第五章 9.春の小川、虎穴にいらずんば…
「華雪、仙吉はんきはったえ。」
「へえ。」
あたしも京ことばがだいぶん板についてきたと思う。返事も自然に出てくるようになった。
ちなみに仙吉さんとは山崎さんのことで、華雪に惚れこんで通ってくる商家のどら息子というわかったようなわからんような設定になっているのだ。
「えらいひさしぶりやなあ。華雪」
あなたのどこにそんな愛想があったんですか、と言いたくなるようなデレデレの笑顔で山崎さんは置屋を訪れた。
ちょっとだらしなく見えるように朽葉色の着物を着崩して、髷にもほつれが見える。
確かにどら息子だわ。
ほんとにこの才能にはびっくりしてしまう。
カメレオンみたいにその役になりきって溶け込んで、誰も気づかない。
「仙吉はん、さみしかったえ。」
「元気やったか?」
「ぼちぼちどす。」
「!」
あたしの近況報告をするのだけれどもちろん直接新撰組の話なんかできないから「元気やったか?」
と聞かれ「へえ。」と言えば何も動きがない証拠、「ぼちぼちどす」と言えば探っていたものに何か動きがあったことを意味する、あたしたちだけの合図なのだ。
「ぼちぼちか。」
「えらい長いこと仙吉はんきいへんかったから、なんやほかの旦那はんについてこ思ったわ。」
”長い”、”ほかの旦那”、これは長州の男に接触したことを伝える合図。
「…そら悪かったなあ。どや、華雪の好きなとこ行くか?」
「ホンマに?せやったらうち甘味屋さんに行きたいなあ。」
「おっしゃ、連れてったる。」
というわけで、あたしたちは同伴みたいな感じでおかみさんに断って控え目な薄紅色の着物に着替えてお店の外に出た。
「たぬきめ。ホンマ化けよったなぁ」
置屋を出ると山崎さんはさも面白くてたまらないといった様子で、噴き出した。
たしかにここに来る前に下着一丁で首を締め上げられて怒られた時に比べれば、信じられない変貌だろう。
「仙吉さんにだけは言われたくないです。」
仕事とはいえ、こんな風に山崎さんにべたべたするなんてあたしは激しく不愉快な気分になる。
「どこに目ぇがあるか分からんで、もっとしなだれかかった方がええんちゃうか?華雪。」
ニヤリと意地悪そうに笑いかける。
この男!
あたしは見えないように山崎さんの二の腕を思いっきりつねり上げる。
「いっ!何するん。」
「誰に狙われるかわからへんねやから気をつけてなあきまへんえ。仙吉はん。」
あたしはわざとらしく上目遣いでニヤリと毒をのせて笑ってやった。
ふーんだ、いい気味。
しばらく行って、あたし達は鴨川の河原を並んで歩いていた。
ここまでに来るまでにすれ違う人があたしをじろじろ見ていくのが何とも居心地が悪い。
女らしい恰好は似合わないんだろうか。
大女って思われてるのかしら。
確かにここにきて気がついたけど、平成の時代では平均的か少し小柄なあたしもこの時代では、女性にしてはかなり背が高い方なんだ。
新撰組の人たちは大柄な人が多かったから気がつかなかった。
あたしはいたたまれない気分でうつむいて山崎さんにベタベタしながら、足早に進んでいた。
周りからみれば、あたしたちは恋仲に見えるんだろうか?
あたしの隣が山崎さんっていうのが、なんとも残念な限りだけど。
あたしは山崎さんが聞いたらどつかれそうなことを考えながら久しぶりに周りの景色に目をやった。
遠くまで山々は春霞にけぶり、川までも春の装いをしているようで、石の間から伸びる草までも萌えるような生命の息吹に満ちている。
不意に一陣の風があたしの耳元を掠めていき、その春風にまで、柔らかくて、温かい春の装いが感じられた。
風に乗って桜の花びらがどこからか運ばれてきて、あたしはもうこちらにきて一年が過ぎようとしていることに気付き、愕然とした。
みんなどうしてるの?
元気でいる?
あたしはなんとかこっちでやってるよ。
心配しないで。
この春風に乗って、あたしの想いが現代にまで運ばれたらいいな、そんな夢みたいなことをあたしは思っていた。
「で、誰に会ったん?」
山崎さんは、ふいに低いトーンの声色で、ぼんやりしていたあたしを現実に戻す。
感傷に浸っている場合じゃない。
あたしにはやらなければいけないことがあるんだから。
「桂小五郎と吉田って人です。」
あたしも笑みを浮かべたまま小声で言う。
「!」
「なんかの計画が進んでるって。それが何かは結局わからなかったけど。」
「そうか。桂小五郎は攘夷派の中心人物やし、吉田稔麿は過激派で要注意人物や。」
「吉田稔麿って言うんですね。あの人、あたしもしかしたらどこかで会っているかもしれなくて…。
なんか嫌な目つきが気になりました。」
「男装してた時に会ってたかもしれへんちゅうことか。まあ、雰囲気も全然違うし、よっぽど大丈夫やと思うけどな。」
「そうだといいんですけど。ああ、あと桂小五郎に身請けを進められました。」
「なんやて!?」
これにはさすがの山崎さんも声が大きくなる。
しい!とあたしは窘めて報告を続ける。
「新しい日本を作るために一緒に行こうって。」
「それで?」
「そんな国見てみたいなぁって答えました。危険だけど絶好の機会かと思って。ただまだはっきりとはお答えしていません。女将さんにも聞かないといけないって言ってあります。」
「危険すぎるわ。相手の意図も分からんで。罠かもしれんやろ。」
「ええ。だからこそです。何かを企んでいるのは事実ですから。それを知るためにはやっぱり危険を侵すことも必要かと思って。」
「お前は吉田に顔知られてるかもしれへんねんで。」
「あたしが向こうの罠に気付かずにのこのこ乗り込んで行ったら、向こうは安心して尻尾を出しそうじゃないですか?ああ、こいつは何にも分かってないなって。」
「!」
「もし、面倒なことになりそうだったら、その時は大丈夫です。裏切り者としてあたしを斬ってください。そのくらいの覚悟はしていきます。」
「お前…。何でそこまで…。」
「新撰組が好きだから…ですかね。
それに、これは私にしかできない任務です。」
「…分かった。お前がそこまで言うならやってみ。
ただ殺されるかもしれへんし、俺らが殺すことになるかもしれん。その覚悟でやるんやぞ。今までみたいに、俺も接触できん。全くの一人になるんや。」
「…はい。」
どうしてここまでやるの?
そう聞かれれば”みんなが好きだから”としか言いようがない。
新撰組に拾われて恩義があるっていうのもなんか違う。あたしはただ本当にあの場所が好きなのだ。
だから信じてもらうため、認めてもらうため、この任務にかけているのだ。