第九章 9.歯がゆさ:土方歳三
あいつを見るたびにやるせなくなる。
声をかけるたびに身体を震わせ、一呼吸置いてから無理やり笑顔を作っている。
笑っているのに全身でないているようにも見えて、それが痛々しかった。
あいつが何者かに襲われた…
斎藤と総司からその報告を聞いたとき、俺は自分を抑えることで精一杯だった。
他の男があいつに触った?
ふざけんじゃねえ!!
ぶっ殺してやる!
そんな激情が体中を駆け巡った。
そしてあいつを守れなかった自分も殺してやりたくなった。
俺が手元に置いておきたかったからだ。
俺のせいだ。
どうすればいい?
どうすればあいつを守れるのか?
✳︎
黒谷から屯所へ帰ると、ふと雨音に混じってバシャバシャと大きな水音が聞こえ、井戸の方へと歩を進めた。
「!」
俺の方へ背を向けてこの晩秋の凍える雨の中、頭から水を被っていたのは、水瀬だった。
何度も、何度も何かに取り憑かれているように。
俺はしばらく声すらかけられなかったが、
我に返って怒鳴りつける。
「何やってんだ!この馬鹿野郎!まだ身体も治ってねえのに!」
全身ずぶ濡れで、呆然としている水瀬の手から桶を奪い取る。
水瀬は俺を見据えたが黒いその双眸の中は伽藍堂で何も写していない。
雨に濡れ無機質な人形のような真っ白なその顔は今まで見たことも無くて、まるで水瀬と同じ顔の別人のようで、傷の深さが思い知れゾクリと全身が泡立つようだった。
水瀬はそのまま目を閉じると崩れ落ちるように気を失った。
✳︎
気を失った水瀬に羽織をかけて部屋に連れて行く。
女中のトキさんに水瀬の看病を再び頼むと、一旦部屋を出る。
あの出来事が水瀬をこんなふうにしてしまった以上、これ以上男所帯の新撰組にいさせることはもはや不可能だ。
俺は水瀬が眠っている部屋からそっと出た。
「トシ、水瀬君は大丈夫か?」
近藤さんが見計らったように心配そうに眉を寄せて言った。
「ああ」
俺は水瀬の部屋を離れながら小声で返した。
「無理して笑って、一方ではこんな寒空で行水しなければいけないほど追い詰められていたなんて、こんなになるまで…怖かったんだろうな。」
「俺ら男にはどうしても想像でしかないがな…。」
「あのあと水瀬君はずっと無理して笑っていただろう?頼ってくれてもいいのに…だがやはり本物の家族ではないから甘えられないのだろうか?」
「勝ちゃん、あの噂、耳に入ってるだろう?水瀬はたぶん、あの噂に利用されたんだ。」
「利用?」
「斎藤の報告では水瀬は完全に身体を奪われたわけではなかったらしい。だが襲われてる水瀬を目撃した奴がいるってことは噂に乗じてわざと襲って目撃させたんだろ。隊士の中に不信感を植え付けて新撰組を中からぶっ壊そうとしてやがんだ。そんなことするのは伊東しかいねえだろ。」
「!」
「ぜってえ赦さねえ。」
「だが、まだなんの証拠も…」
「だから歯がゆいんだよ!畜生!あいつがあんなふうに苦しんでるのに俺らは黙って指くわえて見てることしかできねえんだ!!そして実際平隊士の中に水瀬のことで不信感を持ってる奴らが出始めてる。俺らは伊東の書いた筋書き通りに進まざるを得ないんだ。」
俺はいら立って、壁をこぶしでたたいた。
こぶしはジンジンと熱い痛みを持っている。
「トシ…。」
勝ちゃんがおれの肩に手を置いた。
正直、水瀬をこれ以上ここに置くべきではないのだろう。
だが…水瀬はここに居ることを望んでいた。
そして俺らも水瀬と共に有ることを望んでいる。
どうすればいいのかまったくわからなかった。