第九章 6.激情、見たくないもの:沖田総司
まことが何者かに襲われた。
なぜ、そんな目に遭わなければいけない?
まことは生まれ育った時代も家族からも引き離されてここに連れてこられたのに、この上なぜこんな目に遭わねばいけないのだ?
乱れた着物からのぞくまことの白い肌を見たその瞬間体のそこから得体の知れぬ衝動が突き上げてきた。それは独占欲。そして怒り。自分にこんなにも激しい感情があるとは知らなかった。
私はこれまでにないほどの激しい怒りで自分を抑えるのがやっとだった。
そして、まことが怯えて私の手を振り払ったとき、言いようのない喪失感に襲われた。
壊れてしまった。
私たちはきっともう戻れない。
そんな絶望が体中を包んだ。
*
まことはあの後部屋に移されたが、顔を酷く殴られたこととおかしな薬を飲まされたようで、熱が高くなかなか目が覚めず、ようやく起き上がれるようになったのはそれから三日後だったけれど、私は会いに行っていない。
まことに会ったとき、私はどんな顔をしていいかわからないから。
会いたいけれど、会えなかった。
外は凍えるような冷たい雨が降っていて、巡察から戻ったとき、私の体は芯から冷え切っていた。
私は自分の部屋のふすまに手をかけてしばしとどまった。中は見慣れぬだだっ広い空間が広がっている。
まことの荷物は局長室の横の小部屋に移してあるのだ。
さすがに誰かと同じ部屋では目が覚めたときにまた怖がらせてしまうと、近藤先生が配慮した結果だった。
まことの看病はトキさんに任された。
斉藤さんは会っただろうか?
まことに。
あの日、斉藤さんは見たこともないくらい狼狽していた。
けれど、まことを見つけた後斉藤さんは怒りながらも、冷静に行動していた。
ただ己の激情に震えていた私となんて違うんだ!
己の小ささを痛感した。
だから会えない。
私は男としても武士としても中途半端な未熟者だ。
どんなときでも感情に流されずに行動できる、そう信じていた。
なのになんだ、この体たらくは。
外の霙交じりの雨に打たれ体はすっかり冷え切っている。
この体を蝕む激情も一緒に冷めてしまえばいいと思う。
この自分で制御することもできない、この衝動を氷つかせてしまいたい、そう思った。
*
「沖田さん、何してる?」
ぼんやりしていた私に斉藤さんが声をかける。
「…ああ、ぼんやりしてましたよ。」
私は小さく笑ってふすまを開けた。
「沖田さん!水瀬がお前に会いたがってた。」
「!」
背中に覆いかぶさる斉藤さんの言葉に私は瞠目する。
私が行っても怖がらせるだけだ。
それに、あの傷ついているまことに会うのが怖い。
私の知っているまことじゃないから。
「…行けません。今行っても怯えさせるだけですから。」
私はのどから言葉を搾り出した。
「!」
そのとき、
斉藤さんが私の肩をつかみこちらを向かせると、胸倉をつかみあげた。
「ふざけるなよ!怯えているのはお前だろう!
水瀬と向き合うことすらしないで避ける。水瀬の気持ちを考えろ!これ以上あいつを傷つけることは俺が許さん!」
斉藤さんは見たこともないほど激情を見せ、つかんでいた私の襟元を離した。
「!」
「あいつはきっとますます強くなって戻ってくる。そういう女だ。だから…惚れたんだろ。俺もあんたも。だったらきちんと逃げずに向き合え!」
斉藤さんは私を一瞥すると去っていった。
動けなかった。
斉藤さんの言うことはいちいちその通りで、私は自分の知らないまことを見たくなかっただけで…。
自分という人間はなんて浅はかで…卑怯で…!
私は刀を片手に外へ飛び出した。
資格がない。
まことに会う資格が。
こんな風に思うこと自体、もはや逃げている証拠なのだろうけれど。
自分を罰してほしかった。
私は霙交じりの雨の中ただひたすらに剣を振り続けた。
手の感覚はすぐに無くなって着物が雨を吸って体に張り付くが、私は剣を振る手を止めなかった。
無駄なことはわかっていたが、絶え間なく落ちてくる雨を斬り続けた。