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虹に届くまで  作者: 爽風
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第四章 8.八月十八日の政変:斎藤一

ここ最近、京都では、久留米藩の真木和泉と長州藩士たちの倒幕運動が活発になっている。

長州系の公卿らと孝明天皇の攘夷親征の勅命を得ようと画策しているのだ。

攘夷親征の詔を得、攘夷を決行しない幕府の政策は天皇の詔に反しているという大義名分をえて、それを理由に幕府を一気に滅ぼしてしまおういう算段なのだろう。

そして8月13日、長州藩のでっち上げで決定された大和行幸。


大和行幸とは、大和国の神武天皇陵、及び春日大社で攘夷を祈願し、さらに攘夷親征の軍議を行い、伊勢神宮まで参宮するというものなのだが、孝明天皇は確かに攘夷思想ではあられるが、倒幕派という考えはお持ちではないはずであり、このような決定はあり得ぬ。


しかし、過激尊王攘夷派は、こんなとんでもない話でも都合のいいようにとらえているもので、天誅組などは京都五条の代官所を襲撃するなど暴挙ばかり起こしている。


全く頭の痛いことだ。


そこで会津藩や薩摩藩は、長州系尊王攘夷倒幕派を一掃、京都から追い出し、締め出そうという計画を画策した。攘夷親征に疑問を持ち、長州藩に政局を乗っ取られることを危惧した薩摩藩は、8月13日の夜、会津藩に接近し、まず双方、攘夷親征は偽勅であるに違いないと考えが一致。

さらに天皇の意志に反する偽勅を出してまで、天皇を味方につけようとする無礼な長州系の者たちを京都から排除してしまおうという考えで合意したのだ。

攘夷親征が偽勅であることが分かり、長州藩を処断するため、18日未明、会津藩、薩摩藩、淀藩によって御所の全ての門を封鎖し、長州系の者が中に入れないようにすることを画策したのだ。


そして8月18日正午、俺たち壬生浪士組にもついに出兵の要請が来たわけだが、ずっと待機の命令が下っている。

全くいつまで待たせるのだ。

甲冑はただでさえ重いのに、この暑さだ。

まったく会津藩も頭が固い。

というよりも寄せ集めの浪士組を御門の近くの警備など任せられぬということか。


俺はふと嘆息して汗だくの額を拭い、数日前、水瀬と話したことを思い出した。


水瀬は珍しく揺らいでいた。

「自分は何者でもない」そう目を伏せて言った水瀬はどこまでも儚く悲しげだった。

水瀬とはいったい何者なのだろう。

おおよそただの女とも思えぬ。

かと言ってどこかの間者とも考えられぬ。

浪士組の無法者、芹沢鴨に真っ向から立ち向かい、あの非道ぶりにもひるまず正面からぶつかっていく強靭さ、島原の妓をかばい女の命ともいえる髪を一分のためらいもなく切り捨てる潔さ、それはさながら武士のようだ。


俺にもよくはわからぬ。

だが水瀬が何者でも良いような気がしている。

たぶん俺は水瀬を好いているのだ。

女子として愛おしいと思っているのだ。

恋など未熟者のすることとバカにしていたが、認めてしまえば諦めもつく。

水瀬には笑っていてほしい。

だから珍しく物思いに沈んでいる水瀬をとっさに買い物などに誘ってしまったのだろう。

どんな状況でも己を保つ自信はあった。

なのに水瀬が絡んだ途端このざまだ。

恋が見せるこの揺らぎはまさに愚の骨頂。

我ながら未熟なこの精神に腹が立つのを通り過ぎて俺はそんな自分に苦笑した。


「どうしたんです?斎藤さん」

同じように甲冑を身につけ流れ出る汗を手の甲で拭いた沖田さんが怪訝そうにこちらを見た。

「いや、何でもない。

少し思い出し笑いをしただけだ。」

「珍しいですね、斎藤さんが笑うなんて。」

沖田さんはからかうように言ったので、俺は眉を寄せた。

無言の俺を怒りととったのか弁解するように沖田さんは言葉を継いだ。

「いえいえ、からかったわけではないのですよ。

ただ、斎藤さんは誰も寄せ付けないような雰囲気の孤高の存在だから、同い年なんだしちょっと嬉しかったんです。」

沖田総司と言う男は全くつかみどころがない。

普段は能天気なくらいふわふわしたクラゲのような男で、だが刀をもった瞬間冴え冴えとした月のように冷たく豹変する。時折恐ろしく残忍になることもあるし、どちらがこの男の本質なのだろうか。

ただ水瀬とじゃれたり、稽古をしているときの沖田さんはこの上なく穏やかで、幸せそうで、水瀬のことをただ一人のかけがえのない人間として思っているであろうことは紛れもない事実として感じられた。

おそらく沖田さんも水瀬のことを好いているのだろう。

「俺もまだまだ未熟だ。」

「斎藤さんがそんなことを言うなんて明日は槍が降りそうですね。何があったんです?」

「…水瀬のことを考えていたのだ。」

水瀬の名前に反応したのか、沖田さんは一瞬目を見開いた。

「あの、おおよそ普通の女では持ち得ないような武士のような度胸や強靭さ、潔さは何なのだろうとな。俺たちの常識とは根本的に違う次元に生きているようなそんな気がするのだ。

だから、皆惹かれるのかと考えていたのだ。」

「…斎藤さんは…」

「…特別に思っている。」

好いているとは言えなかった。

「沖田さんもだろう?」

「…ええ。」

視線をやると、沖田さんはふと花が咲いたように小さく笑った。




なかなか門の中に入れない。

「われらは京都守護職預壬生浪士組である。門をあけられたし。」

近藤局長が声をあげるが会津藩士は全く耳を貸そうとしない。

「素性の知れぬ浪人どもを通すわけには行かぬ。去れ。」

「なんだと?!」

「無礼な!!」

「ふざけるなよ!」

もともと血の気の多い浪士組の面々であり、まさに一触即発という状況になったその時。

空気を震わすような声が後ろのほうから響いてきた。

「我慢ならん!何故おぬしらは報国忠信のために働くわれらにこのような無礼をいたすのか!

ここを通せ!」

芹沢が雄々しく会津藩士が固める門扉に詰め寄り、槍でけん制してくる藩士に例の鉄扇子を振りかざし一括した。

会津藩士たちはみなその堂々とした物言いにひるみ、一瞬水を打ったようにその場が静まり返った。


どんなに傍若無人な男でもこの堂々たるたたずまいと潔さにこのときばかりは皆感嘆した。

これが芹沢鴨という男なのだろう。


俺たちはその後無事門を固め役目を果たすと、会津藩から解散の指示を承り屯所へと戻った。

この働きが認められ、壬生浪士組に会津藩から新撰組という新たな名を拝命したのである。

8月18日の政変については「偏差値50からの【新撰組年表】」様を参考にさせていただきました。

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