第八章 1.予感:斎藤一
元治元年六月五日
京の夏は厳しいと言われているが、今日は朝からうだるような暑さでじっとしていても滝のような汗が伝う。
水瀬が手に入れた情報をもとに監察方が力をあげて調べ上げ、枡屋喜衛門が古高俊太郎という名の倒幕派であることが判明、今朝屯所に連行した。
それから一刻以上この蔵で責め問いが続いているが古高は何も話そうとしない。
蔵の中は特に蒸しており、埃と汗の独特のにおいでむせかえるようだ。
「吐け!てめえが倒幕派の先鋒になって要人暗殺をたくらんでいることは上がってんだよ!」
木の棒で背や腹を打ち付けても古高はうめき声を上げるだけで一向に吐こうとしない。
「ちっ、強情な奴だぜ。」
永倉さんは流れる汗をぬぐい、古高を睨みつける。
そのとき、おもむろに副長が立ちあがった。
「永倉、俺が代わる。皆外に出てろ。」
ぞくり
この暑さなのに鳥肌が立ったような錯覚を起こす。
何だ、このさえざえとした底冷えのするような笑顔は。
古高は遅かれ早かれ吐くだろうな。
あの副長にあんな顔をさせたんだ。
あの人だけは敵に回したくないものだ。
*
蔵の外に出るとまだ午前中なのに刺すような強い日差しが目を射た。
暗い蔵の中にいたものだから明るさに目が慣れず、目が開けていられない。
俺はまぶしさに目を細めた。
目が徐々に慣れてきて歩き出すと井戸のほうから賑やかな声が聞こえる。
「わあ、水瀬はんがかけはった。」
「そんならこっちからかけたる、えい!」
「わ、つめたい!やったな。」
「きゃ~!!」
ふと覗き込むと、水瀬と八木邸の子供たちが水掛けっこをして遊んでいた。
水瀬は稽古終わりなのか道着のままで、布が身体の線に沿って張り付き、高く結いあげた髪の先から水が滴っている。
まったく密偵のために三月も遊女として生活していた間何をしていたのだ。
あいつは少し自分の無防備さを自覚すべきなのだ。
あんな姿をしてそれがどれほど男の邪な欲を掻き立てるのか気付いていないのだ。
「あ、斎藤さん。」
水瀬は少し離れて見ている俺に気付くと少し照れたように小さく笑い、子供たちに向き直って言った。
「じゃあ、みんな熱にやられたら大変だから屋敷の中にもどろっか。」
「「「は~い」」」
「じゃあ、またな。水瀬はん。」
「今度は隠れ鬼やで~。」
子供たちがわらわらと帰っていく。
急に静かになり、蝉の鳴き声が妙に耳につく。
「まったく…お前は女子なのだから…そんな恰好をして襲われても知らんぞ。」
俺は水瀬の身体から目をそらして手ぬぐいを投げた。
「あ、どうも。ふふふ。」
水瀬は髪を手ぬぐいで拭きながらくすくすと笑っていた。
「何をわらっている?」
「ごめんなさい、なんか今の斎藤さんのセリフ、お父さんみたいだなって。きっと父がいたらそんな風に言われるのでしょうね。」
お父さん、か。
地味に傷つくな。
「そんな歳ではない。」
俺は憮然として言うと、水瀬は我慢できないというように吹き出した。
「わかってますよ。本当にお父さんだなんて思ってません。」
満面の笑みを浮かべる水瀬をみていると、父親でもなんでもいいように思えてしまう。
水瀬が俺の隣で笑っている、ただそれだけでこんなにうれしいとは、俺もやきが回ったものだな。
ひとしきり笑うと水瀬が思い出したようにつぶやいた。
「斎藤さん、蔵では何がされてるんです?」
「え?」
「みんな絶対に近づくなって言うんです。」
そうか。副長も沖田さんも水瀬には知らせなかったのか。
「古高の責め問だ。」
「責め問?」
「強いて言えば拷問して吐かせることだ。」
「!」
水瀬は目を見開き傷ついたような顔をした。
「お前にそんな顔させたくないから皆言わなかったんだろう。」
水瀬は唇を噛んで悔しそうな顔をした。
皆水瀬には甘くなるがこの女はそんなものには甘んじることなくどこまでも強靭な精神を持って走っていくのだろう。
とその時、蔵のほうから隊士が一人駆けて来た。
「斎藤先生、水瀬!副長の責め問いで、古高が吐きました。奴ら京の都に火をかける計画を立てていたみたいです!大量の弾薬、火薬が強奪されたそうです。焦った連中は今日にも動き出すやもしれません。倒幕派の会合をしらみつぶしにあたるそうです。ただ今会津に早馬を送っていますが新撰組も至急出陣の準備をせよ、とのことです。」
「!承知した。すぐに向かう!」
なんということか!
俺水瀬をみると、水瀬も強い眼差しで頷くと、俺たちは駆けだした。
何かが起こる。
何か歴史の大きな流れがうごめいているのを感じざるを得なかった。