第四章 11.露見、見果てぬ夢
一夜明け、あたしはいつも通り、朝食の準備と朝稽古を済ませた。
何も変わらないけど、でも決定的に違う。
総司もいつもと変わらないように努めてくれていたけど、きっとあたしたちはこのままではいられないのだろう。
まさか総司に見られてたなんて。
勘違いキスに自惚れてただけでも恥ずかしいのに、ダメージが二乗になった感じ。
総司に言ったみたいに本当に土方さんをなんとも思っていなかったら、拒絶することができたはずなのに、でもあたしはあのキスを喜んで受け入れてた。元彼とした時は全然嬉しいなんて思ったことも無かったのに、会って間もない土方さんの酔っ払いキスを喜んでしまうなんて、自分がなんだかとてもいやらしい生き物になった気がしてしまう。
でもあたしはあの時どうしようもなく甘くて幸せで自分の気持ちに痺れて呑まれてしまった。
土方さんが好き…という気持ちに。
総司が言ったみたいに新選組の大事な時に得体のしれない女が幹部と懇意になるなんて、絶対隊士から不信感が生まれる。あたしの望んだ居場所はそんなんじゃない。
あたしの気持ちのせいでみんなに迷惑をかけることなんてできない。
自分の感情に呑まれてあんな行動するなんて、もう絶対しちゃダメだ。
だから自分の気待ちを殺そう。
今は土方さんが好きけど、でもやめよう。
きっと時間が経てばきっとなんとも思わなくなるから。
それまでは自分の心に秘めて、やり過ごしていこう。
辛い時間もあるかもしれないけど、でも大丈夫だ。
あたしと新撰組のみんなの間には150年という時の壁が、歴史の壁が立ちはだかっている。
初めから、わかっていたことだ。
だから悲しくなる必要なんてない。
あたしはここにタイムスリップした時、決めたんだ。
歴史を変えないと。
きっと現代に戻って、家族のもとへ帰るんだと。
そう思えばきっとこの気持ちは段々消えていく筈だもの。
昨日の土方さんのことは事故だと思って忘れよう。
だって土方さん自身も絶対に覚えていないんだから。
✳︎
非番で屯所の近くをぶらぶら散歩していると不意に一陣のひやりとした風が通り過ぎた。
もう風が秋だ。
雲の形がどんどんはっきりしてきて、空が高くなっていく。
天高く馬肥ゆる秋。
確かにお腹も良く空く気がする。
「水瀬ではないか。」
ふと声をかけられて振り返るとそこには芹沢先生がいた。
「芹沢先生、おはようございます。」
芹沢先生は珍しく酔った雰囲気が感じられない。
お酒の入らない芹沢先生は感じのよい人で、その変わりようには驚いてしまう。
「ぼんやり空なんぞ見ておるといつ斬られてもおかしくないぞ。」
ニヤリと笑いながら意地悪そうに言った。
「水瀬、たまには一緒に飯でも食わんか?」
「浮気ですか?お梅さんに叱られますよ?」
あたしは酔っていない芹沢先生がなんだかおかしくてからかってしまった。
「お主さえその気ならば、応じてやってもよいぞ?」
「ふふ、遠慮しておきます。お梅さんと恋敵にはなりたくないですから。」
「まあ、あがれ。お梅も水瀬に会いたがっておる。」
「ではお言葉に甘えまして。」
八木邸に上がらせてもらうと、お梅さんが出てきてあたしたちは3人で一緒に昼食を食べた。
こんな穏やかな時を芹沢先生とお梅さんと過ごせるとは思わなかった。
二人の間には穏やかで、それだけで完結しているようなやさしい空気が流れていて、なぜか泣きたくなるくらい幸せな光景だった。
ここまで来るのに2人はどれほど自分の気持ちと闘ったのだろう。
「…時にお梅、少し席をはずせ。」
「はい、先生。」
ふと芹沢先生は静かに言って、お梅さんは異を唱えることもなくふすまを開けて出て言った。
「水瀬、わしはおぬしに聞きたいことがあって今日ここへ呼んだ。」
「なんでしょうか?」
あたしは少し緊張し警戒した。
「おぬしの正体についてだ。」
「…何のことですか?」
あたしは心臓が跳ね上がるのを感じた。
この人は何を知ってる?
「お主の正体はなんなのだ?近藤は雷で記憶が曖昧になって身寄りがわからんと言ったがそうではないであろう?
会津藩の送りこんだ密偵か?新撰組の何を知っておる?」
芹沢先生の口調は静かだったが、眼光は鋭く、決して言い逃れできない雰囲気だった。
なぜ急にこんなこと言いだしたんだろう。
「急に何のことかわかりませんが。」
下手に突っ込んだら墓穴だ。
とにかくどこまで芹沢先生は知っているのだろう?
「ふん、先だっての大和屋で、おぬしわしに”こんなことのために新撰組に入ったのではないでしょう”と言ったであろう。」
「…そう言ったかもしれません。
なにぶん血が上っていましたので記憶が定かではないですが。」
「そこだ。われらが新撰組の名をたまわったのは禁門の警護での働きを会津藩がかったことがあってのこと。大和屋の時点で、新撰組の名前は表立っては、世にあるはずがないであろう。おぬしが会津の幹部と懇意なのか、もしくは先の世が読めるのか?」
芹沢先生は静かに、けれど面白がるように言った。
「…!」
しまった!
あの時は完全に頭に血が上ってしまっていてうっかり口走ったんだ。
あたしは自分のうかつさに歯ぎしりしたい気分だった。
どうこたえる?
下手な言い訳は通用しない。
本当のことを言うしかないのか。
「おぬしは嘘をつくのが下手じゃな。
ここで生きていくならば、心にどんな澱を持っていても笑って人を斬り、笑って裏切ることができるくらいでなければ務まらんぞ。」
「…。
今から話すことは信じられないようなことですが、それでもいいですか。」
「信じるか信じないかは話を聞いてからだ。
それが嘘でもよい。わしを信じさせて見せろ。」
「私は…この時代の人間ではないんです。
今から150年ほど先の、未来から来た人間なんです。
こんなことを言えば怪しいと斬られるか、拷問されて死ぬのがおちだと思い、そのことだけは死んでも隠そうと思っていました。だから素性を偽りました。」
1分、2分…
沈黙が重い。
不意に芹沢先生は不敵な笑みを浮かべた。
「ふん…時渡りしたと申すか。
まあ、とても信じられるものではないなあ。
しかしおまえはおおよそ女子の常識から外れたような度胸を持っておるし、妙に浮世離れしたような不思議な考え方をするしな。
まあ、面白いではないか。
だが、新撰組はこの先どうなる?
未来から来たのならわかるであろう?」
「…詳しくは知らないんです。ただ、新撰組の名前と、歴史に残る大きな事件位はなんとなくわかりますけど…」
「まあ、よい。
しかし、これだけ答えろ。
新撰組は未来にはどう伝わっておる?
野蛮な人斬り集団か?」
「そんな…!!新撰組は私の時代でも、憧れてる人が多いです。
日本人の美意識を具現化したような誠の武士だと。
日本のことを真剣に思って、志のために生き抜いたそんな人たちだという認識だと思います。」
「そうか…。」
そう言った芹沢先生はどこまでも穏やかで染みいるような笑顔を見せた。
「おまえの時代は平和か?」
「はい。いろんな問題とかはありますけど、とても平和だと思います。
それは、今こうして新撰組のみんなが、日本の未来のために必死で闘っていてくれるからです。」
「おぬしの話がたとえ作り話でも、先に来る世がそんなものであったらよいと思う。
先の世が新撰組を誠の武士と言ってくれる、そんな夢をみられるのならば、わしも喜んで死んでいける。」
「芹沢先生、死ぬなんて縁起でもない!」
「まだ死なんわ。阿呆。
ただ、おまえの話を聞いて、そういう夢のためなら死ぬのも悪くないと思ったまで。」
「やめてください!」
「ふん、話は終わりだ。水瀬、帰れ。」
「はい。あ…とお食事ごちそうさまでした。」
「水瀬、おまえの言うことが嘘でも真でもどちらでもよい。ただ、今、ここに、こうして生きている。それだけは紛れもない真実だからな。
それだけで十分だ。
おまえはおまえで、誠を貫き、思いのままに走っていけばよい。」
「…はい。ありがとうございます。」
あたしは風の冷たくなった夕方ごろ
八木邸を後にした。
あたしは知らなかった。
これが芹沢鴨の遺言になろうとは。
今思えば、このとき芹沢先生は知っていたのかもしれない。
自分が近く死ぬ運命にあることを。