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虹に届くまで  作者: 爽風
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第九章 7.崩れた心

目が覚めたとき、あたしは見知らぬ部屋に寝かされていた。

頭がもやがかかったようにあいまいで、頼りない。

トキさんが額に乗せられた手ぬぐいを替えてくれた。


「大変やったなあ。女子に生まれるとこない難儀なこともあるんや。

まこっちゃんだけやないで。ただ、武士武士って言うとる連中が、こない無体なことするなんて恥ずかしい限りや。」


あたしはあいまいにうなずいて目を閉じた。


ああ、あれは夢じゃないんだな。

体を抑える男の手。

のどを伝う苦い液体。

殴られた時の血の味。

自由にならない身体。

体中を這い回る手。手。手。

気持ち悪い。

気持ち悪い。

嫌い、嫌い、嫌い!!


でも何より嫌いなのはこの男所帯の新撰組に身をおく時点でそういう危険性だってあったはずなのに、油断して逃げることもできなかった自分自身だ。

自業自得。

あたしがこうなったことで、きっといろんな人に迷惑かけてる。

悔しい、悔しい。


あたしの意識は暗闇に引き込まれていった。



それから2、3日たってあたしはだいぶ元通りに動けるようになって顔の腫れもだいぶ引いた。

表面上は何も変わらない。

どうやらあたしの身に起きたことはごくわずかな人にとどめておいてくれたらしい。

発見者の斉藤さんと総司、そして近藤先生と土方さんだけらしい。

あとの人には急病で昏倒したとだけ伝えてくれたみたいで、それが有り難かった。

あたしは徐々に日常に戻りつつあった。

でもあたしは何かを失ってしまった。

人に触られると、動悸が急に激しくなって、体が動かなくなってしまうのだ。


理由なんてわかりきっている。

でも…それでもそのことをただでさえ気を使ってくれているみんなに言えるはずがない。

笑わなきゃ。

笑わなきゃ。

そう思うと不思議なもので、感情がだんだん麻痺してくる。

あたしは意識しないでも笑えるようになった。

この調子だ。

きっとこのまま戻れる日が来る。



カタン

「!」

小さな物音ひとつにもびくついてしまう。

振り向くと、そこには伊東さんが立っていた。


「あんなことがあっても笑っていられるなんてやはりあなたは普通の女子ではないらしい。」


くつくつと蛇のような笑いを浮かべていた。


「!」


あたしは瞠目したまま指一本動かすことができなかった。

普通?

普通って何?

もうあたしは普通なんかじゃないのに。


「あなたのような異分子がいるから新撰組は乱れる。それがわかりきっているのに、局長や土方君が君を置くのはやはり君の体が惜しいのかな?」

「…取り消してください。」


ふつふつとわいてくるのは怒り。


「みんなを馬鹿にするような発言は許さない!」


あたしは伊東さんをにらみつける。


「ふふふ、どの口がそれを言うのかな?」


伊東さんが一歩あたしに近づく。

あたしは後ずさってそれでも目線ははずすまいと思った。


「そそる目をするね。水瀬君は。いやいや、それも含めて誘って楽しんでいるのかな??」


そのときあたしの背中が壁に当たるのを感じた。

ドクンドクン

心臓の鼓動が早くなっていく。

落ち着け、落ち着け!

逃げないと!

どうやって?

伊東さんは不意にあたしの右手をつかみ、畳に押し付ける。


「!」


いやっ!

あたしはとっさに顔を背けた。


「君は自分が新撰組に必要だと思っている?

ずうずうしいね。今の君はお荷物でしかないんだよ?君の存在は毒だ。

近藤君も、土方君も、君には甘いからねえ。君は女であること、そしてその優しさに甘えているだけだ。沖田君や斉藤君が君のせいで惑っているのを君はわかっているのかな?

それともそれを楽しんでいるのかな。

君がいなければ彼らは武士として揺らがずに生きていけたのにねえ。」


もうやめてっ!

息ができない。

苦しい。

あたしは伊東さんにつかまれた右手を必死で解こうとするけれどつめたい笑顔を張り付かせた伊東さんの手はあたしの手首をぎりぎりと締め付けている。


「前みたいなことがもう一度起きるかも知れないよ。それでも君はまだここにいるの?

みんなに迷惑をかけ続けて?

それとも起こることを待っている??

今ここでやってみても良いんだよ?」


言葉がナイフみたいにあたしの心を切り裂いていく。

どうしてこの人はあたしの弱い部分をめった刺しにするんだろう。

もうやめて。

知ってる。

ホントはここにいてはいけないことは。

あたしが一番知ってる。

だから…もうやめて!!


伊東さんはあたしの上に馬乗りになり、顔を近づけ唇を奪われる。

ナメクジがはっている。

口の中が侵食されてあたしはどんどん汚れていく。

汚い!

あたしは!


あの時と同じだ…

男の人の硬い身体と重み、匂いに

喉の奥から酸っぱいものがこみ上げてくる。


「うっ」


伊東さんは異変を悟ったのか、あたしから体を離すと、耳元で小さく囁いてクスクス笑いながら去っていく。


「ではでは、お楽しみをありがとう。水瀬真実君。またね。」


✳︎


あたしはこみ上げてくる吐き気に、その場から庭の植え込みに駆け込んで、せり上がってくるものを全部吐き出した。


「ごほっごほっ!」


胃の中の物を全部吐き出して、それでもまだ震えがおさまらず、あたしはその場に座り込んでしまった。

ひざを抱えてきつく目を押し当てる。


どうしよう。

こんなときなのに、泣けない。

笑いさえ浮かぶ。

ああ、本格的におかしくなっちゃったよ。

涙ってどうしたらでるんだっけ?

泣き方忘れちゃった。

独りなのに泣けない。


「ふふふ…。あー汚ったないなぁ。お荷物だって…あははは…」


ひとしきり笑って、ぼんやりと、呟くと頰に冷たいものが当たって、空を振り仰ぐと冷たい氷雨が降り出しているのに気がつく。

庭木に落ちる雫の美しさと対照的に自分の汚さが浮き上がるようだった。

あたしは汚い。

そしてもう戻れない。

あの頃みたいには。



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