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虹に届くまで  作者: 爽風
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第七章 3.心の内、ただそれだけで

目が覚めると女の子がいた。

あれ?

この子さっきの。


「大丈夫ですか?」


女の子は泣きそうな顔であたしを覗き込んでいる。

汚れているけど、一重の切れ長の目でどちらかと言うとさっぱりした綺麗な顔の女の子だ。


「…はい。えっと…」

「うちはお夕言います。さっきは助けていただいてほんにありがとうございます。」


お夕さんは笑うと控え目なえくぼが見えてかわいらしい。


「そんな、たいしたことはしてないですから。」


あたしは小さく笑ったその時


ぐ~きゅるるる

あたしのお腹が盛大に音を立てた。


「「!」」

あたしたちは顔を見合わせ、同時に噴出した。


「ぷふふふ」

「うふふふ、すみません。今お食事お持ちしますわ。」


あたしはそのあとお夕さんからおかゆをもらってありがたく頂いた。

お粥はとろみも塩加減もちょうどよくて何も食べていなかったあたしの五臓六腑に沁み渡る。


「おいひい。」


ああ、何日ぶりのご飯!!

おいしい~。

あたしが久々に食べる食事に感動していると、玄庵住職がふすまを開けて入ってきた。

あたしは箸を置き、居住まいを正して住職に向き直る。

あたし、何にも話してないじゃん。

自分のこと、助けてもらったこの人に何も話していない。


「あのっ、すみません。身元も明らかにしないままずうずうしくお食事いただいてしまって。」

「いや、楽にしい。そんだけうまそうに飯食えるんなら大丈夫やろ。あんたの啖呵気分良かったで。

お夕を助けてもろておおきに。あの子は親亡くして身寄りがないさかい、わしの娘みたいなもんやで。」

「お夕さんに怪我がなくてよかった。…こちらこそ命を助けていただいて本当にありがとうございました。」

「まあ、あんたがただの女子やないゆうことは十分わかったけどな。」


話さなければ。

正直嘘を重ねるのはつかれてしまった。


「…あたしは水瀬真実と申します。

女子ではありますが…新撰組の隊士です。」

「新撰組…!!あんた、壬生狼なんか…。」

「はい。」

「…お夕の父親はな、壬生狼に殺されたんや。」

「…!」


あたしは息をのんだ。


「お夕の親父は尊王攘夷の思想をもった志士やったさかい…。

わしは、攘夷派でも佐幕派でもない。

ただの坊主やからな。けど、攘夷派も佐幕派も殺しあうばっかり、壊していくばっかりで、何えらそうに志ゆうてふんぞり返っとるんや、あんな無力な女子泣かせて何がお国のためやと思うとる。」


玄庵住職の顔には怒りが浮かんでいる。

そうなんだ。

今この瞬間にも志という名前の暴力のもとに多くの血が流れている。

そしてその蔭ではいつも女子や子供が泣いているんだ。

でも…


「…おっしゃることはごもっともだと思います。攘夷も佐幕も、長州も新撰組も暴力や血が常に付きまとっています。そのせいで泣くのはいつも何の力も後ろ盾も持たない女子で、それが決して許されるはずがない。

でもみんな本当に守りたいんです。日本の未来を。

攘夷派も佐幕派もどちらも同じように真剣に日本の未来を想い、未来の子供たちが、女子が泣かないような世の中を作るために、みんな鬼になって闘っているんです。どちらが正しいなんてことはないんです。ただその方法が違うだけで、目的は、志は同じなんです。もちろん全部の人間がそんな風に考えているわけでは無い、さっきみたいな下らない下衆男もいますけど。

お夕さんからお父様を奪ってしまったことは申し訳なく思います。

許してほしいとは言いません。

どんな理由であれ人の命を奪った私たちはそれを負っていかなければいけないと思うからです。

でも…今この瞬間にも精一杯日本の未来を想って、それぞれが正しいと信じるもの、その志のために命を尽くす人がいる、それによって、100年後、150年後、暴力や戦争なんかで、女子が泣かないような世の中が絶対に来るんです。

それは、それだけは信じてください。」


あたしは一気にしゃべると深々と頭を下げた。

新撰組も、長州派の桂も吉田も、誰もが日本の未来のために正しいと思うことのために命を燃やして走っている。

そのことは分かってほしいと思った。

加害者の勝手な押し付けだと思うけど。

ただ暴力に訴えているわけではないのだと。

ただそう思った。


「…あんた、なんとも武士のような女子やなあ。

それにまるで未来を全部知ってるような口ぶりや。」

「…!」


玄庵住職は太い眉を少し下げて穏やかな口調で言った。

あたしは思わず顔をあげて住職を凝視した。

住職の目は澄みきっていて何の迷いや揺らぎもない。

深い湖のような静謐がそこにはあった。


「図星か。なんやいろいろ事情がありそうやなあ。」

住職は苦そうにほほ笑んだ。


事情…。

未来からタイムトリップしてここにいること。

さらにあたしの本当の身体は現代にあるかもしれないこと。

あたしにもなぜここに居るのか、理由が分からない。

ただ、秘密を抱え続けることが辛くて、話してしまいたいと思った。

ここにきていろんなことがありすぎて、あたしは揺らいでいる。

あたしは目の前がぼやけていくのを感じた。

茶鼠の浴衣に涙がぽたぽた落ちていく。

頬を伝う涙をぬぐうこともせずにあたしは黙っていた。


「…。」

「わしはただの生臭坊主や。世の中の動きにはなあんもわからん。話してもなんの解決にもならんと思うけど、話して楽になることがあるんやったら言ってみ。秘密は辛いやろ。これもなんかの縁や。」


住職の岩みたいなごつごつした顔がほころぶとどっしりとした安心感が生まれる。

言ってもいいのだろうか。

この心の内を語ってもいいのだろうか。

言えば取り返しはつかない。

でも今ここに居るあたしはあまりにも頼りなくて、その存在感に自分の中で自信が持てない。

あたしは意を決して口を開いた。


「…あたし、この時代の人間ではないんです。

平成って言う今から150年も先の世から来たって言ったら信じてもらえます?」

「…150年先て、どうやって来たんや。」

「雷に打たれて…気付いたら壬生寺に居ました。それで新撰組の人に拾われてそのまま居付いちゃったんです。」

「命の恩人やから…新撰組は裏切られへんのか?」

「それは違います。あたしは彼らがとても好きなんです。人として。大好きなんです。

だから彼らの信じるもののをあたしも信じて、一緒に走っていきたいって思ったんです。」

「愚問やけど帰りたいとは思わんのか?」

「帰りたいですよ。はじめはずっとそう思ってました。今も…時々思います。

でも帰る方法もよくわからないです。

それに……今ここに居るあたしは本当に実体を持って存在するわけじゃないかもしれないんです。」

「どういうことや?よおわからん。」

「夢で、自分が死体みたいに寝かされていて、家族がすがっているのを遠くから見ていたんです。

でももしかしたらそれは夢というには鮮やかすぎて、本当のあたしの身体は150年後で、雷に打たれた時に意識不明になったままで…今ここにいるあたしは魂だけなんじゃないかって。」


あたしは川に落ちて死にかけたときに見た妙にリアルな夢を思い出していた。

そう考えるとつじつまの合うことが出てくるのだ。

たとえば生理。

ここにきて1年。

あたしは一度も生理が来ていないのだ。

初めは環境が変わりすぎたせいで体が順応していないからだと思っていた。

でも1年がすぎ、なぜだかわからないで不安があった時、

川に落ち、現代の病院での光景を見たのだ。

その時、もしかして自分はまだ向こうで意識不明になっているだけで、意識だけがこちらにあるのではないかと考え、そして、言葉にすることで

それは何の根拠もないのに、妙にしっくりきてあたしを納得させた。

…あたしの本当の身体は現代にある。

この事実はきっとゆるぎない。

なぜかわからないけど、妙な確信を持ってあたしの胸にすとんと落ちた。


「それでも、あんたは確かにここに体があるやないか?」

「そうですね。私にもよくわかっていないんです。

どうすれば戻れるのか、そもそも今この瞬間さえ自分の作り出した夢なんじゃないかって思ってしまうくらいですから。」

「…」


住職は何も言わずにあたしの肩をゆっくりと撫でた。

それは父親が子供をあやす仕草に似ていて、なんだか泣きたくなった。


「大丈夫や。あんたは…今、ここにちゃんとおるで。

きちんと身体もある。

夢やない。夢やないで。

それに、自分が信じて、好きや、ついていきたいと思える人に出会えたこと、それはとんでもなく幸せなことなんやで。

それだけやあかんか?

あんたは自分を信じてここでしたいと思うことを存分にやったらええ。

誰に遠慮することもないんや。」


視界がみるみる内にぼやけ、堰を切ったようにあふれて頬を伝った。


「う、くっ。」


喉の奥から嗚咽が漏れる。


「無理せんでええ。あんたが言うように、もしかしたらあんたの本当の身体は向こうの世界に残っとるんかもしれん。けど、今ここでわしと話しとるゆうことは紛れもない事実やで。」


とんとんと背中を優しくたたかれると、

その瞬間あたしは我慢することを放棄した。


「うわあああああああん」


その夜あたしは久しぶりに、否ここにきて初めて手放しで思いっきり泣いた。

自分の存在はあまりにも頼りなく、

夢か現実かもわからない。

でも、あたしは今ここに居ること、新撰組と共に有ることを幸福に感じている、

ただそれだけでいいのかもしれない。


住職はあたしが泣きやむまであたしの背中をずっと撫で続けてくれた。



三日後、身体がだいぶん元の調子に戻ってきたので、あたしは住職に墨染の法衣を借りて頭に笠をかぶり、大好きな仲間が待つ新撰組の屯所に戻るために、玄庵住職のお寺を後にした。

玄庵住職は辛かったら逃げてここに居てもいいと言ってくれたけど、あたしは丁重に断った。


あたしはどうしてか分からないけど、意識だけが切り離されて、タイムスリップしてここに来てしまった。もしかしたら夢かもしれない、幻かもしれない。

でも今ここでこうしていられること、

自分が信じて進んで行きたい、ついて行きたいと思える人達に出逢えたことはこの上なく幸せなことだ。

だからもういいんだ。

無理に歴史を自分が背負う必要は無い。

自分が正しいと思うことをすればいいのだ。

そう思ったら、今まで澱のように溜まってものが涙となって溶け出し、夏の太陽に煌めいた。

さあ、帰ろう。


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