第四章 13.かの人からの手紙
朝起きると屯所が妙に騒がしかった。
「…だ!」
「早く…ろ!」
切れ切れにしか聞こえなかったけれど、”芹沢”という言葉は端々に聞こえた。
あたしはついたての向こうに居る総司に声をかけた。
「総司?起きてる?」
返事は返ってこないので、着物を整えてついたての向こうに回ってみると
布団がきれいにたたまれていて、総司の姿はそこにはなかった。
その時、なぜかあたしは直感した。
否、気付かないふりをしてたのかもしれない。
先日新見錦が切腹した。
理由は士道不覚悟、どういうことかよくわからなくて平助君に聞いてみると、要するには武士としてあるまじき行動をしたってことらしい。
新見錦は芹沢鴨の腹心。
その人が死んだとなれば
次は芹沢先生の番なのかもしれない。
もしかして昨日がそうだったんだろうか。
昨日が歴史上の芹沢鴨暗殺の日だったんだろうか。
あたしは居てもたってもいられなくて部屋を背に走り出した。
*
芹沢鴨は暗殺された。
お梅さんも一緒に。
どうやら表立っては賊に侵入され、暗殺された、ということになっているらしい。
でもあたしは知っている。
本当に芹沢先生を殺したのは、土方さんや総司たちなんだということを。
だからあたしはまともに顔を見られなかった。
目が合いそうになると、あわててそらしてしまった。
お梅さん、やっぱり一緒に逝ったんだ。
なぜか、納得してしまった。
きっとお梅さんはこうなることを予想していたに違いない。
あたしは…こうなることを知っていたのに…
ずっと気付かないふりをしていたんだ。
罪悪感を感じないために…
あたしは臆病者だ。
自分を守るために芹沢先生やお梅さんを犠牲にしているのだから。
どうして土方さんたちが芹沢先生を暗殺しなければならなかったのかはよく分からない。
ただ、そうしなければいけない事情があったのだろう。
でも…芹沢先生たちも人の命であり…
どうして仲間同士で殺し合いをしなければいけないのだろう。
あたしは…知ってて何もできなかったんだ、ううん、何もしなかったんだ。
自分が当事者になりたくなかったから…
あたしは胸を押さえてしゃがみ込んだ。
あたしには、泣く資格もない…
*
それからしばらくして芹沢先生の追悼式も終わり、徐々に屯所は平穏を取り戻しつつあった。
ただあたしはずっと苦しかった。
あたしは知っていたのに、何もできなかった。
そしてこれからもこんなことがずっと続いて行くのだろう。
池田屋事件、総司の結核…
本当にその通りになってしまうのだろうか?
みんな死んじゃうのだろうか?
あたしはただ、何もできない自分にいら立ちながらみているしかできないんだ。
帰りたい。
現代に。
逢いたい。
家族に。
どうやって?
わからない。
沈んでいたあたしをしり目に、土方さんは新撰組をいよいよ強固に結束させるために局中法度を作った。土方さんはそれまで以上に眉間にしわを寄せ、笑わなくなった。
その姿は無心になることで、何かを忘れようとしているようだったし、その背中は周りを拒絶しているように見えた。
自分の気持ちを諦めようと決めた筈なのに、それでも土方さんを目で追ってしまう自分がいて、気になってしまっていて、そんな自分に呆れて、嫌悪感さえ感じる。
どんなに一緒にいたくても、土方さんにはきっと今も心を占める人がいる、そしてあたしはこの時代にはいてはいけない人間であり、ここに置いてもらう以上絶対に好きになっちゃダメなんだ。
こんな気持ち、ここで生きていくには邪魔なだけなのに。
いつまでもぐちぐち、馬鹿だ、あたし…。
*
その日は朝からよく冷え込み風はすっかり冷たくなっていた。
掃除に使う井戸の水もすっかり冷たくなっていて、雑巾を絞る手がかじかむくらいだった。
「水瀬、おまえに文がきてんぞ?」
隊士の村田さんが声をかけてくれた。
「私にですか?」
あたしにここ以外に知り合いは雪乃さんと、吉乃ちゃんくらいしかいないけど、それならそう言ってくれるはずだし…誰だろ?
「なんか菱屋のお梅とかいう女の知り合いだって言ってたけどおまえ知ってんのか?」
「お梅さんは何度かお話したことがありますから、知ってますけど、そういう知り合いの方は知りませんよ。」
誰だろう?お梅さんの知り合い?
「まあ、とりあえず危なくはなさそうだから受け取っといたぞ、はいこれ。」
村田さんはあたしに封がされた少し厚みのある手紙をよこした。
「どうも。ありがとうございます。」
あたしは掃除を手早く片づけると、縁側に座って手紙を開いた。
!
それはお梅さんからの手紙だった。
お梅さん、こんなきれいな字書くんだ。
あんなにちゃきちゃきした江戸っ子だから、もっと豪快な字なのかと思ったら、すごく線が細くて柔らかい女文字だったから少し意外だった。
もしかしたら、お梅さんの本質はこういう柔らかい穏やかな女らしさにあるのかもしれない。
あたしお梅さんのことも、芹沢先生のことも何も知らないままだったな。
水瀬真実様
この文を読むとき、あたしはもうこの世にはいないでしょう。
多分芹沢先生と一緒に死んでいるから。
芹沢先生がたぶん死ぬと言うことは以前から薄々感じていました。
あんな傍若無人な振る舞いがいつまでも続く訳はないと思っていたからです。
それがいつかいつかと怯えていたけれど、それは先生が死ぬことに対する怯えではなく、自分が一人になること、遺されることへの怯えでした。
以前まことは私と芹沢先生との関係を長恨歌の中の”比翼と連理の約束”だなんて言っていたけれど、芹沢先生が居なくなれば、私も生きていられないという点ではあながち間違いじゃない、とそんな風にあなたが言ったことを今思い返しているところです。
今あなたにこんな文を書いているのは、私が死んだとき、誰かに私という人間の人生を知っていて欲しい、と思ったからです。
いざ死が近づいてくると、そんな風に無性に感じてしまったので、あなたにとっては至極迷惑なことだとは重々承知ではありますが、どうか聞いてください。
そしてすべてを読んだらこの文は燃やして下さいますようお願い申し上げます。
あたしは物心ついたとき、女郎小屋にいました。
親の顔などは知らずに育ち、そこで泥を啜るような生活をずっとしてきました。女同士の嫉妬と折檻と空腹と今思い出しても、苦々しく感じる程、地獄でした。
そこでは、男に抱かれることになんの疑問もありませんでした。男を騙し、裏切ってきたことに何の後悔もないのです。あたしにとって生きるとはそういうことだったからです。
散々男を手玉に取って裏切り続けてきたあたしが生涯で唯一恋に落ちた相手は菱屋の旦那でした。
優しくて、商売下手で、どうしようもない男なのに、あたしは惚れてしまいました。
自分が騙されていたことに気づくまでに早々時間はかからなかったけれど、あたしはそれでもよかったのです。
本妻が別宅に居ることを知って、別れるように詰め寄っても、のらりくらりと言い逃ればかり。ずるい人でした。でもあたしは旦那のためならなんでもできたんです。
それが恋の狂気であり、愚かさなのでしょう。
そんな頃に出会ったのが芹沢先生です。芹沢鴨という人間に初めて会ったとき、強烈なまでの孤独を感じ、惹かれるのを感じました。
菱屋の旦那があたしを芹沢に対する盾にして店を守ろうとしたのを知り、あたしは絶望しました。でも芹沢先生に無理やり抱かれた後、憎しみと共に、芹沢という人間の仄暗い負の部分をもっと見たい、そんな嗜虐的な気分にさえなったのです。
以前あたしはまことに芹沢先生とは憎いけど離れられないと言いましたがあの言葉に全く偽りはありません。
強いて言うならば菱屋の旦那とは一緒に死ねないけれど、芹沢先生とは一緒に死ねる、否、死にたいとさえ思うのです。
あたしたちは欠けた心を埋めあって、どこまでも闇に堕ちていった、だから死にたいと思ったのでしょう。
これがあたしの下らない恋と、愚かな人生です。
だから今私は芹沢先生と共に殺されていても、後を追っていたとしても、どちらにしても満足はしていないれど後悔はしていません。
まことにこんなことを聞いてほしかったのは、あなたがあたしに似ていると思ったからかもしれません。
あたしに似ているなんて嫌かもしれないけど、不器用で、死ぬほど意地っ張りで、うまく世の中を渡って行けない所はすごく似ていると思います。
この前、一緒にご飯を食べた時、まことがずいぶん大人の目をするようになったのを感じ、びっくりしてしまいました。
恋でもしているのですか?
まことのことだから周りへの迷惑を考えて、辛くてもすべてを飲み込んで苦しくても人前では笑うのでしょう。
私が言うことではないですが、それが不憫で、心配でなりません。
まこと、泣いていいのです。迷惑をかけていいのです。
あたしと決定的に違うとこ、それはあなたの周りにはたくさんの仲間がいるのだから、きちんと甘えなさい。意地っ張りのまことには難しいのやもしれませんが、あなたの周りの男たちはあなたがどんな事情を抱えていても、どんな苦しみをもっていても、受け入れてくれる器は持っているはずです。
甘えて弱みを見せる事もまた信頼の一つの証ですよ。
それから大人の女子なのだから、きちんと化粧をして、いい着物を着て、いい髪飾りをつけて、綺麗でいなさい。
そして誰のためでもなく、自分に胸を張れる恋をしなさい。
あたしがまことに着てほしい着物を、あたしの知り合いのお宮という女性にこの文と一緒に託しました。まことのことは話してあります。
余計なおせっかいと笑ってください。
最後に、芹沢先生が、まことと出逢い、自分の誠を信じられた、幸せな未来の夢のために笑って逝けると言っていたことを伝えます。
あたしも、自分と同じくらい気が強くて、強情で、向こう見ずな女に会えたこと、すごくうれしかったです。
いろいろ世話になりました。
梅
正直文字同士がつながっていて大体でしか読めないけど、こんな感じで書いてあるのだと思う。
手紙に涙がパタパタ音を立てておち、しみを作った。
ほんと、最後の最後まで嫌みな人。
でもまっすぐな人。
そして、悔しいくらいいい女。
あたしは手紙を抱きしめて嗚咽した。
温かい涙は頬を伝い、心の澱まで洗い流すような気がした。
お梅さん、あたしあなたが嫌いだった。
でもすごく好きだった。
ねえ、芹沢先生の孤独を分かち合えるのはやっぱりお梅さんだけなんだと思うよ。
どこまでも一緒に、離れることなく、死の国までも一緒に行きたいと思える。
そんな激しい思いはやっぱり恋なんじゃないのかな。
でも意地っ張りのお梅さんはやっぱり認めないのかな。
ねえ、お梅さん、あたし、今好きな人がいる。
それは別の人がきっと好きで、その人の心の中にあたしの居場所はかけらもないのかもしれないけれど、でもすごく好きだよ。
そしてあたしはこの時代にはいてはいけない未来の人間で、だからこそ、この気持ちは絶対に伝えないし、この胸に収めるつもりだけれど、でもお梅さんの言葉嬉しかったよ。
自分に胸を張れる恋、
そんな恋にするよ
お梅さんの着物、今はまだ使えないけれど、
きっとそれを使う時は
お梅さんが悔しがるくらい
いい女になって見せるから。
たとえどんなふうにこの先運命が進んでも、
あたしはあたしに恥じない恋を、生き方をすると誓います。
だから、見ていてくださいね。