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虹に届くまで  作者: 爽風
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第九章 2.かの人の墓標、ただ心だけを寄り添わせて

あたしと山南先生は小物屋さんを出た後川沿いの桜並木を歩いていた。

どうしても行きたいところがあると山南先生に頼んだのだ。

それは華香大夫と吉田稔麿の御墓だった。

ばたばたしててずっと行けていなかったからこの機会に行っておきたいと思ったのだ。


川沿いは冷え込みが強いのかもう桜の葉が黄色や橙に色付き始めている。延々と続く桜並木は春には薄紅が煙るように辺りを覆うことだろう。

きっと華香太夫はこんな場所を吉田と並んで歩きたかったはずだ。


あたしはそんなことを思いながら、華香大夫のことを山南先生にとつとつと話し出した。


「…前に島原に密偵に入った時、華香太夫っていう人が良くしてくれたんです。

すごく綺麗な人で、誰もが振り向くような美人でした…そして凛としてて芯の強い女性でした…。

華香太夫は恋をしていたんです。お客さんに。でもその人は華香太夫のことを少しも振り向かない人でした。

その人には恋よりも愛よりももっと大事な志があったから、だから華香太夫の恋心を利用してそれを果たそうとしたんです。華香太夫はそれを知っていて敢えて利用されたんです。その人が笑って本懐を遂げられるならそれが一番だって。

…そして華香太夫は最期までその人をかばって、あたしの剣をかばって…その人の腕の中で笑って逝ったんです。」


あたしは一気にしゃべると息を吐いた。


「なるほどね。その華香太夫と言う人はとても難しい人に恋をしたんだね。ただまるで彼女の想い人は土方君のような人だね。志のためならば、恋も愛も感情さえも排除して、鬼になることができる、そんな人だね。」

「…そうですね。」


山南さんは静かに笑いあたしに話しかける。

あたしはうつむいたまま小さく笑うことしかできなかった。

そう、恋をするにはとても難しい人なんだ。

土方さんも、吉田も。

虹みたいに決して追いつけない届かない存在。


あたしたちは伏見の近くにある小さなお寺に入った。

維新志士とは思えないほど質素なお墓、ここには吉田稔麿のお骨はない。

幕府のお偉方に遺体は引き取られてしまったから。

だからここには見落としてしまいそうなほど小さな石碑があるだけだ。

近藤先生があたしの話を聞いて天涯孤独の華香太夫のためにここに吉田とのお墓を建ててくださった。

”勝手なことして”と眉をひそめる吉田の顔が不意に思い浮かんであたしはなんだかおかしくなってしまった。

あたしたちは敵だった。決してわかりあえることなどできないと思っていた。

でも…今こんなにも穏やかに吉田のことも、華香太夫のことも想うことができる。

それが不思議だった。

石碑には戒名の横に見落とすくらい小さく”吉田稔麿、倫”と刻んである。

春になったら、桜が咲いたら吉田が最期に遺した簪と髪紐を持って、あの桜並木の下を歩いてみよう。

満開の桜の木の下で、二人に想いを馳せるのだ。

あたしの自己満足だけど、赦してくれるかな?

大丈夫だよね?


どうか、二人があの世では寄り添って幸せに暮らせますように。


山南先生とあたしは静かに手を合わせてしばらく二人とも黙っていた。



秋の冷たい風が頬を掠めて去っていく。

不意に山南先生が立ち上がって口を開いた。


「…水瀬君、私はね、君がここに居るのは偶然ではないと思っているんだ。だから、ここで…君も想いのままに生きればいい。誰に遠慮もいらない、そして願わくば土方君の近くに居て彼を支えてほしい。」

「山南先生…あたし…気持を伝え合うわけでもない、身体を重ねるでもない、まして夫婦の契りを結べるわけではない。でも熱い志だけのために、同じ方向を見て心だけを寄り添わせて共に走り続ける、それをあたしの恋の形にします。それを至上の幸せに思えるように。」

「君は…なんて女子なんだ。まったく。私などよりもずっと武士だな。」

「…絶対に報われない想いを抱えてその人のそばに居ることにすごく辛くなることがあるんです。

でもあたしは…同じ時を生きられた奇跡に感謝して生きていきたいんです。限りある命だからこそ。」


山南先生はにっこりと穏やかで優しい笑みを浮かべてあたしの頭に手をのせた。

それはもう二度と会えない父親の手のぬくもりに似ていた。

つながっている。

目には映らなくても、150年の時を超えて平成の家族のもとへ、この想いがどうか届きますように。


「さあ、そろそろ帰ろうか?」

「はい!」


あたしたちは並んで日の傾きかけた境内を後にした。


…ただ心だけを寄り添わせて同じ志のために走り続ける…

あたしはこのためにこの時代に居る。

何度苦しみに陥ってもあたしの戻ってくる帰着点はここだ。

向き合えなくても、

伝えられなくても、

ふれあえなくても、

ただ同じ時を生きられることを幸せに想い、

共に走ることができることを至上の喜びにして、

ここに生きよう。

命が燃え尽きるその瞬間まで、

一ミリも後悔を遺すことがないように。


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