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虹に届くまで  作者: 爽風
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第六章 7.降りやまぬ:斎藤一

小降りになったと思ったが、また先ほどから雨足が強くなったようだ。

前川邸の紫陽花が雨に打たれてその薄紫が滲んだように見えた。


「水瀬、まだ見つかんないのかよ。」


団扇で乱暴に扇ぎながら、原田さんが思いだしたように言った。


「さすがに…増水した川に落ちたんじゃ…」


藤堂さんが刀のつばを何ともなしにいじっている。


「おい、平助!めったなこと言うんじゃねえ。」


原田さんは膝を団扇で乱暴にたたきいら立ちながら言った。


「俺だって信じたいよ!まことはいい奴だし、何がどうあっても生きていてほしいと思うよ。でも…!」


藤堂さんは泣きそうになりながら言った。


「そんなこと口に出したら本当になるような気がすんだろ!やめろ!」


原田さんはいつになく厳しい顔つきで言った。

藤堂さんも原田さんも一本気な熱血漢という点では似ている。

二人とも腹の底にたくらみなどはできないのだ。

だから先ほどの幹部会での報告は衝撃的で、納得できぬものなのだろう。


「俺が許せないのは、何で水瀬を密偵として送りだしたかってことだよ。あんな危険なこと女子にさせるなんて。それに水瀬が居なくなっても顔色一つ変えずに淡々としていられるなんてあんまりにも冷たいんじゃないかって思うんだ。俺、土方さんが分からないよ…。」


藤堂さんは居てもたってもいられないと言った様子で眉根を寄せて言った。


「おめえら、やめろ。俺らがこんなこと言いあっていても何にもなんねえだろ。

…おい、斎藤、お前も黙ってねえでなんか言えよ。」


それまで黙って春画本を読んでいた永倉さんは顔をあげて、興味さえ無いことのように平然と言った。

ただ春画本は先ほどから同じ頁で、一枚もめくられていない。

永倉さんもやはり内心は穏やかではないはずなのだ。


「俺は…副長の采配は正しかったと思う。

女でなければ島原での密偵はできぬ。その先は水瀬の行動の結果だ。水瀬が女だから、危険だから行かせたくないというのは水瀬を隊士として見て居ないということのような気がする。もちろん水瀬は仲間だから戻ってきてほしいが、無事を祈るしかできまい。」


本当の気持ちを言えば、藤堂さんの気持ちに近い。

なぜ水瀬を密偵として島原なんかに送りだしたのか?

なぜ俺は守れなかったのか?

だがそれは俺の私情だ、

ひとたび出してしまえば俺の中の何かが壊れてしまう気がした。


「俺も斎藤に一票かな。」


永倉さんは静かに言った。


「俺は水瀬を見くびっているつもりなんかないよ。ただ、仲間として、水瀬が心配なんだ。」


藤堂さんは不満げに言った。


「平助の気持ちもわかるぜ。だが、あいつは一隊士としてここにいたかったんだろ。

あいつ自身この任務を受けたのは隊士としての居場所を探してたんじゃないのか?

隊士が任務中にそれを全うして死んだなら、その志を継ぐのが武士だろ。

泣いてても水瀬が戻るわけでも、なんの解決にもなんねえからな。」


永倉さんはあまり多くを語らぬ。

だが、たまにその口からでる言葉は常に物事の真を突いているようでハッとさせられることもしばしばだ。


「俺はそんなに簡単には割り切れないよ。」


藤堂さんはまだ納得できぬようだ。


「まあな。土方さんも、割り切ってんじゃねえよ。

ただ自分の感情を殺すことにあの人は長けすぎてんのさ。

一切の私情を殺して鬼になることができんのさ。

ま、俺には真似できないけどな。」


諭すように永倉さんが言った。


「それでもやっぱり納得できない!俺、道場に稽古に行ってくる!

佐之さん、一緒に来てよ。」

「ああ?わかったよ。平助。」


原田さんはそれとなくこちらを見て大丈夫だとでも言うように軽く手を挙げて、藤堂さんの後を追って行った。

原田さんは熱血漢だが、やはり大人だ。

馬鹿騒ぎのなかでも確実に人を見ている。


✳︎


確かに副長は淡々としていた。

水瀬が密偵として島原にいたが、桂小五郎と接触して身請けまでこぎつけ、桂邸に潜入することに成功したと。幹部のみを集めて語ったのはちょうど一か月ほど前のことだった。

そのとき皆「あの水瀬が?」と驚きを隠せぬようだったが、沖田さんはずっと下を向いていてその表情は見えなかった。


そしてつい先ほど、土方さんは幹部を招集して潜入がばれて水瀬が逃げる途中で吉田稔麿につかまり、土方さんの助けも及ばず、川に落とされ行方が分からぬと、報告したのだ。

皆は息をのんで水瀬の行方について聞きたがったが、

土方さんは「たかが隊士一人行方不明になっただけでおめえら幹部が揺らいでどうする!」と一喝した。水瀬のことにはその後触れず、水瀬が書き残したという情報について説明した。

街でそれとなく機会があったら、それに連なる情報を探れと任務を言い渡し、幹部会は解散になった。

その副長の対応の冷たさに、藤堂さんは不満と怒りを感じているのだろう。


「あいつはまだまだガキだからなあ。

まあ、しかし、お前が仲間なんてそんな言葉を使うのは意外だったぜ。斎藤。」


道場へ飛び出していく藤堂さんを見送りながら永倉さんがぽつりとつぶやいた。


「何がだ?」

「斎藤は誰とも距離を置いてるっつか、一線引いてただろ。だけど水瀬が来てからお前は変わったよ。」

「…」


俺は何も言うことができない。

確かに俺は水瀬が来てから武士として揺らぐようになってしまった。


「なんだよ。そんな怖い顔すんなよ。ほめてんだぜ。」

「なにがほめ言葉なものか。」

「俺らは結局一人では何にもできねえだろ。仲間同士信頼し合ってねえとでっかい仕事はできねえし。今のお前は血が通ってるっつうか、うーん、背中を預けて戦える存在っつうかな。やっぱ話しててこそばゆいな。

とにかくお前は武士としても男としても器がでかくなってると思っただけだ。

ああ、それより、斎藤お前、水瀬に惚れてるだろ。」


急に永倉さんが俗物に見える。


「…なんのことだ?」

「ずっと前に、水瀬と小物屋に行ったことがあったろ。その時言ってた惚れた女ってのは水瀬だろ。

まったく、総司と言い、お前と言い、わかり安すぎだぜ。」


永倉さんはさも面白いとでも言うようにごろりと寝ころがって上目に俺を見上げながらニヤリと口の端を上げた。


「…未熟だとでも言いたいのだろう?」

「ああ。ガキだな。」

「!」

「俺が言いたいのは、少しくらい揺らいでもいいんだってことだぜ。

恋の想いを武士として抑え通すのは辛れえだろ。揺らいだら俺ら仲間が支えてやるからそんなに無理すんなってことよ。

つまりはガキはガキらしく素直になれっつうことよ。」


にやり。

永倉さんは無精ひげをいじりながら俺を見ることなく笑った。

不覚にも永倉さんの言葉に「揺らいで」しまった自分が悔しい。

まったく嫌な男だ。

俺は認めぬ。

自分が揺らぐことを、認めはせぬ。


「…いらぬ世話だ。」

「ふーん、そうか。」


永倉さんはまた春画本に、俺は降り止まぬ雨に視線を移した。

先ほどよりもさらに強くなったようだ。




水瀬が密偵としてここを出てから3カ月。

俺の心は水瀬と出会う前の平静を取り戻しつつあった。

水瀬に出会う前は、武士としての矜持を持ち、剣の稽古にいそしみ、任務を全うすること、それがすべてであった。何ら揺らぎもなく生きていけるはずだった。

なのに、水瀬という存在が現れてから、俺は揺らぐようになった。

水瀬の一挙一動に自分の心が共鳴し、感情が起伏する。

水瀬という人間のことが気になり、目で追わずにはいられない。

なのに、話すこともかなわぬ。

それが恋だとは分からなかった。

なのに、己が水瀬に惚れている、そう自覚した瞬間、自分の感情がうまく抑えられなくなった。

武士の恋は忍ぶが本道。なのに未熟にも俺はあっけなく決壊。想いをぶつけた。

水瀬は驚いていたようだが、しっかりと向き合い、

そして想いにこたえることはできぬと断ったけれど、そのあとも何も俺に対して接し方を変えたりしなかった。

それがありがたく、一抹のさみしさもあったが、このまま仲間として水瀬と過ごせるならば、それが一番よいと思っている。だから水瀬がもし、このまま戻らなくても俺は揺らぐことなく武士として、仲間のあいつの遺志を継ぐのだ。

そう思うのに、心が水瀬を求める。

水瀬のあの笑顔をもう一度見たいと、心が求めてやまないのだ。

俺は自分が思っている以上に未練がましい情けない男なのだな。

俺はそんな自分に自嘲するしかなかった。





「斎藤さん」

夕餉のあと、沖田さんから声をかけられた。

「なんだ?」

「今から試合ってもらえませんか?」

「…いいだろう。」


夏の道場は汗と埃の混ざった独特なにおいがした。

去年、水瀬が剣を持つことに悩み、泣いていたのもこんな時期だったように思う。

水瀬、今、おまえはどうしているのだ?

生きているのか?

頼む、どんな姿でもよい。

生きていてくれ!


カン、カン!


木刀がぶつかり合う音。

「セイ!!」

「ヤア!!」

互いの気合い。


沖田さんの剣は俺の頬を掠め、

俺の剣は肩を掠める。


聞こえるはただ互いの息遣いのみ。


今日の沖田さんは殺気に満ちている。

いつも剣を握れば人が変わるのだが、今日はまた違った殺気だ。


一瞬の間ののち、

俺の剣先が沖田さんの木刀をはじいた。


互いに礼をしてから防具をとる。

沖田さんは顔を伝う汗をぬぐうとふと小さく笑った。

「ふう、やっぱり斎藤さんは強いなあ。ありがとうございます。」

「…礼には及ばん。」


俺たちは道場の隅に並んで腰をおろし何をしゃべるでもなくただ静寂の中に身を置いていた。

時折降りやまぬ雨音が雨樋にあたり、タン、トンと間抜けな音を立てるのをただ何ともなしに聞いていた。

不意に沖田さんが言った。


「…斎藤さん、まことは生きているんでしょうか?」

「わからん。ただ、生きていればよいと思う。」

「…そうですね。」


絹糸のような小雨が降りしきっている。

永遠に雨はやまぬように思われた。


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