんてもう無理。

あたしは一層体を丸めて息を吐こうと試みる。


スパン!


「水瀬!」


襖が開いて誰かが入ってきた。

誰?ダメ、あたしに近づかないで!


「おい!しっかりしろ!水瀬!」


あたしを抱き抱える大きな手は、土方さんのものだった。


「おい!誰か居ないか!医者を!!」


あたしは土方さんの着物をきつく掴んだ。


「やめ…」


大丈夫ですから!

あたしに構わないでください!

そう言いたいのに、

言えない。

これ以上空気なんか吸えないのにでも容赦なく空気の塊が胸の中に割り込んできて、涙がポロポロ溢れてくる。


あたしは力強い土方さんの腕の感覚に身を委ねて意識を手放した。





目が覚めた時、隣の部屋から人の話声が耳に入ってきた。


「…から…だろ?」

「…の…じゃないか!」


幹部会…だろうか?

耳鳴りがして上手く声が聞こえないけれど目を瞑って集中して耳を澄ましていくうちに徐々に聞こえてくるようになった。


「水瀬を除隊させるってなんでだよ!水瀬は誰よりも新撰組の為を思って行動してるじゃないか!今回のことだって水瀬のせいじゃないだろ!!水瀬はここにしか居場所が無いんだ!それをっ!」


平助君の声だ。

予想はしていた。

除隊…か。当たり前だ。真偽はどうあれあんな風な騒ぎを起こしたんだから。

それに…こんな身体のまま、いられない。

でも…胸が…痛いな。


「私は藤堂くんの意見に賛成だ。水瀬君の噂の真偽がどうあれ彼女の今までの働きを見ればこれからも組の為に働いてくれるでしょうし。」


この声は伊東参謀?

声を聞いただけで吐き気がしてくる。

まさか、なんであんたがそんなことをいう?

ここにいるのを反対しているんじゃないの?


「真偽とはまた聞き捨てなりませんな。ここにいる者は水瀬君の真偽など疑ったこともありませんが。」


「!」


揺らぐことのないまっすぐとしたいつになく厳しい声…。


近藤先生…!

信じてくれていたんだ…。


そうか…

あたしは…それだけが怖かったんだ。

あたしは口を手で覆った。

そんなふうにあたしのことを思ってくれたことがうれしくて。


…ここにいるみんなにだけは信じてほしかったんだ。

誰に疑われても、ここにいるみんなは信じてくれている。

あたしを…。

あんなうわさがあって、あんなことがあって…なのに信じてくれていた。

それだけで…十分だ。

だから…もう迷うまい。


澱のように溜まったものが涙と一緒に溢れていく。

目の裏が熱くて痛い。


隊を離れよう。

みんなに迷惑をかけないために。

あたしの存在が隊の均衡を乱すことはどう取り繕っても抗いがたい事実だ。

ならば…きちんと身を引くんだ。



「だが現に水瀬君が男と同衾している所を見ている隊士がいるのですよ?」


伊東さんの地を這うような声色に身体中に悪寒が走る。

あの時の感覚が蘇る。闇に呑み込まれそうになり、生理的な恐怖が湧き上がる。


「水瀬は同衾などしていませんよ。噂に利用されて襲われたのです。」


斉藤さんのいつもと変わらない声。


「なんと!」


「水瀬の噂が真実だと隊士に印象付けることが目的なのでしょう。」


「なぜそのようなことが言えるのです?」


「助け出した水瀬の身体にはそんな痕跡がありませんでしたからな。同衾の様子に見せかけただけだど考えるのが自然でしょう?

それに我々は水瀬がそういったことをする人間ではないことをこれまでの付き合いで分かっています。」


「しかし…」


「伊東参謀、貴方は水瀬の噂をどうにかしてでも真にしたいのですか?」


斉藤さんとのやり取りに痺れを切らしたように土方さんが言葉を継いだ。


「!いえ…私はまだここにきて日が浅いもので。

そこまで信用している水瀬君を何故除隊にするのです?」


伊東さんは一瞬の揺らぎをすぐさま胸に収めて言った。


「そうだよ!俺も納得できない。」


「私もです。皆その気持ちは同じでしょう。」


平助君や総司がひざを詰めたのか衣擦れの音が聞こえた。


「…隊の平生の為だ。幹部連中は水瀬の噂なぞ誰も信じちゃいない。あいつの性格は重々これまでの付き合いで分かっているからな。だが皆がそうだというわけではない。隊の中には伊東参謀のように不信感を持ち始めている者も出てきた。この歪みがいずれ隊全体の結束を破るとも限らぬ。事態を収拾するためには水瀬を除隊させるしかないだろう。」


まったく…少しも揺らがないんですね。

土方さん…。

どこまで行っても鬼の副長。

でも…さっきあたしを支えてくれた無骨な手の暖かさは…あたし、ずっと忘れません。


「土方さん!まことは…まことの気持ちは…!」


総司が必死にかばってくれるのを感じる。

あたし総司の手振り払ったのに…。

ありがとう、総司。

でももう大丈夫だから。


「あんな状態の人間を隊に置いとけるわきゃねぇだろ。足手まといになるだけだ。」


何の感情もない土方さんの声。


足手まとい…か。

どうしてだろう。

そんな風に言われてもあまりつらくない。

むしろすがすがしい。

自分が往く道を決めているからかな。

さっきまであんなにつらかったのは迷っていたから。

自分の存在が新撰組の毒になることがつらくて認めたくなくて。

みんなに迷惑かけて嫌われるのが怖かったから。

でも今は違う。

みんながこんな風にあたしを信じてくれた、ここに居て良いって言ってくれた。

だからあたしは自分の往くべき道を見誤らずに進むことができる。

新撰組のために、どうすればいいかがわかる。

今は自分の弱さを認めて引く時だ。

ここに残れば伊東参謀の策略に利用されるとも限らない。

ならば、覚悟を決めて引くんだ。


「そんな言い方はひどいです!近藤先生も何かおっしゃってください!」


「隊の為にも、水瀬君のためにも今はそれが一番だろう。」


近藤先生の低い声。

それは決定事項。


「…!」


皆一瞬息をのんで沈黙した。


あたしは意を決してふらつく体を支えながら、沈黙している隣の部屋へと続くふすまを静かに開けた。


「お話中申し訳ありません。失礼します。」


「「「水瀬!!」」」


土方さんも、近藤先生も、山南先生も、総司も、斉藤さんも、平助君も、佐之さんも、永倉さんも、源さんも…あたしが起きているとは思わなかったのか目を見開いて驚いている。

そんなみんなの驚いた顔がおかしくてあたしは思わず顔がほころんだ。

ああ、あたし、みんなが…大好きだな。

だからみんなのために、自分のために、きちんと自分の弱さと向き合って身を引くんだ。

武士みたいに…。

潔く。


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