第七章 6.ふたり:沖田総司
夕げのあと部屋でごろりと寝転がっていると、襖があく音が聞こえた。まことが部屋に帰ってきた。いつも一人だったこの部屋に戻ってきたのだ。こんなにも人の気配が恋しくなる日が来るとは思わなかった。
「まこと」
「はい?」
「そっちいってもいい?」
「いいよ?」
衝立の向こう側に行くと、胡座をかいて風呂上がりの髪を手拭いでガシガシ拭いているまことがいた。
その姿は色気の欠片も無くて、前と何も変わらないその姿がなんだか嬉しくて思わず吹き出しそうになった。そんな私を怪訝に思ったのかまことは振り替えって言った。
「何?」
「ふふ…何でもないよ。ただ戻って来たんだなあと思って嬉しくなっただけ。」
まことはここにいる。
それがたまらなく嬉しい。
「うん。なんかこんな風に総司やみんなと普通に話して一緒に時間を共有出来るのがすっごい幸せなんだと思うよ。
遊女になっていろんな人にあって自分の知らない世界がいっぱいあるんだって思った。
みんな切ないことも悲しいことも孤独も全部心に押し止めて生きているの。自分は総司やみんなに会えて本当に幸せだったんだと思う。」
まことは目を伏せて少し寂しげに笑った。
そんな顔をすると先程とはうって変わって、濡れた髪も相まってはっとするくらい艶やかだ。
「…まことは遊女の仕事…したんだよね?」
桂に身請けされたということはそういうことなのだということは分かっているのに確かめずにはいられない。くだらない男の嫉妬だ。
まことは辛い気持ちも押し込めて引き受けたはずだ。なのにこれ以上それを聞いてどうしようというのか。
まことは一瞬訝しげな顔をして、思い当たったように目を丸くすると、みるみるうちに顔を破顔させて吹き出した。
「ふふふ、あたしは見習いだったし総司が気にするようなことは無かったよ。」
まことに私の心を見抜かれたようでたまらなく恥ずかしい。
顔に血が昇って行くのが感じられる。
「いや…ただ身請けなんて言うから心配だったんだよ!」
「ありがと。心配してくれて。
でも桂はあたしが新撰組だって知ってて、完全に利用してやろうと思ってたみたいだから、そういうことは何にもされてないから大丈夫。」
まことはにっこりと笑って言った。
手の先に血が通っていく。
私は自分で思っている以上にこのことにとらわれていたのだ。
「新撰組って何で気づいてたんだろ?どこかで会ってたの?」
「総司と甘味食べにいって不逞浪士に襲われた時あったでしょ?あのとき川に飛び込んで逃げた男が吉田稔麿だったの。」
「えっ!?」
あの時の不敵な笑みは覚えている。
底冷えのするような笑い方をする男で、その殺気はすさまじいものだった。
あの男が吉田稔麿だったのか…。
「多分あたしからなんか引き出そうと思って罠を仕掛けたんだと思うけど、あたしはずっとすっとぼけ続けたからしびれを切らしたんだろうね。自分達から会合開いて大事な情報流しちゃうなんて。」
「どうやって長州の連中の動きを知ったの?」
「縁の下に潜り込んだの。」
「はあ!?」
まったくまことは私たちが思いもよらない行動をとる。
「それがばれて追っかけられて吉田と対決したんだよね。負けちゃったんだけどさ。その時土方さんが助けに来てくれたんだけどあたしがぼんやりしてたせいで川に突き落とされたの。」
「土方さんは…自分のせいだって言ってたよ。まことがいなくなってみんなには見せなかったけど死ぬほど心配してたはずだよ。あ、そうだ、これ…。」
私はまことに土方さんから預かっていたかんざしを渡した。
「!?なんでこれ総司が?」
「土方さんが自分を助けるために敢えてまことは川に落ちることを選んだって…。」
あの時の土方さんは長い付き合いの中でも見たことがないくらい動揺していて、弱弱しくて…。
ただただ痛いくらいにまことのことを心配して想っていることが感じられた。
「…そんなんじゃない。
土方さんは新撰組のこれからに絶対に必要な人だもの。
あたしはこれが一番だと思ってやったことだから。
でもこの簪があったから今あたしはここに居られるんだと思う。やっぱり斎藤さんのお守りは強力だよね。」
まことは茶化すように笑ってたけど、目に水っぽいものが溜まっていたことに私は気付いてしまった。
土方さんとまことの間には入り込む隙もないくらいの絆がある。
それは目には見えないけれど、強くて深いものなのではないだろうか。
さみしいけれど…まことが死んだと思ったあの暗闇の日々を思えば、たとえほかの人を想っていてもこうして笑っていてくれるだけでいい。
そうして私はまことを守ろう。
いつかこの恋が想い出に変わるまで、きっと守り続けよう。
「…さすが斎藤さんだなあ。まことを川の底からこうして無事に帰してくれたんだし。
きちんと肌身離さずもっていなよ。」
「うん!」
まことは私の大好きな輝くような笑顔を浮かべてうなづいた。
まことはまた強くなって帰ってきた。
辛くても苦しくても笑う。
だから私も笑うのだ。
この小さな背中に少しでも追いつけるように。