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虹に届くまで  作者: 爽風
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第八章 3.池田屋事件、女は恋に死に、男は志に死ぬ

近藤先生、総司、あたしの3人が二階に踏み込むと同時に灯りが消え、一瞬にして闇に溶ける。


怒号

金属の当たる音、

何かが斬られる音、

人のうめき声。

あたしは刀を持ったままただ立ち尽くしていた。

落ち着かなきゃ、そう思うのに震えが止まらない。

なんのためにここにいる?落ち着け!


「逃げるか!!総司、水瀬、二階は任せたぞ!!」

近藤先生は敵を追って外へ出ていく。


敵は何人?

5人?10人?

わからない、怖い!!


「まこと、背中は預けたよ。」

「!」


総司の声が聞こえた。

否、そんな気がしただけなのかもしれない。

でもそれだけで十分だった。

あたしが土方さんに無理を言ってここまで来たのは、総司を守るためじゃん。

だったら覚悟を決めろ!


総司の体の熱が空気を通しても伝わるような気がした。

まるで一陣の風のように総司が動く度に敵が倒れる音がする。


とその時。


「う…」

「死ねぇ!」

ガサ、ドサ。

隣から総司の気配が消えた。


総司?


「総司!お願い!返事して!!」



何も答えない。

まさか、斬られた?

それとも結核?

歴史通りに?

血を吐いた?

ダメ…

総司が死んじゃう。


「そこかぁ!!」

だみ声がしたと思ったら切りかかって来た。

右だ!


ガキャ!

あたしは寸でのところで突きをかわし、返しで相手の胴に斬り込む。

この暗闇。

そして倒れている総司。

あたしは今目の前で倒れている死にそうな仲間を前にして、それでも怖いなんて言えるだろうか?


あたしは今なんのために、誰のために戦う?

総司はあたしを信用して背中を任せてくれた。

あたしが今守るべき人はここにいる!

絶対に死なせない!!


あたしは刀を握り直す。

芹沢先生からもらった脇差し。

あたしの手に馴染む。

懐には斎藤さんからもらったお守りの簪。

みんながあたしを守ってくれている!!

だから負けられない!!

なぜだかこの暗闇のはずなのに目が冴え、心がすうっと冷えていくのを感じる。


「オメェも死ね!」

左だ!

あたしは真一文字に刀を引く。

ぐしゃり。

柔らかい、人の肉を斬る感触が手をしびれさす。その刹那、生暖かい血飛沫が飛

びあたしを濡らす。


「畜生!」

「やっちまえ!」


次は2人。

見える!!

何故かこの墨をぶちまけたような闇の中でも敵の動きが感じられた。


あたしは一瞬低くしゃがみ相手の懐に斬り込む。

あたしの後ろにいたもう一人を振り向き様に袈裟懸けに斬った。

相手はピクリとも動かない。

ああ、あたし人を殺したんだ。

瞼か熱くて痛い。

あたし泣いてるんだ。



「はあ、はあ…総司?お願い、返事して!」


あたしは肩で息をしながらかがんで、総司の様子を伺う。

暗い上に、血や汗がついて様子が分からない。

はやく、総司をここから連れ出して手当てしないと。



「久しぶり。華雪。」

暗闇の中から響く冷たい声。

その声は!

あたしは目を見開いて声のするほうを伺う。


「吉田稔麿!?」

「覚えてたんだ、嬉しいよ。まさか君が生きていたなんておもわなかったけど。

おかげで多くの同士を失ってしまった。」


暗闇の中でも吉田は不気味な笑い声と存在感を放っている。

吉田はやおら刀を振りかざした。


ビュッ


風を切る音。

見るな、感じろ!


ガキャ


あたしは吉田の剣を受け止めた。

火花が散ったようにさえ見える。

かつてないこの集中力。

あたしは今剣と一体になっている。


「へえ、僕の剣を止めるんだ。強くなったね。あの時よりもずっと。」


吉田は驚くような早さで刀を操る。

あたしは受け流すだけで精一杯だけど、負ける気は一切しなかった。

あたしにはみんながついてる。

だから負けない!!


一瞬の隙。

吉田の動きがスローモーションみたいに見える。


いける!



あたしは低くかがんで勢いをつけ、そのまま吉田の胴に斬り込んだ。


その刹那


「吉田先生!」


ザクリ。


肉を切り裂く重み。

顔にかかる血飛沫。

鉄錆のむせかえるような匂い。


ドサ


「!」

目の前に崩れ落ちる影。

あたし知ってる。

この鈴が鳴るような柔らかな声を。

このかすかに甘い香りを。


「華香太夫…?なんで…。」

「言ったやろ…華雪…うちの…すべては…吉田せんせ…やねん。」


華香大夫は浅い呼吸を繰り返しながらも笑って言った。

華香大夫の傷は深い。

闇なのに華香の凄艶な笑みが見えたような気がした。


「華香、よくやった。顔だけかと思っていたがたまには役に立つな。」


吉田はなんの感慨もなさそうに冷徹に言い、持っていた刀を華香の胸に食い込ませた。


「…愛…して…る…。」


華香は凄艶で、そして至福の笑みを浮かべ、大好きな人の腕の中で逝った。


「あんたね…!」


あたしはそんな吉田を怒鳴りつけそうになったけれど二の句が継げなかった。

殺したのはあたしだから。

あたしは何も言う資格はないんだ。

ああ、目が痛い。


「おかしな人だな、何故泣くの?君は華香を嘘ついて騙していた。華香も君を利用していた、いわば敵。その1人を殺しただけだろう?そんなものは偽善だよ、華雪。」

「!」

「華香は僕がすべてだからね、君と華香は敵同士。決して交わることはないのさ。それは揺るがぬ事実。僕にとっては…誰が死のうと、何を利用しようとも、全ては志の為にある。その志の前には何者も、自分の命さえも並ぶべくもないのさ。だから僕は迷わない。

さあ、立ちたまえ。決着をつけよう。

君も何かの為に戦うのだろう?華香の為に動揺して剣を持てないなんてそんな偽善は言わせない。」


吉田は笑っていない。

いつも気味悪く笑っていた吉田の初めて見る素顔かもしれない。

志のために鬼になる武士の顔。


あたしはふらふらと立ち上がった。

華香太夫をだまし、こんな風に殺したのは紛れもないあたしだ。

それで剣を持てないなんて自分の罪悪感を軽くするためのいいわけだ。

華香大夫のすべては吉田稔麿に。

あたしは新撰組とともに。

そう決めたときから、あたしたちは決して交わることのない対極に居るんだ。

ならば…迷うな。

さあ、行け!


ビュッ!

キンッ、ガキャッ!!


刀が火花を散らしてぶつかり合う。

身体中の血がたぎっていて燃えるように熱い。

目が痛い。

目から伝うのは涙なのか、汗なのか、もはやどちらでもいいような気がした。

負けられない!!

絶対に。

あたしは守るべきもののために、新撰組のために闘う!


一瞬間合いをとったその刹那。

吉田の剣先があたしの頬を掠めた。あたしはそれに構わずそのまま吉田の肩口に

踏み込む。


ザシュ!



「く…」

吉田は右肩を押さえて方膝をついた。

傷口から黒い血がじわじわとしみだしているのが闇の中でもわかった。

吉田は浅い呼吸を繰り返している。


あたしはただその場に立ち尽くしていた。

手の甲で頬をぬぐうと汗で傷口が少し滲みた。


「ふ、負けたな。

…女子は守るものがあると…こんなにも強くなるのかな?かなりの深手だ。肩を刺されてはね…。とどめを刺さないの?捕縛しないの?僕をこのままにしておくのは得策ではないよ?」


吉田はどこまでも意地悪で憎らしい。

でも…

できない。

あたしは、偽善と言われようとも…


「死にたきゃ自分で死になよ。あたしは総司を助ける。あんたを殺してる暇はない。」

あたしは壁際で倒れている総司に歩み寄った。

「ふん、本当に…甘いねえ。華雪は。」


吉田がくつくついじわるな笑いを浮かべている。


「吉田稔麿。華香大夫はね、本当にあんたのことが大好きだったよ。騙されても一緒に生きられなくてもそれでもいいって…それは、女の靭さだと思う。あたしはそんな華香大夫の凛とした強さがすごく好きだった。華香大夫はね、夢があったんだよ。」

「夢?」

「島原大門の外の桜並木をあんたと二人で歩くの。そして華香大夫の本当の名前をあんたに呼んでもらうのが何よりの夢だった。」

「ふん、下らないね。」

吉田はそう言うと肩をかばいながらゆっくりと立ち上がると、華香大夫の躯に近づき簪を引き抜いた。

華香大夫の死に顔は大好きな人の腕の中で凄艶で至福の笑みを浮かべているように見えた。

そして吉田は自分の髪紐を解くと

その簪にくくりつけ、あたしに放ってよこした。

「…お倫…」

「!」

”お倫”それが華香大夫の名前…

きっと聞こえてる。

華香大夫には聞こえてる。

だから大丈夫だ。

「島原大門まで散歩している暇はないから…君が代わりに行ってくれ。」

吉田は脇差しをやおらさやから抜き、そしてそのまま腹につきたてた!

「吉田!!」

「う…くッ…」

血が腹からどくどくと川のようにあふれる。

「すべては…こころ…ざし…の…ために…。桂…せんせ…あとは…まかせ…ます…。」

それが吉田稔麿の最期だった。


あとにはただ静寂が広がり、血と汗のにおいでむせかえるようだった。

そのあとすぐに土方さんや斎藤さんたちが二階に駆け付け、総司を運び出してくれた。

総司は血を吐いたわけではなくて、熱にやられただけだったらしい。

新撰組は死者1名、負傷者は総司をはじめ、永倉さん、平助君など数名だった。


空が白みだした頃あたしたちは屯所に戻ることになった。

長い長い夜が明ける。

こうして歴史の大舞台である池田屋事件は幕を閉じた。



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