第一章 8.生か死か、入隊試験
あのあと重湯と行った方が正しいようなおかゆと漬物ふたきれという、かなり質素な朝食をいただいた。幕末という時代の所為なのか、新撰組自体の懐事情の問題なのか分からないけど、自分みたいなわけのわからない人間がただでさえ少ない食料を頂戴してしまうことに、罪悪感が生まれる。
それでも昨日からなにも食べていないだけにお米の味が染みわたってありがたい限りだ。できればもう少し食べたいけれど。
朝食のあと沖田さんに、道着と袴身と防具を貸してもらい、入隊の試合をすることになってしまった。
あたしに選択の余地はないとは言え、どこへ流されていくのか不安になるばかりだ。
それでも手ぬぐいを頭に巻き、防具をつけると懐かしい安心感が生まれてくる。
防具の中はお世辞にも快適ではないのだけれど、お馴染みの汗と埃のにおいが少しあたしを落ち着かせた。
ふう
一つ深呼吸をして、道場に一礼して足を踏み入れる。
道場には多くの人が集まっていて、ひそひそ言葉を交わしているのが虫の羽音に聞こえて耳障りだ。
「なんだ、あの細っこいの。」
「入隊志願者らしいぜ」
「へえ、あんな女みたいなやつがねえ…無理に決まってんだろ。」
うるさいなあ。
女みたいじゃなくて女なの。
それに別に好きでこんなことしてるわけじゃないし。
あたしは空腹の苛立ちも手伝って心の中で毒づく。
くそーお腹空いた。
さっきのおかゆが呼び水になってお腹が鳴り続けている。
だめだ。こんな雑念持ってたら勝てない。
落ち着け、落ち着け。
あたしは今何のために今試合をしようとするなか。剣を持つのか。
それは自分を守るため。
この世界で生き抜くには、どの道を選んでも、絶対に険しいに違いない。
ただ、直感であたしが帰るカギは土方歳三だと思う。
だからこの人のそばにいて絶対に帰ってやるんだ。
そのためにはここで認められるしかない。
勝つしか道はない!
信じろ、自分を。
つー兄、あき兄、す-兄、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、…お母さん、あたしを見守ってください。
絶対帰るから。
あたしは目を閉じてお母さんの形見の指輪をぎゅっと握りしめた。
「ではそろそろ始めましょう。
勝負は1本勝負。審判は永倉さんお願いします。」
ぼさぼさの髪をまとめ、無精ひげを生やしたホームレス風の年齢不詳の人が前に進み出る。
「おう、承知した。
だがよ、総司。
こんな細っこいガキおまえの剣を受けたら死んじまうんじゃねえか?
ちゃんと手加減しろよ?」
何だと?
手加減?
あたしが今どんな気持ちでここにいると思ってんだ。
手加減なんかいらない。
あたしが今頼れるのは、自分が子供の頃から身を置いてきたこの剣道だけしかないのだから。
あたしは永倉と呼ばれた年齢不詳男を面の中からにらみつけた。
「くすくす
さあ、どうでしょうねえ。」
沖田さんはさっきから意地悪い笑みを見せている。
沖田さんは胴をつけただけで小手も面もつけていない。
馬鹿にされてる。
きっとこんな小娘が剣道をやってるなんてきっと思ってもいない。
そう思うとあたしの生来の負けず嫌いが頭をのぞかせて、悔しさ顔に血が上るのが分かる。
でも無駄に心を揺らがせればそれはこの勝負において命取りになるだろう。
明らかにあたしに分が悪い。
あたしが闘うのは伝説の剣豪沖田総司なんだ。
万に一つも勝ち目はないかもしれない。
でもやるしかない。
進むしかない。
引くことなんてできるわけがない。
沖田さんも土方さんもきっとあたしが本当に記憶喪失だなんてきっと思っていないだろう。
そのうえで、あたしをここに置くかどうかを試そうとしているんだ。
すなわち負けは死。
信じられないけれど、あたしが幕末に飛ばされてしまったのはきっと間違いない。
信じたくないけれど間違いない。
だったらここで生き抜くしかない。
帰る日まで。
絶対に生き抜いてやるんだ。
ここに飛ばされた時から常にあたしは死に追いかけられている。
だから何としてでもこの勝負逃げるわけにはいかない。
女は度胸!
さあ、真実!覚悟を決めろ!!
あたしは顔を上げ、面の中から沖田さんを見据えた。
「では両者まえへ」
一礼をして、あたしたちは木刀を構え、沖田さんと向き合った。
すごい…
防具をつけていてもその殺気は肌まで伝わって鳥肌を立てる。
全く隙のない構え。
この人めちゃくちゃ強い…!!
でも、あたしは逃げられない。
逃げられないんだから、だからぶつかるのみ!!
「始め!」
お互い動かない…
否
あたしに関しては一歩も動けない。
下手に自分から斬りこめば確実に一瞬でやられるのがわかるから。
膝が笑う。
この底冷えのするような殺気にあたしは動くことすらできなかった。
「なかなかの構えだ
あなたが来ないならこちらから行きますよ?」
沖田さんは面白そうに言うとあたしに向かって一歩踏み込んできた。
ダン!
道場の床を踏み込む音。
その刹那目の前に沖田さんのゾクリとするような残忍な笑みが面の隙間から垣間見えた。
かろうじて木刀で弾き返すけれど、二手三手と沖田さんは打ち込んでくる。
速っッ!!!
重ッ!!!!
あたしはどうにか沖田さんの剣を躱していたけど、あまりの剣の圧力に手がジンジン痛む。
あたしは思いきり床を蹴って後ろに飛び退り、沖田さんと間合いを取る。
呼吸を整え、あたしは木刀を構え直した。
沖田さんは息も乱さずに悠然と笑っている。
そのさまは冴え凍る月のような笑いだった。
殺される…
その殺気に怯みそうになる気持ちを奮い立たせた。
揺らぐな!
逃げるな!
見るんじゃない、感じろ!
あたしは今度は思い切り床を蹴って一気に沖田さんとの間合いを詰め、一瞬のすきを見つけ、沖田さんの胴に飛び込む。
沖田さんはあたしの剣を流しその返しで小手を狙う。
あたしはギリギリでそれをかわしすぐさま態勢を立て直しすかさず斬りこむ。
斬りこんではかわし、返して攻撃に転じ、その繰り返しが永遠に続くかに思われた。
どれだけ時間がたったかわからない。
あたしも沖田さんも息を乱し互いに間合いを取る。
ふとその時、沖田さんは剣の切っ先を下げた。
あれ?
わずかな違和感が走る。
構えが変わった?
そう思った瞬間だった。
沖田さんが目の前にいた。
何?!
ガキン
やば!!!!
寸前で突きをかわし、後ろに跳び退る。
体勢の崩れをつくように沖田さんは2度3度と猛然と打ち込んでくる。
やばい!!!!
もう駄目だ!!!
…!!
一瞬床に落ちた汗に足滑らせ前のめりに倒れる!
その隙に沖田さんは面に木刀を振り下ろした。
その刹那。
その木刀の剣筋が妙にゆっくり見えた。
空いてる!
あたしは左半身をひねって倒れながら右手の木刀を逆手に持ちかえる。
体を倒す勢いにのせ、渾身の力で胴に木刀を入れた。
「胴!」
「面!」
「「バシッ!」」
ほぼ同時に沖田さんの木刀はあたしの左肩に。
あたしの木刀は沖田さんの胴に入る。
「そこまで!
沖田一本!!!」
「「「おおお!!!」」」
道場の中が揺れる。
…負けたんだ。あたし。
ジンジンする肩を押さえてたちあがる。
肩は徐々に鈍い痛みを伴って広がって行く。
どうしよう。
まけちゃったよ。
死ぬ…のかな?
でも…これはあたしの精一杯だ。
体は泥のように重く顔を上げることすら億劫だった。
あたしは面を取って、額の汗を手の甲で拭った。
道場の中にはよくよく見れば人でいっぱいだった。
先ほどまでガヤガヤしていたその人たちが一様に水を打ったように静まり返ってあたしに視線を注いでいる。
「異議あり。」
その声に道場中の注目が集まる。
「今のは私の剣は面に入っていませんよ?」
沖田さんが木刀を肩に担ぐようにして飄々と言う。
「総司のほうが一瞬速かったぞ?」
「でも実際の戦いなら、私は胴を真っ二つに斬られてますけど、水瀬さんは腕の失うだけですから。やはり水瀬さんの勝ちですよ。」
沖田さんはあたしに歩み寄って手を差し出した。
「おめでとう、そしてようこそ壬生浪士組へ。
でいいですよね?土方さん。」
沖田さんはさっきの冷え冷えとする笑いが嘘のようないたずらっ子みたいな笑みを浮かべ、土方さんに顔を向けた。
「ふん、仕方ねえ。」
土方さんが少し不満そうに答えたその瞬間道場に歓声があがった。
「「「わあ!!」」」
「あのわっぱすげえな。」
「総司と互角に闘えるなんてあいつ何者だ?」
「女みたいな顔してんのにすげえな。」
あたし死ななくていいの?
あたしは状況がつかめずにきょろきょろあたりを見回す。
「なにおかしな顔してるんです?」
沖田さんが子供に問うように座り込んでいるあたしに視線を合わせて笑った。
「だって…あたしは…こんな怪しいのに…自分がなんでここにいるのかさえわからないのに…
ここに居てもいいのですか??」
「もちろん不穏な行動をすれば斬ります。
でもそれはどの隊士にも言えたこと。
あなただけに限った事ではありませんよ。
この試験はあなたの覚悟と技術を測るものでした。
あなたは予想以上の腕と度胸を持っていましたけどね。
あなたの胴結構痛かったですよ。」
目の前が揺らいだ。
奥歯をぎゅっとかみしめた。
「くすくす、こらこら
君はこれから武士なのだからこれしきの事で泣いてはいけませんよ。」
沖田さんはあたしの頭に手をポンと置くと優しく言った。
だめだ。
そんなことされたら泣いちゃう…。
武士になんてなれないよ、あたしは。
でも嘘をついてる分この人たちを裏切らないと誓おう。
こうしてあたしの生死をかけた入隊試験はどうにか無事に終わりを迎えた。