第七章2.隠れ家
あたしは小さな禅寺のご住職の玄庵さんに助けられたらしい。
玄庵さんはたまたま通りかかった河原で、流木に引っ掛かっているあたしを見つけてくれて庵まで運んでくれたのだという。
本当に感謝してもし足りない。
玄庵さんはあたしを身投げした娘だと思っていたらしく、再び目覚めるとものすごい勢いで「この罰あたり!!」とぶん殴られる勢いで叱られた。
玄庵さんは頑固なお父さんと言った感じの人で、太い眉とごつごつした顔で怒るものだから、東大寺にある金剛力士像みたいだと思い、あたしは笑いを噛み殺した。
もちろん笑っている場合では無くて、吉田や桂にあたしが生きていることが知られれば、あたしが入手した情報はパアになるわけだから、あたしは華雪という人間が生きていることを隠さなければいけない。
あたしは身投げしたわけではなく、追われていて川に転落したのだと言い、あたしのことは周囲には伏せてほしいと頼み込んだ。
ご住職はあたしをじっと見て探るように見た。
その目は心のすべてを見透かすようなまっすぐな眼差しで、あたしは落ち着かなかった。
「追われてるって何したんや。女郎小屋から逃げたか?」
「…それは…」
「事情も言えんもんを置くわけにはいかん。わしらも自分の身を守らにゃいかんからな。」
その通りだ。
京の都は今、特に治安が悪い。
その中で佐幕派と倒幕派の攻防がいたるところで行われており、巻き込まれて面倒なことになるのは誰もが避けたいところだろう。
この人にはきちんと話すべきだ。
そのうえで、新撰組の人間をかくまうわけにはいかないと言われたら、自力で壬生の屯所まで戻るしかない。
「私は…」
あたしは真実を口にしようとしたその時、
「いやー!!」
「おとなしゅうせい!」
扉の外で、女の子の悲鳴。
「「!」」
ご住職とあたしは同時に外を振り向き、ご住職はおもむろに立ち上がり庵の外に出て行った。
あたしも後を追うために布団から起き上がろうとしたのだけれど、立ち上がった瞬間に立ちくらみでしゃがみ込み、仕方がなく這って扉の方へと動いていった。
扉の外ではご住職のどなり声が聞こえた。
「何しとんや!!そん子から手え離しや!!!」
「うるさい!坊主!!われらはお国のために崇高な志を持った志士ぞ。女子に勤めを果たせと言うに何が悪いのじゃ!」
ガタガタともみ合う音。
ちくしょう!
体がぐらぐらする。
動け!足を床につけると、床がスポンジみたいにふにゃふにゃで頼りなく感じた。
あたしは吐き気と立ちくらみをこらえて庵の戸を全身で引き開けた。
まぶしい!
夏の太陽が目に刺さり、眼裏が痛いくらいだった。
徐々に目が慣れてくると、小汚いいかにも小者らしき男が15,6の女の子の喉元に刀を突き付けている。
玄庵住職は女の子を人質に取られて手が出せないようだった。
地面が地震のようにグラグラ揺らいでいるように感じるのが気持が悪い。
あたしはふらつきながらも小汚いその男に近づく。
男はあたしの行動が理解できないらしく一歩後ろに引いた。
「近づくんじゃねえ!この女がどうなってもいいのか!」
「その子を離しなさい。」
なんていかにもなわかりやすい男。
あたしは少しも歩みを緩めることなく男に近づいた。
大丈夫。
怖くはない。
あんたなんかと修羅場のくぐった回数が違うんだよ!
「へッ、てめえみたいな汚ねえ女誰が相手にするかよ。退がれ!退がらねえと…!!」
男はまた一歩後ろに下がり、思い切り短剣を振り上げた
女の子は恐怖で目を閉じるのを忘れているようだ。
大丈夫よ。
こんな男に負けやしないから。
「あなたわかってないね。女を見た眼で判断すると、痛い目に遭うよ。」
あたしはにっこり笑うと地面を思い切り蹴り、間合いを詰めて刀を握る男の懐に飛び込んだ。
「!」
男は一瞬動揺し、身じろいだのを確認した。
あたしは男の腕をとり、女の子を横に押しやると、腕をひねって地面に押さえつけた。
男が取り落とした短剣を背中から男の首に当てる。
「志だか何だか知らないけど、自分より弱い相手を押さえつける志なんて、随分低俗だと思うけど?」
「なにを!たかが女子に!!女子なぞ子供を産むしか出来ぬ男の道具じゃ!」
あたしは腕をさらにきつく締めあげ、短剣を首に少し強く当てる。赤い筋が盛り上がりポトリと乾いた砂に血が落ちた。
自分の鼻先に落ちた血に真っ青になってる。
「男はその馬鹿にしてる子供を産むことすら出来ないし、女のお腹から産まれて、女の尻を追っかけ回してるあなたが言うのはかなり滑稽だって気がついてる?
それから一つ忠告すると、今あなたが置かれている状況を考えてもの言った方がいいと思う。
血の気が多いみたいだからここで、少し抜いてあげようか??」
「ひい!死にたくねえ!!」
男は地面に顔をすりつけ情けない悲鳴を上げる。
「あなたが死にたくないように、みんな死にたくないのよ。でもあたしは自分の守りたいもののためにはあなたの首を掻っ切ることくらい躊躇しない。」
あたしはその滑稽さに呆れ、冷酷に笑ってさらに短剣を傾けて鼻先に血を数滴落としてみる。
「もうしねえ!だからやめてくれ!!」
そう言うと男は失神してしまった。
なんて大げさな。
首の傷なんて皮一枚切れただけで血なんてほっとけばすぐ止まるのに。
そうこうしているうちに京の見回り組が来てその男を連行していった。
あたしはその後ろ姿を見送ると急に力が抜けてその場にしゃがみ込んでしまった。
ああ、くらくらする。
やっぱり病み上がりは力が出ないなあ。
「あんた、無茶しよるなあ。はよつかまり。」
慌ててご住職があたしに駆け寄り肩を貸してくれる。
「はあ、すみません。」
あたしは力なく笑うと、庵の中に戻るなりそのまま意識を失うように眠ってしまった。