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虹に届くまで  作者: 爽風
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第六章6.闇深き川:沖田総司

まことが行方不明。

私は全身の血が逆流し、目の前が真っ暗になる。


なんで?

まことがそんな目にあわなければいけない?

なぜ、私は何もできなかった?



桂小五郎に身請けされて偵察に入ったのは今から1カ月ほど前。

警戒厳しい屋敷には山崎さんですら近づけず、遠巻きに中の様子をうかがうことしかできなかったらしい。

そしておとといの夜、あれはずっと続いていた雨が上がり、久しぶりに月が顔をのぞかせた穏やかな夏の夜だった。

夜、九つ。

月も傾きかけ、屯所では皆が眠りについていた。

私は虫の知らせか眠ることができずに道場で剣をふっていたのだけれど、血相を変えて、土方さんがいつになく慌てた様子で、副長室から駆けだしていくのを見かけた。

私は嫌な胸騒ぎがして、そのあとを追った。

土方さんがあんなに取り乱す様子を初めて見た。

髪はほつれて、額には汗が浮かび、目だけは異様にぎらついていて、それは地を力強く蹴りあげて走っていくその姿はさながら鬼神のようで途中で見失った。


散々ゆくあてもなく探し回り、五条大橋まで来た時、立ち尽くす土方さんを見つけた。

ぼんやりと、刀を鞘に戻すこともなく、自らの腕をじっと見つめるだけだった。

「土方さん」

私は意を決して土方さんの肩をたたくと、

土方さんは私の気配に気づきもしなかったらしく、驚いたように振り返った。


「!…総司。」

「土方さん、何があったんです?」


土方さんは刀を鞘に納めると、左手に持っていたものを私に渡した。


「!これは…!まことの…!」


まことが斎藤さんからもらった簪。

その簪の柄の部分には血が付いていた。

そしてよく見れば土方さんの左腕からもかすかに血が出ている。

刀で斬られたものじゃない。

この簪で?

一体どういうことだ?

私は何があったのか全く理解できないでいた。


「どういうことなんですか!?」

「…俺の手を離させるために。ちくしょう…!」


あの時の土方さんの声は確かに震えていた。どんな時でも冷静な副長が、怒り、そして途方に暮れていたのだ。

「え?」

私が聞き返すと、「いや…何でもない。」と言い、土方さんは一瞬目を伏せると傷のある左腕を右手で一瞬力を込めて握り、目を開けた。

その表情はまるでいつもと何も変わらないように見えた。

土方さんはその瞬間で何かを飲み込んだのだ。


「土方さん…まことは…」

「水瀬は…川に落ちた。俺が手を離したからだ。」

「な…!」

「吉田稔麿とやりあって一瞬の隙を突かれた。俺の不覚だ。」

「土方さん!」


私は土方さんの肩をつかむ。


「総司。水瀬が落ちる瞬間に奴らの情報を残した。あいつが命がけでとってきた情報だ。

何が何でもつきとめる。屯所に戻るぞ。」

「…土方さん!!待ってください!」

「総司、俺を恨め。」


振り向いた土方さんの顔はいつもと変わらない鬼の副長の顔だった。





私は午後の巡察を終えると、五条大橋から川を下りながら、何かまことの手掛かりはないか河原を歩いている。

川はだいぶ水かさも減って水の流れも緩やかになってきている。

とはいえ、まだ水も濁っていて、流木やら、いろいろなものが流れてきているのが目に付いた。

あの川に落ちたら助かる可能性は万に一つもない。

あの日は前日まで降りつづいた雨のせいで水位が上がっていたし、流れも早かった。

落ちれば川底の尖った岩で身体を打ち付けて…

そんな暗い声が私の心に響くのを私は頭を振って振り切ろうとした。

きっと生きている。

まことは、きっと生きている。

私は近くの人に聞き込みをしたけれど、まことの行方は杳として知れなかった。


✳︎


土方さんは何も言わない。

あの夜、何があったのか測るすべはない。

けれど、推し量るに、まことは土方さんを守るために自分から犠牲になることを選んだんじゃないかと思う。

あの夜土方さんは吉田と戦っていたという。

土方さんは川に落ちかけたまことを助けるために、まことの手をつかんでいたとしたら、土方さんは片手で吉田と戦わざるを得ない。片手で劣勢に追い込まれてる土方さんの身を守るために、手を離させるために、腕にあの簪を突き刺したとしたら…。


そう思い至った瞬間私は全身に鳥肌が立つのを感じた。

いうなれば強烈な嫉妬、そして絶望。

ここまでまことが命をかけてまで土方さんを守ろうとしたその事実に、

遊女として密偵にさせ、身請けを許しても、なおこんなにも想いを寄せられる土方さんに私は嫉妬し、そしてそのわずかに入り込む余地さえない想いの深さに絶望した。

土方さんがうらやましかった。

妬ましかった。

そして一瞬、まことがこのまま帰らなければ

自分がこんな思いにとらわれることもなく、

土方さんに昔のような純粋な尊敬と敬愛の思いで接することができるのに、

そう考えた自分に吐き気がした。

自分の中の黒くてドロドロした感情が着実に得体の知れぬ生き物のように、いつか自分を突き破って表に現れ、自分はそれに支配されてしまうかもしれない。

そしてまことの安否がしれぬのにそんな風に嫉妬する自分に嫌気がさした。

私はいつからこんなにも情けない、未熟者になったのだ。

沖田総司、お前は何者だ!

私は武士だ。

ならば、忍べ。

醜い感情に、恋愛というその狂気に支配されるな!




あれから土方さんはとりつかれたように、桂小五郎と吉田稔麿について山崎さんに探らせている。

あの夜あんなに揺らいだ土方さんを初めて垣間見た。

なのに、次の瞬間には新撰組副長としての顔に戻って、揺らぎなど一分もそこにありはしなかった。

土方さんは、きっとこの先も、まことが戻らなくても、顔色一つ変えずに新撰組の鬼であり続けられるのだろう。

あんなにも感情を殺し、鬼に徹することができるのだ、あの人は。

それは果てしなく孤独で暗い、修羅の道。

土方さんもまことのことを少なからず想っているはずだ。

けれどあの人は武士だから、

恋よりも愛よりも、その誠のためにその想いを一生涯心の奥底に封じ込めて

決してその想いを表に出すことはなく、感情を殺せることだってできるだろう。


まことに逢いたい。

逢いたくない。

逢いたい。

もう一度、あの笑顔を見たい。


私の心にはドロドロとしたあらゆる思いが交錯してまるで、濁流のように心をかき乱していた。

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