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虹に届くまで  作者: 爽風
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第九章 1.山南先生の異変

夜ともなると風が冷たくなってきて秋の気配がすぐそこまで迫っていた。

縁側では山南先生がぼんやりと虚空を見つめ一人頬杖をついていた。

最近、山南先生の様子がおかしい。

ぼんやりと独り物思いに沈んで、食事も残しがちになっている。

どうしたのですか?と問えばなんでもないですよといつもの穏やかな笑みをたたえて返すので、こちらは何も言えなくなってしまうのだけれど。


「山南先生?もう夜は冷えます。お風邪を召されますよ。」


あたしは山南先生に声をかける。

山南先生はハッとしたようにあたしに向き直る。


「…水瀬君か。すまないね。ぼんやりしてしまった。」

「本当にどうされたのですか?山南先生。」

「水瀬君は…強いね。」

「え?」

「辛いことが多かっただろう?誰にも言えずに悩んでいたんだろう?そんなそぶりは少しも見せずに。

君は強いなと考えて居たんだ。」

「そんなことはないです。

…みんながいたからですよ。

山南先生がおっしゃってくださったじゃないですか。

新撰組が好き、ただそれだけでここに居る理由になるんだって。

山南先生の言葉、すごくうれしかったんです。

自分の出来ないことを嘆くより、できることを増やそうって。」

「いや、あの頃は思いあがっていたな。私は結局何もできぬのだよ。新撰組のために。池田屋の時も、禁門の変のおりもずっと身体を崩してここに居ることしかできなかった。なんて役立たずなんだと思ったよ。」

「あたし、今山南先生の言葉をお返したいです。

本当に役立たずならこんなにみんなに慕われるはずがない。

平助君なんて二言目には「山南さんの言うことなら間違いない」って。

土方さんだって近藤先生だって絶対の信頼を置いてるんですよ?そうでなかったら二人ともあんなふうに甘えないですよ。」

「…ありがとう。水瀬君。そうだな。道は自分で見つけなくてはね。君のように。」


山南先生の笑顔はどこまでも儚げで、哀しそうだった。

どうして何もできないなんて考えるの?

みんな大好きなのに。


「…ところで、水瀬君。明日、買い物に付き合ってくれないか?水瀬君の女子の目で選んでほしいんだ。」


山南先生が不自然なくらい明るい声で言った。

山南先生は乗り越えようとしている。

だからあたしは少しでも明るい気分で居られるように笑って居よう。


「はい!」



翌日は爽やかな風が初秋を感じさせる日だった。

街には秋を感じさせる紅葉柄の着物や萩模様の着物を着た奇麗な女の子たちが溢れていて、あたしは山南先生とそれを横目に京の街を歩いてた。


「水瀬君が着たらさぞ似合うだろうね。」

「え?」

「ああいう艶やかな着物を着て女髪を結った水瀬君を想像したんだよ。先だっての密偵の時は島原で遊女見習いをしていたんだろう?山崎君が見事な女子ぶりだと言っていた。私も見てみたかったよ。」


山南先生はからかうように笑って言った。

よかった。

今日は元気そうだ。


「やめて下さいよ。あの時は山崎さんに一夜漬けで死ぬほどしごかれてようやく出来上がった張りぼて遊女なんですから。

ボロも出まくりでしたし。

やっぱりあたしには袴と小袖が一番しっくりきます。」


今日のあたしはやっぱりポニーテールに矢車模様の縹の小袖に紺の袴で、いつものように男装している。実際あたしはよく街の女の子に恋文なんかをもらったりしていたから本当に少年に自然に見えるのだろう。


「未来ではどんな格好をしているんだい?」

「みんないろいろですね。もちろんこういう着物も着ますけど、それはもう結婚式とかお正月とか特別な日だけであとは洋装です。女の子も髪を短く切ったりしますし。」

「へえ、なんだか想像できないなあ。だから水瀬君は島原で髪を切り落とした時もけろりとしていたのんだね。」

「そうですね。髪洗うのが楽になったなあとしか正直思わなかったです。」

「あはは、まったく君は本当に不思議な子だねえ。」

「うーんこれが普通だったんであんまり笑われると辛いです。」


あたしは冗談めかして言った。

山南さんが明るく笑って居てくれてうれしくて、普段よりもずっと戯けてしまう。


✳︎


あたしたちは屯所からほど近い前田屋というかんざしやら櫛やら売っているお店に入った。

色とりどりの小物が売っていて自然に顔がほころぶ。

ずっと前に、斎藤さんと一緒に買い物に行った時もあたしはこんな風にウキウキしてた。

でも目の前の斎藤さんの気持ちに全然気がつかなくてずいぶんひどいことしたな。


「ところで、山南先生、何を買うんですか?」


あたしは思い直して山南さんをつついてみる。

昨日から何も教えてくれないのだ。


「ふふ、いつも世話になっているなじみの島原の天神に何か贈りたいんだが、いい案が浮かばなくてね。それを水瀬君に選んでほしいんだよ。」


山南さんは観念したように言った。


「ええ!?って山南先生の恋人ですか?」

「違う違う、向こうにとってはただのお客だからね。ただ彼女と居るととても安らげるんだ。だからそのお礼なんだよ。簪や鏡なんかはもういろんな人にもらっているだろうからね…ただ私は女心に疎くて何が欲しいのかわからないんだよ。」

「櫛はどうですか?いつもつけていられるし。」

「水瀬君、女子に櫛を贈るのは正式に求婚するときだけなんだよ。」


山南さんは苦笑して言った。


「ええ?そうなんですか?そんなこと、全然…ってあたしここの常識に疎いので。」

「ふふふ、櫛は”苦死”という字を充ててね、苦しみや死までも共にしてほしいという男の覚悟の気持ちなんだよ。戦国の世のいつ死ぬかもしれない武士たちが、贈ったのが始まりと言われているがね。

だから…櫛は贈れないんだよ。」


櫛は命を共にする夫婦の契のしるし。

だから遊女に贈ることはできない…

この時代にはまだまだあたしには理解できないような士農工商の身分のしがらみが残っている。

だから農民の近藤先生や土方さんが武士になるっていうのは時代が時代なら口に出すのもはばかられるような夢なのだと、総司は言っていた。

だから武士の山南さんと彼女は正式に夫婦と言う形にはなれないのだろう。

なんだかそんなのってやりきれない。


「その人を身請けしたりはできないんですか?」

「うーん、私には戦国武将のような覚悟もなければ甲斐性もないからね。

私たち新撰組はいつ死ぬかわからない。私たちは幕府と日本の未来のためにあるからね。そのことには何の迷いもないけれど、遺されるほうは辛いだろう?だから言えないんだよ。このままでいいんだ。彼女を幸せにしてくれる人が現れるまでね。」

「好きだから…言えないんですね?」

「ふがいないだろう?」


山南さんは自嘲するように言った。


「…いいえ。」


そんなこと思えるはずがない

きっと山南さんはその人のことがすごく好きなんだ。

だからもし自分が居なくなった後愛しい人を独りに遺すのが怖いから、自分の気持ちも彼女の気持ちも言わないし、聞かないんだろうな。

いったん手にした幸せを手放すなら、もともとないほうが傷つかないから。

きっとこれが山南さんの精一杯の優しさで愛の気持ちなんだろうな。

伝えられない想い。

だからプレゼントに想いをこめて贈るしかないんだ。

どうか、彼女と山南先生が少しでも長く共に居られたらいいな。


「…じゃあ、これはどうですか?」


あたしは近くの陳列棚にあった匂い袋を手にとった。

なんの匂いかわからないけれど、上品な柔らかい香りが心地よい。


「匂い袋か…。これは白檀だね、優しいいい香りだ。」


山南先生は優しい顔を見せて淡い薄紅の布地に桜模様の刺繍の匂い袋を手にした。

きっと彼女はこの匂い袋みたいに上品でしっとりとした女性なんだろうな。

山南先生はそれを贈ることに決めたようで、お店のご主人にお会計を頼もうとしていたので、あたしは山南先生の袖を引く。


「山南先生、待ってください。はい、これ。」


あたしは同じ白檀の香りの色違いの青い匂い袋を山南先生に渡す。


「なんだい?」

「彼女とお揃いで持つんです。離れてても一緒に居られるでしょう?」

「なんだか私のような武骨な男が気恥ずかしいな。」


山南先生は照れたように顔を振って笑った。


「きっと彼女も喜びますから。」

「わかった、わかった。」

あたしの押しに負けたようで山南先生は苦笑いしながら匂い袋を二つ買った。


櫛は贈れないけれどでもこのお揃いの匂い袋が二人の絆になればいい、

あたしはそんな風に想った。

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